禅の視点 - life -

禅語の意味、経典の現代語訳、仏教や曹洞宗、葬儀や坐禅などの解説

「死なないように思えても人は必ず死ぬ」問題をどう解くか

「死なないように思えても人は必ず死ぬ」問題をどう解くか 『平家物語』の冒頭の一節。 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、…

「弾琴のたとえ」 ~仏弟子ソーナと中道の教え~

「ソーナ、あなたは出家する以前、琴を弾くことが巧みだったという話を聞いたことがあるが、そうだったろうか?」 「はい、多少なり琴には心得があります」 「では訊くが、もし琴の弦があまりにも強く張られていた場合、琴はよい音色を奏でるものだろうか」 …

「拈華微笑」とはどういう意味なのか 

拈華微笑(ねんげみしょう)とは、仏教を説いたブッダと、その弟子の1人である摩訶迦葉との間で交わされたとされる逸話を示す言葉のこと。 具体的には、次のような話を指す言葉である。 ある時、ブッダは大勢の弟子たちとともに霊鷲山にいた。弟子たちを前に…

曹洞宗の焼香は2回じゃなくて1回で大丈夫な話

曹洞宗の焼香は、ネットの情報だとなぜか2回と書かれていることが多い。 その場合、1回目の焼香は「主香」で、2回目は「従香」とされている。 確かにそれらの言葉自体は存在する。 供養のための焼香は1回目だけで、2回目の従香は火種が消えないためとか、煙…

曹洞宗とは

曹洞宗は禅宗と総称される宗派の1つ。お釈迦様を本尊とし、道元禅師と瑩山禅師の2人を「両祖」と称して敬っている。坐禅を重んじ、修証一如の真理を体現するため、修行によって悟りをあらわすという修行観をもっている。どのようなお経が読まれるのか、どの…

『正法眼蔵』第六「行仏威儀」巻の現代語訳と原文②

『正法眼蔵』第六「行仏威儀」巻の現代語訳と原文② 6節 曹谿いはく、「ただ此の不染汚、是れ諸仏の所護念なり、汝もまた是の如し、吾もまた是の如し、乃至西天の諸祖もまた是の如し」。 しかあればすなはち「汝亦如是」のゆゑに諸仏なり、「吾亦如是」のゆゑ…

「無我」の話

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の言葉は、存在するものが絶対に虚構ではないと言い切ることができなかったとしても、そのようにして何かを考えている自分だけは存在しているという主張だが、それはあくまでも脳が自分を認識しているという話だ。 物体と…

供養とは何なのか?

供養とはもともと「供物を捧げること」を意味していた。それがやがて意味合いが拡大していき、亡き人の冥福を祈ることも、物を丁重に葬るのも、同じく「供養」という言葉で扱われるようになった。本来の供養の意味と、現代で行われている供養の意味には違い…

忌中と喪中の違いは「期間の違い」なんかじゃない。

忌中と喪中の違いは、期間の違いなんかじゃなく、まったく意味が異なっている。忌中が身を慎む公のルールに等しいのに対し、喪中はあくまでも自分の心の状態を意味している。大切な人を失って悲しいという気持ちが「喪」であり、したがってその悲しい気持ち…

【禅語】但だ般若を尊重す ~必要なのは学ぼうとする心だけ~

但だ般若を尊重す 口では調子のいいことを言って、実際の行動は全然なってない。自分のことは棚の最上段に上げて、綺麗事ばかり口にする。 そのような「口だけ」と批判されるような人がいれば、仮にその人が話す言葉がどれだけ道理に適った素晴らしいもので…

超宗派を掲げる仏教と「本当の仏教」問題

超宗派を掲げる仏教と「本当の仏教」問題 最近の若手仏教僧侶は宗派の垣根というものをあまり感じていないように思う。「超宗派での活動」というような、既存の宗派仏教の枠組みにとらわれない動きも近年よく見聞きする。私自身も少し前に、宗派に関わらず仏…

永平寺での修行中に一番厄介だと感じた公務

もしも永平寺で修行経験のある者ばかりが集まり、どの公務がもっとも嫌だったか、つまり大外れ公務を議論する場があったとすれば、一体どの寮舎のどの公務が候補として挙がるだろうか。内輪でしか盛り上がらないこと間違いなし、でも内輪に限れば大盛り上が…

アーナンダがブッダの侍者になったときの話

アーナンダがブッダの侍者になったときの話 ブッダには、常に行動をともにした侍者がいた。アーナンダである。このアーナンダは、ブッダの従兄弟にあたる人物だったと考えられている。 ブッダの実母であるマーヤーはブッダを産んですぐに亡くなっており、ブ…

ブッダが教えてくれたこと ~四聖諦と八正道~

ブッダが教えてくれたこと ~四聖諦と八正道~ 仏教とは「仏の教え」のことです。「仏」というのは紀元前5~6世紀のインドに実在したゴータマ・ブッダ、いわゆるお釈迦さまのことを指していますので、「仏の教え」は「ブッダの教え」と理解することができま…

サイコロは十人十色

サイコロは十人十色 高校生の時、学校で講演会が開かれたことがあった。講師は全国の刑務所を訪問して講演を続けている方で、受刑者にどのような話をしているのか、刑務所とはどのような場所なのか、そんな話を1時間聴いた。 講演の終わりのほうで、講師の方…

