石徳五訓とは
石徳五訓とは、永平寺第73世 貫首(住職)熊澤泰禅禅師(僧侶としての正式な名前は祖學泰禅)が残した、石の徳を5つ列挙して説示した言葉のことである。石の徳は仏の徳に通じ、石の徳を具える者は仏であると説く。
ちなみに、泰禅禅師が永平寺の貫首(住職)を務めていたのは1944年~1968年の25年間。現在の貫首である南澤道人禅師は第80世貫首であり、泰禅禅師は7世代前の貫首になる。
原文と私訳
それでは石が具えるという5つの徳を示した石徳五訓の内容をみていきたい。あえて訳さなくても意味をとることが可能な言葉ではあるが、一応、私なりの解釈も添えてみたい。
一 奇形怪状 無言にして能く言うものは石なり
千差万別の姿で、言葉なく佇んでいるだけだが、それこそが石の本分である。自らの本分を全うする姿により、言葉はなくても、観る者に多くを語りかけてくるのが石である。
二 沈着にして気精 永く土中に埋れて大地の骨となるは石なり
落ち着いているが内には活力がみなぎっている。埋もれていても不平を漏らさず、縁の下の力持ちとして他を支える役割を果たせるのが石である。
三 雨に打たれ風にさらされ寒熱にたえて悠然 動かざるは石なり
生きていれば苦しい時もある。雨風といった逆境に見舞われても、寒さ暑さといった困難に見舞われても、腐らず、いつも悠然としているのが石である。
四 堅質にして大廈高楼の基礎となり よくその任務を果たすものは石なり
堅実であり、物事を成すための土台となり、根本となる基礎を築く役目を果たすことができるのが石である。
五 黙々として山岳庭園に趣きを添え 人心を和らぐるは石なり
静かで、堅く、実直な徳を具える石であるが、もう一つ、その場に趣きを添える豊かさが石にはある。いつも変わらずに温和であると、周囲の人の心も和らぐ。それができるのが石である。
石徳五訓の魅力
禅寺の庭には枯山水庭園が築かれることがあり、欧米では枯山水庭園は「Zen garden」とも呼ばれている。枯山水庭園を作庭する僧侶は石立僧とも呼ばれ、古来、石立僧は自身の禅の境地を庭園に反映させて作庭をしてきた。
石立僧として有名なのは、何といっても鎌倉末期から室町初期にかけて活躍した臨済宗の僧、夢窓疎石だろう。あるいは、現代でいうなら、多摩美術大学の教授も務める曹洞宗の僧、枡野俊明が有名である。
枯山水庭園には大小様々な石が用いられ、植栽や苔などの緑もあるが、岩や石が観賞のメインとも言える庭となっている。石徳五訓は、それらの石を観て石の徳を感じ取り、自分もまた石の徳を具えた人間であろうとすることの尊さを述べた言葉であり、禅寺の枯山水庭園に対する文章として至極相応しい。
特に秀逸なのが、5つ目に挙げた石の徳。「趣きを添え」「人心をやわらぐ」とした石の徳は、それまでの4つとはやや雰囲気が異なり、「堅物なだけでは物足りない、ユーモアもまた必要である」といった、見過ごされがちな石の温和な一面を説いている。これにより、石徳五訓は円熟の相をなし、仏と呼ぶに値する魅力的な徳目となっている。