禅の視点 - life -

禅語の意味、経典の現代語訳、仏教や曹洞宗、葬儀や坐禅などの解説

経典訳文

『正法眼蔵』第六「行仏威儀」巻の現代語訳と原文③

『正法眼蔵』第六「行仏威儀」巻の現代語訳と原文③ 第11節 仏道を説著するに、胎生化生等は仏道の行履なりといへども、いまだ湿生卵生等を道取せず。いはんやこの胎卵湿化生のほかになほ生あること、夢也未見在なり。いかにいはんや胎卵湿化生のほかに、胎卵…

十牛図に秘められた悟りの諸相 【廓庵師遠版】(前篇)

十牛図とは、禅の極意、つまりは「悟り」というものを感覚として摑むことができるよう、牛を題材にした十枚の絵によって悟りへのプロセスを描き表わした絵画であり、教本であり、芸術である。 この十牛図の面白さは、何と言っても「悟り」といった漠然とした…

十牛図に秘められた悟りの諸相 【廓庵師遠版】(後篇)

十牛図に秘められた悟りの諸相 (後篇) 前篇に引き続き、十牛図を読み解いていきたい。 後篇は第六よりはじまるので、前篇を読んでいない方は先に十牛図の前篇のほうをどうぞ。 下の記事が前篇になります。 十牛図の前篇を読む それでは十牛図の後篇を読み…

写経をはじめるなら鉛筆写経が絶対オススメ【手本ダウンロード可】

はじめて写経をする際、私がオススメするのは鉛筆写経だ。これまで実際に筆、筆ペン、ボールペン、鉛筆と、様々な筆記用具で写経をしてみたが、一番リラックスして書くことができ、かつ書きやすく、写経に集中できる筆記用具は鉛筆であった。しかもダントツ…

陀羅尼とは呪文のようなお経 ~言葉に力が宿る神秘の経文~

仏教経典、いわゆる「お経」には、様々な種類のものがある。 それらの多くは仏の教えを文字に記したものであって、いわば仏教を学ぶための教科書のような性格の書物となっている。 漢字の羅列や難解な言葉、古い語体などによって呪文のように聞こえることも…

『正法眼蔵』とは何か ~道元禅師が心血を注いだ未完の仏教書~

『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は、日本曹洞宗の開祖である道元禅師が20年以上の歳月を費やして著した一大仏教書である。 日本仏教史上、最高峰に位置する書物と称されることもしばしばだが、難解さという点においても間違いなく抜きん出た実力の書物と…

『般若心経』を現代語訳するとこうなる - 存在が存在することの意味を説くお経 -

『般若心経』は短いお経であり、おそらく日本でもっとも広く知られているお経である。 知られるだけの内容が、確かにこの経典には存在する。 ただ、読めばその内容が理解できるかといえば、それは難しいと言わざるをえない。 基礎的な仏教の知識がなければ理…

【お経の種類】曹洞宗でよく読まれるお経・経典一覧

仏教経典、いわゆる「お経」と呼ばれるものは膨大な種類にのぼるが、そのなかで曹洞宗においてよく読まれるお経はかなり限られる。 ここではそれらのなかでも比較的よく読経されるものを掲載し、その経典の紹介していきたい。般若心経。大悲心陀羅尼。舎利礼…

「五観の偈」の意味 ~食事の前に唱える偈文~

食事の前に唱える五観の偈という短い偈文がある。 偈文の詳細は次項に記載するが、大枠として「五観の偈」を俯瞰すれば、それは「食事をいただくにあたって、ただ漫然と食べるのではなく、食事をいただくことができるという事柄を尊び、その想いを5つの観点…

『修証義』とは何か ~その成り立ちと構成・概要~

修証義は5章、31節、3704文字からなる経典である。 そのほとんどが『正法眼蔵』から抽出された言葉によって構成されており、比較的平易な言葉が選ばれていることもあって、禅の思想の入門書に格好の書物といえる。 その内容は、道元禅師が標榜した「正伝の…

『正法眼蔵』第六「行仏威儀」巻の現代語訳と原文②

『正法眼蔵』第六「行仏威儀」巻の現代語訳と原文② 6節 曹谿いはく、「ただ此の不染汚、是れ諸仏の所護念なり、汝もまた是の如し、吾もまた是の如し、乃至西天の諸祖もまた是の如し」。 しかあればすなはち「汝亦如是」のゆゑに諸仏なり、「吾亦如是」のゆゑ…

観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈)の意味と現代語訳

観音経の現代語訳の難しさは、経典の文言をどう解釈するかという点。 特に観音経では「念彼観音力」という1フレーズをどう解釈するかによって、観音経に対する理解がまったく異なるものになる。 難しいのはここである。 「念彼観音力」は、通常 「彼の観音の…

『正法眼蔵』第六「行仏威儀」巻の概要と現代語訳と原文

正法眼蔵の第六巻のタイトルは「行仏威儀(ぎょうぶついぎ)」。 一般にはまず馴染みのない言葉だと思われるが、曹洞宗に限れば、けっこう身近でよく耳にする言葉である。 行仏とは、仏の行いを行じていくこと。 威儀とは、日常生活のすべてのこと。 つまり…

『正法眼蔵』第五「即心是仏」巻の現代語訳と原文 Part③

即心是仏とは、仏道を歩む心を発し、修行し、悟り、安楽の境にいたる人のことをいう。 したがって未だ仏道を歩む心を発さず、修行せず、悟らず、安楽の境にいたらない者は、即心是仏の人ではない。 たとえ僅かな時間、心を発し、修行し、悟ったなら、その時…