【禅語】眼横鼻直 ~道元禅師の「問い」と「答え」~

比叡山で抱いた道元禅師の問い。 「本来本法性 天然自性身」 それに対する答え。 「眼は横に並び鼻は縦に顔に付いていること」 「太陽は朝に東から昇り、夜に西に沈んでいくということ」 「眼横鼻直」という禅語が示すのは、この心なのである。

小池龍之介「解脱失敗とその懺悔」について思うこと

2018年秋頃から解脱を意識しはじめた小池氏は、遊行の旅における瞑想によって完全な解脱に至ることを考えた。 そして実際に寺を出て、雲の如く水の如く遊行生活(野宿生活)へと入っていった。 しかし2019年3月に至り、遊行生活を断念した。 その理由を、小…

【応病与薬】仏教は相手によって言葉を変える

医者は患者の病に応じて処方する薬を変える。 それが応病与薬。 痛みを抑えるために痛み止めを処方するように、症状に合わせて薬は処方される。 ただし仏教でいうところの応病与薬とは、実際の薬剤のことを指しているのではなく、言葉それ自体を薬に見立てた…

馬鹿の語源は仏教 ~愚鈍な仏弟子パンタカの悟り~

なぜ馬鹿と書いてバカを意味するのか。「馬」と「鹿」を合わせて馬鹿(バカ)となるから、バカとは馬を鹿と間違えるような者のことだと思われることもあるが、じつは馬鹿の語源は意外にもはっきりしていない。 馬鹿という言葉の語源にはいくつかの説があるが…

【お経の種類】曹洞宗でよく読まれるお経・経典一覧

お経とは経典に「御」の字を付けた言葉で、要するに経典のこと。 経典とは仏教の教えが説かれた書物のこと。 したがってブッダが説いた言葉は、基本的にすべてお経と言ってしまって差し支えない。そしてこのお経は、正確に数を数えることができないほど、じ…

観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈)の意味と現代語訳

観音経の現代語訳の難しさは、経典の文言をどう解釈するかという点。 特に観音経では「念彼観音力」という1フレーズをどう解釈するかによって、観音経に対する理解がまったく異なるものになる。 難しいのはここである。 「念彼観音力」は、通常 「彼の観音の…

【仏教用語】 日常生活で用いられる身近な仏教用語一覧

日本語のなかにはもともと仏教用語であったものが少なくなく、それらの言葉の本来の意味を知ると、時には驚くような発見もあります。 言葉の意味を深く感じとることができるようにもなり、なぜそのような言葉が使われているのか、言葉自体にも納得できるよう…

『正法眼蔵』第六「行仏威儀」巻の概要と現代語訳と原文

正法眼蔵の第六巻のタイトルは「行仏威儀(ぎょうぶついぎ)」。 一般にはまず馴染みのない言葉だと思われるが、曹洞宗に限れば、けっこう身近でよく耳にする言葉である。 行仏とは、仏の行いを行じていくこと。 威儀とは、日常生活のすべてのこと。 つまり…

4月8日は降誕会(花祭り) ~ブッダが生まれた日~

人は誕生日を祝いますよね。 じつは仏教でも毎年、開祖であるブッダ(お釈迦さま)の誕生日を祝っています。 それが4月8日の「降誕会(ごうたんえ)」。 一般的には「花祭り」と呼ばれる日ですが、この花祭りこそ、ブッダの誕生を祝うお祭りなのです。 あま…

木魚 ~受け継がれる技術と伝統~

寺院に欠かすことのできない木魚。 しかしそんな木魚を製造している工房は現在、日本のなかでも愛知県内に数える程度しか残っていない。 しかも後継者問題が深刻だという。 なんとも危機的な状況である。 この危機を打開するためにはどうしたらいいのか。 木…

仏具の磨き方 ~金色の輝きを取り戻す方法~

仏具って金色に輝いていたりして美しいですよね。 でもその輝きも、残念ながら時間の経過とともにやがてはくすんでしまいます。 ご自宅の仏具、くすんでませんか? 金属製品を磨くには、専用の研磨剤を用いるのが一番です。 研磨剤を塗り付けて、あとは布な…

【禅語】茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す (喫茶喫飯)

お茶をいただいたならそのお茶を飲み、ご飯をいただいたならそのご飯を食べる。 「茶さに逢おうては茶さを喫きっし、飯はんに逢おうては飯はんを喫きっす」という禅語は、だいたいそのような意味の言葉である。 特に変哲のない、何を言おうとしているのかも…

『正法眼蔵』第五「即心是仏」巻の現代語訳と原文 Part③

即心是仏とは、仏道を歩む心を発し、修行し、悟り、安楽の境にいたる人のことをいう。 したがって未だ仏道を歩む心を発さず、修行せず、悟らず、安楽の境にいたらない者は、即心是仏の人ではない。 たとえ僅かな時間、心を発し、修行し、悟ったなら、その時…

「メロンパンリリース・イン・THE永平寺」

永平寺ではたまにおやつが配布されることがある。 夜参(やさん)と呼ばれるそのおやつタイムは、おやつのゴールデンタイムである午前10時でも午後3時でもなく、夜の9時半ころに前触れもなく突然やってきた。稀に突如開催されるおやつタイムを、たいていの者…

『正法眼蔵』第五「即心是仏」巻の現代語訳と原文 Part②

「即心是仏」の巻の第2回目。 前回は外道(セーニャ)の言説について道元禅師が異を唱える内容となっていた。 今回もその話の続きとなっており、外道の言説が仏教内部にも存在することを紹介し、これを批判する内容となっている。 それでは内容に入っていき…