禅の視点 - life -

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曹洞宗とは

曹洞宗とは

曹洞宗の話


あのさー、曹洞宗そうとうしゅうって禅宗のなかの1つの宗派なんだよね?




ああ、そうだよ。
インドから中国に禅を伝えた菩提達磨ぼだいだるまという人がいて、その達磨さんの教えを受け嗣いでいった宗派を総称して禅宗と称している。曹洞宗もその流れの中にあるから、禅宗の1つということになるな。




達磨さんって、赤いダルマのモデルになったって言われている人だよね。
あの姿は坐禅をしている姿だとかって、なんかで聞いたことがある。


曹洞宗が誕生したのは中国なの?



中国の曹洞宗と日本の曹洞宗


うーんとな、それがちょっとややこしいことになっていてねぇ。

曹洞宗が中国で誕生したのは間違いないんだけど、日本の曹洞宗と中国の曹洞宗は厳密には同じものとは考えられていないんだよ。名前は一緒なんだけど。

中国で曹洞宗が誕生したのは9世紀の頃で、開祖は洞山良价とうざんりょうかいという人物だったと考えられている。
その弟子の1人に曹山本寂そうざんほんじゃくという人物がいて、2人の頭文字をとって「曹洞宗」になったというのが中国での定説だな。




中国での、ってことは、日本での定説は違うの?





日本では、洞山良价は同じなんだが、「曹」は曹山本寂ではなくて大鑑慧能だいかんえのうという人物だったと考えるのが一般的だ。大鑑慧能に「曹」の字はないが、曹渓山そうけいざんに住していたから曹渓といえば大鑑慧能を意味する。だから「曹」といえば曹渓山で、慧能。

両者とも禅の系譜のなかで非常に重要な人物となっているから、この2人の頭文字をとって曹洞宗とするという解釈は、確かに妥当といえるかもしれんな。

それに、曹山本寂の系譜は途中で途絶えてしまっており、日本にはつながっていないんだよ。
だから曹山本寂を始点の1つとする中国の曹洞宗と日本の曹洞宗を同じものと考えるのは、ちょっと違和感がある。もしくは大いに違和感がある。




なるほど。
中国にも日本にも曹洞宗はあるけど、厳密には別物と考えられているのね。知らんかった。

一応訊くけど、日本の曹洞宗の開祖は、永平寺の開祖である道元禅師どうげんぜんじでいいんだよね?
鎌倉新仏教の1つの。
たしかそうやって歴史の時間に習ったけど。




そう。日本の曹洞宗の開祖は、中国で仏教を学んで日本に帰ってきた道元禅師になる。

ただし、道元禅師は曹洞宗という名前を用いることには反対していたようなんだ。
自分は一宗派の教えを学んできたのではなく、ブッダの教えそのものを学んできた」という認識でいたから、曹洞宗と称してしまうと一宗派になってしまう。
だから宗派を名乗ることを嫌っていたみたいなんだよ。




学んだのは仏教そのもの、か。
矜持というのか、なんか格好いいかも。

でも、結局は曹洞宗になるんだよね?




うん、まあ、実際のところ、宗派の名前がないというのはいろいろと都合が悪かったみたいなんだ。やっぱり名称はあったほうが便利なんだろうな。

それで、道元禅師から数えて4代目の瑩山禅師けいざんぜんじの時代あたりから曹洞宗という名前が使用されはじめたのだと考えられている。




あっ、瑩山禅師といえば、たしか曹洞宗って開祖が2人いるんじゃなかったっけ?
道元禅師と瑩山禅師の2人。
その意味もよくわかんないんだけど。

初代と2代目ならまだわかるんだけど、初代と4代目の2人が開祖っていうのが、いまいちよくわかんらんわ。



開祖と教え


両祖りょうそ」のことか。たしかに曹洞宗には開祖が2人いる。
道元禅師が開祖と仰がれるのはそのままだが、瑩山禅師にはちょっと説明が必要かもな。

瑩山禅師は、曹洞宗を日本各地に広める礎を築いた人物という評価をされているんだ。実際、瑩山禅師と、その弟子の代で曹洞宗は一気に勢力を拡大させている。優れた僧侶がどんどん輩出されていったんだよ。
だから曹洞宗というものを教団の規模で考えると、瑩山禅師は開祖と呼んでも差し支えないレベルの人物となるってわけだ。

ちなみの曹洞宗では、道元禅師を父親、瑩山禅師を母親に喩えるようにして、両親のように敬っている。
両祖というのは、そういうことなんだろうな。




そっかぁ。道元禅師と瑩山禅師は、曹洞宗の両親だったのね。
だから曹洞宗には本山も2つあるのか。福井の永平寺と、横浜の總持寺と。

でもまあ、教団の展開はわかったんだけど、やっぱり重要なのは教えの中身じゃない?
曹洞宗ってのはどんな教えなの?