『正法眼蔵』第五「即心是仏」巻の現代語訳と原文 Part②

「即心是仏」の巻の第2回目。 前回は外道(セーニャ)の言説について道元禅師が異を唱える内容となっていた。 今回もその話の続きとなっており、外道の言説が仏教内部にも存在することを紹介し、これを批判する内容となっている。 それでは内容に入っていき…

『正法眼蔵』第五「即心是仏」巻の概要と現代語訳と原文

『正法眼蔵』第五「即心是仏」巻の概要と現代語訳と原文 『正法眼蔵』の第五巻である「即心是仏」の巻。 直訳すれば「心が仏である」というほどの言葉であるが、他の巻での言説から考えれば、道元禅師は訳すことを好まないだろう。 これは「即心是仏」という…

正法眼蔵「身心学道」巻の現代語訳と原文 Part③

『正法眼蔵』「身心学道」の巻の3回目(最終回)。 前回と前々回は仏道を心で学ぶというテーマで書かれていたが、今回は身で学ぶということについて述べられている。 これで「身心学道」のタイトルに沿うようになった。

『正法眼蔵』第四「身心学道」巻の現代語訳と原文 Part②

『正法眼蔵』の第四巻である「身心学道」巻の2回目。 前回に引き続き心学道について、つまりは心で仏道を学ぶということについて述べられている部分になる。

『正法眼蔵』第四「身心学道」巻の概要と現代語訳と原文

『正法眼蔵』の第四巻である「身心学道」の「身心」とは身と心のこと。 また「学道」とは仏道を学ぶということ。 つまり『正法眼蔵』第四「身心学道」とは、仏道を学ぶのには身で学ぶのと心で学ぶのと2つの柱があるという意味の表題となる。 道元禅師はその2…

正法眼蔵「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑪(最終回)

今回のテーマは少々変わっていて、長沙禅師に竺という人物が問答をかける話なのだが、その内容が変わっている。 どう変わっているのかと言うと、この竺という人物は「ミミズを半分に斬ったら、仏性はどちらにあるのか?」と問うてきたのである。 なるほど、1…

正法眼蔵「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑩

それで、10回目の今回には有名な「狗子仏性」の話が登場する。 趙州和尚に対して「犬にも仏性があるか、ないか」と質問をするという、禅問答のなかでも非常に有名な問答の1つである。 この問いに対し、趙州和尚はある時は「無」と答え、またある時には「有」…

正法眼蔵「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑨

今回は黄檗希運(おうばく・きうん)禅師と南泉普願(なんせん・ふがん)禅師のやりとりが中心となっている。 そのなかでも、特にテーマとなるのが「定慧等学、明見仏性」という言葉。 簡単に訳せば「坐禅と智慧とを学び、仏性が明らかになる」というほどの…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑧

今回は潙山霊祐禅師の「一切衆生無仏性」という言葉がテーマとしてとりあげられている。 これまでは「有仏性」で、今回は「無仏性」。 有と無で考えれば正反対のことを言っているように思えるが、しかし道元禅師はそうではないと釘を差す。 「無仏性」と言う…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑦

今回は道元禅師が中国に渡ったばかりのころに訪れた阿育王山の広利禅寺での話からはじまる。 この寺で道元禅師はちょっと変な人物画を目にするのだが、まだ悟りにいたっていなかった禅師はその画の誤りに気付くことができなかったと振り返る。 このあたりの…

舎利礼文の意味と現代語訳 ~曹洞宗で読まれるお経・経典~

大乗経典の1つである舎利礼文は、本文がわずか72字ととても短い。 内容を簡単に説明すれば、釈迦(ブッダ)の舎利(遺骨)を礼讃する言葉からはじまり、礼拝によって真理の智慧を開き、仏として生きることを説く経典である。 舎利を礼拝するという内容である…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑥

『正法眼蔵』「仏性」の巻の現代語訳の6回目。前回に引き続いて龍樹(りゅうじゅ)尊者に焦点をあてて仏性の話を進める道元禅師であるが、今回問題となるのは仏性の描き方。 龍樹尊者が坐禅によって仏性を示したというエピソードをもとに、その様子を画に描…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑤

『正法眼蔵』「仏性」の巻の現代語訳の5回目。今回、道元禅師が取り上げるのは、「大乗仏教における最初にして最大の哲学者」とも称される龍樹(ナーガールジュナ)。 否定の論理によって「空(くう)」の理論をまとめ、「あらゆるものに自性はない」という…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part④

無仏性とは「仏性がない」という意味ではない。 仏性とは「有る」とか「無い」といった相対的判断でもって理解するものではない、ということを示すために、「有でもなく、また無でもない」の意で「無」と表現したものと思われる。 有無を超越した絶対無とし…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part③

『正法眼蔵』「仏性」の巻の現代語訳3回目。 仏性の巻は文字数が多いため複数回に分けて掲載をしているので、初回を未読の方は下の記事からどうぞ。 [http://www.zen-essay.com/entry/bussyou:embed:cite] ここでは、中国における4祖大医道心禅師と5祖大満弘…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part②

仏道を学ぶ者の多くは仏性という言葉を聞いて、仏教ではない他の者たちが言うところの「不滅の自我」のようなものを連想した。仏性とは霊魂のようなものだろうと。 それは、彼らが仏性というものを知る人に出会ったことがなく、仏性について真剣に問うたこと…