禅の視点 - life -

幸福とは? 自分とは? 自由とは? 人生とは? 心を満たす入口探し、禅エッセイ

経典訳文

正法眼蔵「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑪(最終回)

今回のテーマは少々変わっていて、長沙禅師に竺という人物が問答をかける話なのだが、その内容が変わっている。 どう変わっているのかと言うと、この竺という人物は「ミミズを半分に斬ったら、仏性はどちらにあるのか?」と問うてきたのである。 なるほど、1…

正法眼蔵「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑩

それで、10回目の今回には有名な「狗子仏性」の話が登場する。 趙州和尚に対して「犬にも仏性があるか、ないか」と質問をするという、禅問答のなかでも非常に有名な問答の1つである。 この問いに対し、趙州和尚はある時は「無」と答え、またある時には「有」…

陀羅尼とは呪文のようなお経 ~言葉に力が宿る神秘の経文~

仏教経典、いわゆる「お経」には、様々な種類のものがある。 それらの多くは仏の教えを文字に記したものであって、いわば仏教を学ぶための教科書のような性格の書物となっている。 漢字の羅列や難解な言葉、古い語体などによって呪文のように聞こえることも…

正法眼蔵「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑨

今回は黄檗希運(おうばく・きうん)禅師と南泉普願(なんせん・ふがん)禅師のやりとりが中心となっている。 そのなかでも、特にテーマとなるのが「定慧等学、明見仏性」という言葉。 簡単に訳せば「坐禅と智慧とを学び、仏性が明らかになる」というほどの…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑧

今回は潙山霊祐禅師の「一切衆生無仏性」という言葉がテーマとしてとりあげられている。 これまでは「有仏性」で、今回は「無仏性」。 有と無で考えれば正反対のことを言っているように思えるが、しかし道元禅師はそうではないと釘を差す。 「無仏性」と言う…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑦

今回は道元禅師が中国に渡ったばかりのころに訪れた阿育王山の広利禅寺での話からはじまる。 この寺で道元禅師はちょっと変な人物画を目にするのだが、まだ悟りにいたっていなかった禅師はその画の誤りに気付くことができなかったと振り返る。 このあたりの…

舎利礼文の意味と現代語訳 ~曹洞宗で読まれるお経・経典~

大乗経典の1つである舎利礼文は、本文がわずか72字ととても短い。 内容を簡単に説明すれば、釈迦(ブッダ)の舎利(遺骨)を礼讃する言葉からはじまり、礼拝によって真理の智慧を開き、仏として生きることを説く経典である。 舎利を礼拝するという内容である…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑥

『正法眼蔵』「仏性」の巻の現代語訳の6回目。前回に引き続いて龍樹(りゅうじゅ)尊者に焦点をあてて仏性の話を進める道元禅師であるが、今回問題となるのは仏性の描き方。 龍樹尊者が坐禅によって仏性を示したというエピソードをもとに、その様子を画に描…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part⑤

『正法眼蔵』「仏性」の巻の現代語訳の5回目。今回、道元禅師が取り上げるのは、「大乗仏教における最初にして最大の哲学者」とも称される龍樹(ナーガールジュナ)。 否定の論理によって「空(くう)」の理論をまとめ、「あらゆるものに自性はない」という…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part④

無仏性とは「仏性がない」という意味ではない。 仏性とは「有る」とか「無い」といった相対的判断でもって理解するものではない、ということを示すために、「有でもなく、また無でもない」の意で「無」と表現したものと思われる。 有無を超越した絶対無とし…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part③

『正法眼蔵』「仏性」の巻の現代語訳3回目。 仏性の巻は文字数が多いため複数回に分けて掲載をしているので、初回を未読の方は下の記事からどうぞ。 [http://www.zen-essay.com/entry/bussyou:embed:cite] ここでは、中国における4祖大医道心禅師と5祖大満弘…

正法眼蔵第三「仏性」巻の現代語訳と原文 Part②

仏道を学ぶ者の多くは仏性という言葉を聞いて、仏教ではない他の者たちが言うところの「不滅の自我」のようなものを連想した。仏性とは霊魂のようなものだろうと。 それは、彼らが仏性というものを知る人に出会ったことがなく、仏性について真剣に問うたこと…

正法眼蔵第三「仏性」巻の概要と現代語訳と原文

『正法眼蔵』仏性の巻の主題となるものは、まさに題にあるとおり「仏性」である。 古来、仏教というものが悟りを開いて仏となることを目指す教えであることを考えたとき、仏性は必然的にその中心的な概念となってくる。 したがって、この仏性の巻を道元禅師…

正法眼蔵第二「摩訶般若波羅蜜」巻の概要と現代語訳と原文

『正法眼蔵』第二に位置付けられる「摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)」の巻。 この巻が書かれたのは1233年。道元禅師33歳の頃のこと。 道元禅師は1200年ちょうどに生まれているため、西暦がわかれば禅師が何歳のときのことだったのかはすぐにわかる…

正法眼蔵第一「現成公案」巻の概要と現代語訳と原文

「現成」は「現成正覚」の略で、悟りがここに実現される、というほどの意味。 実現するものを示す「正覚」の部分が省略されているわけだが、そんなことはあえて言わなくてもわかるということか。 もちろん正覚とは「悟り」の意だ。 一方の「公案」は、原意を…

『正法眼蔵』とは何か ~道元禅師が心血を注いだ未完の仏教書~

『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は、日本曹洞宗の開祖である道元禅師が20年以上の歳月を費やして著した一大仏教書である。 日本仏教史上、最高峰に位置する書物と称されることもしばしばだが、難解さという点においても間違いなく抜きん出た実力の書物と…

