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人生はビールのようなもの 

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人生はビールのようなもの

二十歳そこそこの頃に飲んだビールの味というのは、決して「美味しい」といったものではありませんでした。苦いとしか思えず、どちらかと言えば「不味い」に分類されるもの。多少無理して飲んでみても、酔っ払うというよりは気持ち悪くなるだけで、何でお金を払ってまでこんなものを飲むのか気が知れない。そんなふうに思っていました。


なのに。不思議なものです。あれだけ不味いと思っていた苦味が、いつからか美味いと感じられるようになるのですから。菜花のような春の野菜にも同様のことを思います。子どもの頃は決して美味しいなんて思わなかった春の葉物野菜の煮浸しや胡麻和えが、今となっては美味そのもの。あの苦味がなんとも言えず美味い。


ビールも菜花も、何一つとして変わってはいません。苦いままの同じものです。変わったのは自分の味覚のほう。苦味は苦味のまま変わらずにあって、その苦味を不味いと感じるか美味いと感じるか、自分の感覚が変わったのです。自分の感覚が変わるだけで、対象に抱く思いが180°変わってしまうのですから、ちょっと恐ろしくすら感じられますよ。世界を感じ取っていく自分の感覚によって、世界に対する印象がガラリと変わってしまうわけですから。


夜にしたためたラブレターを翌朝読み返してみたら、赤面してしまってとても渡せなかった。そんな経験が誰しもあるのではないでしょうか。一生懸命に書いているときは「これが最高傑作だ」なんて思い上がるんですけど、冷静になって読んでみると「おいおい、自分正気か?」なんて自分に恐怖することありますよね。前かがみになってのめり込んでいるときは客観的な判断ができなくなるものです。自分のちっぽけな頭の中だけで物事を考えて、思い込みという思考の呪縛から逃れられないのです。


今は辛くてなんの楽しみさえ感じられない人生も、自分の思い込みから抜け出して眺めてみれば、案外捨てたもんじゃないなと思えてくる。苦味が旨味に感じられるように、辛かったことまでもが一つの人生として意味を持ってくる。最初から人生に意味なんてないんですよ。それを悪くとらえる自分がいて、それを良くとらえる自分がいるというだけのこと。


志望していた大学入試で落ちた。すべてが無駄になった。自分はダメな人間だ。もう人生おしまいだ。そんなふうに考える人もいるようですね。わからなくもありません。その人にとって、大学入試がそれまでのその人の人生そのものだったのであれば。


ですが、当然のことながら、大学なんてのは学問をする場所であって、志望していた大学に入ろうが入れまいが、人生の1コマにすぎません。大人になって「大学に入ることがすべて」という価値観から抜け出して人生というものを眺めてみれば、志望大学に落ちたことなんてどうでもいいことのように思えてくる。「大学に入ることがすべて」の時期には、そんな簡単なことさえわからないのです。それ以外の考えを持つことができないから。これが思い込みの呪縛の恐ろしいところ。思考にとらわれるというのは、本当に恐ろしいことなんです。


自分次第で人生の意味なんていくらでも変わりますから、人生に固定的な意味を求めるのはやめたほうがいい。それよりも人生にどんな意味を見出していくか、自分の内面を深く掘り下げていったほうが人生はずっと豊かになる。暮らし振りによって幸せか不幸せかが決まるわけではなく、幸せと感じる自分がいて、不幸せと感じる自分がいるということです。そのために本を読みましょう。本を読めば、そこには必ず自分の考えとは別の思考から語られた言葉が綴られています。自分以外の考えを知るというだけでも、思い込みの呪縛から逃れられる可能性は格段に上がります。


人生なんてどう転ぶか最後までわかりません。自分の思考がどれだけ深まるかで、人生に対する意味付けはどこまでも変わるからです。だから早々に人生はつまらないものだと決めつけてしまうのはもったいない。ビールはいつまでも苦いままですが、その苦味がやがて旨味に感じられるようになることが現実に起きるからです。人生に意味を与えるのは、死ぬときになるまでとっておいてもいいのではないですか。意味なんていらんわ、って吹っ切れてしまうのも面白い変化です。背負っていた荷物を下ろしたときの、あの軽やかな感覚ですね。


仏教では、ゴチャゴチャと頭のなかに生じてくる思い込みを「妄想」として捨てることを説きます。妄想にとらわれているときは妄想なんて思わないのですが、後になって広い視野から眺めてみれば、妄想以外の何物でもない。自分の人生を振り返ってみると、そんなことばっかりですよ。だから、捨てる。「自分の考え」がすべてだと思い込んでいるその思考を捨てる。今自分はこうとしか思えないけど、一歩下がれば別の考え方ができるようになるかもしれない。いや、絶対に別の考え方は存在するんだ。そんなふうに常に自分の考え以外の可能性を想定できれば、思い込みにとらわれることはありません。


人生ってなんなんでしょうね。さっぱりわかりません。わからないから、最後まで生きてみて、最後に人生に意味を付けてみようかなと思っています。最後でなきゃ、人生の総括はできんでしょう。ビールでも飲みながら、歩んできたところの人生について、語り合ってみるのも悪くはないでしょうよ。
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