「本を読むことも大切だ」という道元禅師の言葉を意外に感じてしまう

先人が残した言葉をたどって仏道を学ぶというのもまったく間違っているわけではないが、やはり重要なのは実際の行い。それが道元禅師の基本的な立場である。 いわば座学よりも実践科目としての修行の在り方を説くわけであるが、しかし例外的に、仏道を志した…

大パリニッバーナ経の現代語訳 ~ブッダ最後の旅の言行録~ 第6章

ブッダの臨終の様子を記述した大パリニッバーナ経の第6章には、ブッダが弟子たちに残した「最後の言葉」が記されている。 その言葉とは一体どのようなものであったのか。 また、ブッダの死後、その遺体はどのようにして葬られたのか。 それらを記述したのが…

大パリニッバーナ経の現代語訳 ~ブッダ最後の旅の言行録~ 第5章

80歳でその生涯を閉じることとなるブッダは、最後の旅でどのような言葉を残したのか。 ブッダの最後の旅の記録ともいえる大パリニッバーナ経のなかで、今回は第5章を読み進めていきたい。

大パリニッバーナ経の現代語訳 ~ブッダ最後の旅の言行録~ 第4章

ブッダ最後の旅の言行録でもある『大パリニッバーナ経』の現代語訳(私訳)の4回目。 今回は4章を現代語訳して読み進めていきたいが、この章のなかでついにブッダは病を発症し、また寂滅の地であるクシナーラーにたどり着く。 ブッダが患った病とは何だった…

大パリニッバーナ経の現代語訳 ~ブッダ最後の旅の言行録~ 第3章

ブッダ最後の旅の言行録でもある『大パリニッバーナ経』の現代語訳(私訳)の3回目。 ここでは第3章を読み進めていきたい。 このシリーズを未読のかたは下の記事(第1章)からどうぞ。

大パリニッバーナ経の現代語訳 ~ブッダ最後の旅の言行録~ 第2章

ブッダ最後の旅の言行録でもある『大パリニッバーナ経』の現代語訳(私訳)の2回目。 ここでは第2章を読み進めていきたい。 前回を未読のかたは下の記事(第1章)からどうぞ。 ブッダ一向はガンジス側を渡り、北岸にたどり着いた。 「さて、アーナンダよ。…

大パリニッバーナ経の現代語訳 ~ブッダ最後の旅の言行録~

ブッダの最期を記した経典がある。 『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』。 日本では『大パリニッバーナ経』と呼ばれたり、『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)と呼ばれたり、略して『涅槃経』と呼ばれたりすることもある。 一応ここでは『大パリニッ…

『宝鏡三昧』を現代語訳するとこうなる ~いのちの不思議を説くお経~

『参同契』とセットで読まれることの多いもう1つの奥義書『宝鏡三昧(ほうきょうざんまい)』を読み解いていきたい。 『参同契』が禅寺で奇数日に読経されるのに対し、『宝鏡三昧』は偶数日に読経されることが多い。 また法要では両者ともに読経する場合も…

『参同契』を現代語訳するとこうなる ~同と別を結びつけた思慮を説くお経~

『参同契』は禅の要諦を説いた奥義書の1つとされているが、確かにこの経典の説くところは奥深い。 現象と真理という両極にまたがるように存在する、あらゆる「存在」の本質を照らしだそうとする経典なのだが、一読しただけではおそらくこれを理解するのは難…

十牛図に秘められた悟りの諸相 【廓庵師遠版】(後篇)

十牛図に秘められた悟りの諸相 (後篇) 前篇に引き続き、十牛図を読み解いていきたい。 後篇は第六よりはじまるので、前篇を読んでいない方は先に十牛図の前篇を読んでから、この後篇を読んだほうがわかりよいように思う。 下の記事が前篇なので、未読の方…

十牛図に秘められた悟りの諸相 【廓庵師遠版】(前篇)

十牛図とは、禅の極意、つまりは「悟り」というものを感覚として摑むことができるよう、牛を題材にした十枚の絵によって悟りへのプロセスを描き表わした絵画であり、教本であり、芸術である。 この十牛図の面白さは、何と言っても「悟り」といった漠然とした…

【賽の河原地蔵和讃】亡くなった子ども(水子)と地蔵菩薩の物語

地蔵菩薩の威徳を表現した和讃(歌のようなもの)に、「賽の河原地蔵和讃」というものがあるのだが、これがちょっとした問題を孕んだ、非常に考えさせられる和讃となっている。 私ははじめてこの「賽の河原地蔵和讃」の全文を読んだとき、こんな悲しい気持ち…

写経をはじめるなら鉛筆写経が絶対オススメ【手本ダウンロード可】

はじめて写経をする際、私がオススメするのは鉛筆写経だ。これまで実際に筆、筆ペン、ボールペン、鉛筆と、様々な筆記用具で写経をしてみたが、一番リラックスして書くことができ、かつ書きやすく、写経に集中できる筆記用具は鉛筆であった。しかもダントツ…

『修証義』第五章「行持報恩」を現代語訳するとこうなる ~仏として生きる~

行持という言葉は、見たことがあるようで、おそらく一般には見慣れない熟語だろう。 これは「修行の持続」を縮めた言葉で、絶えず修行を続けていくことが大切だという意味の言葉だ。 ただ修行といっても、滝に打たれるとか、火の上を歩くとか、禅の修行とは…