曹洞宗というか、禅宗全般に言えることではあるが、坐禅を重視しているな。
ブッダが坐禅の末に悟りを開いたということも大きく関わっているんだろうが、道元禅師はとにかく坐禅を重視した。
中国から帰ってきてから、坐禅を日本に広めるために『普勧坐禅儀ふかんざぜんぎ』という書物を著わしてもいる。




坐禅……。
たしかに曹洞宗とか禅宗って、坐禅のイメージだよね。
ひたすら静かに坐ってる感じ。

私も体験したことあるけど、なかなかいいもんだね、静かで。
ただ、足は痛かった。




そうだろう。
永平寺では今でも、朝に1時間、夜に2時間坐禅をしている。

道元禅師の教えを現在でも守って修行生活をしているんだよ。




一日、計3時間……!
足が痺れて大変そう……。

坐禅を重視しているってのはいいんだけど、何かほかに特徴的な教えとかはないの?




そうだなぁ、特徴的な教えかぁ。

強いて言えば、「修証一如しゅしょういちにょ」という修行観かな。道元禅師の教えの特徴といえば。




シュショウイチニョ? 

どういう意味?




「修」は修行のことで、「証」は悟りのこと。
その2つが一如、つまりは一緒なんだという教えのことだ。




???





ハハハ。すまん、それじゃあ何にもわからんわな。
普通、修行と悟りの関係といったら、修行の末に悟りを開くというイメージじゃないか?

でも道元禅師はそうじゃないと言った。
修行の末に悟りがあるんじゃなくて、修行の瞬間に悟りがあると説いたんだよ。

「修行 ⇨ 悟り」じゃなくて、
「修行 = 悟り」という感じに。




修行の瞬間に悟りがある……。
修行と悟りは同じ……。

うーむ、さっぱりわからん。




仏というのは、仏として生きるから仏である。
仏として生きない仏は、仏ではない。
それなら仏というのは、今、仏として生きているかどうかによる。あらかじめ決まっているものではない。


過去にどれだけ修行をしたとか、悪いことをしたとか、そんなことで現在の自分は規定されないということだ。
今の自分を規定するのは、今をどう生きているか

だから、今修行するなら、その人は今悟りの仏であると考えたわけだ。

道元禅師が着目したのは「今」だったんだろうなぁ。




ということは、過去がどれだけぐうたらでも、今の私が仏様級だったら、私でも仏というわけ?





もちろん、仏様ということになる。




じゃあ、あたし今日から仏さまのように生きるわ。

これからはブッダって呼んでいいよ、あたしのこと。





……ブッダ。





なんだい? ワハハ。


あー……ゴメン、冗談よ冗談。

修証一如のことを詳しく知る本とかってないのかね?


経典の種類


一応、『修証義しゅしょうぎ』という名前のお経が曹洞宗にはあるぞ。
これは道元禅師が心血を注いで書いた大著『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』から言葉を抜粋して明治期に作られた比較的新しいお経で、曹洞宗でよく読まれるお経の1つだ。

ただ、名前は『修証義』なんだが、内容はあんまり修証一如とは関係していない部分も多いかな。




なんじゃそりゃ。

曹洞宗で読むお経っていうと、ほかには『般若心経はんにゃしんぎょう』とか?




『般若心経』は曹洞宗でよく読む。
それ以外によく読むお経を挙げるなら、全文が陀羅尼だらにの『大悲心陀羅尼だいひしんだらに』、法華経の『観世音菩薩普門品偈かんぜおんぼさつふもんぼんげ』『如来寿量品偈にょらいじゅりょうほんげ』、字数がとても短い『舎利礼文しゃりらいもん』、それから例の『修証義』、お盆に読むことの多い『甘露門かんろもん』、ちょっとマニアックなところだと、枕経で『参同契さんどうかい』や『宝鏡三昧ほうきょうざんまい』なんかを読むこともあるみたいだな。




けっこういっぱいあるのね。
そういえば前、曹洞宗のお葬式で歌のようなものをお坊さんが歌ってたんだけど、あれは何?
あれもお経なの?




ああ、梅花流詠讃歌ばいかりゅうえいさんかのことか。
御詠歌ごえいかとか梅花流詠讃歌とか梅花とかって呼ばれているが、曹洞宗では仏教讃歌を歌うことがあるんだよ。仏の教えを歌にしたもんだ。
葬儀で聞いた歌ってのは、たぶんそれのことだろう。

音楽ってのはやっぱりいいよな。
曲だからこそ伝わるものがある

そういえば近年、南こうせつが作詩作曲した御詠歌も登場してたな。
まごころに生きる」「澄みわたる空」という曲。




へぇー、頑張ってるんだね、梅花流詠讃歌。

なんというか、素朴で懐かしい感じのメロディだから、お葬式のときも不思議とちょっと泣きそうになったもん。




実際、そういう声は多いみたいだぞ。
お坊さんが突然歌い出すからびっくりするが、聴いているうちに、なんだか泣けてくるという人も多いみたいだ。




やっぱりね、そんな気がするわ。

ふぅ、なんとく曹洞宗の輪郭だけはわかったような気がするよ。
ほかに何か知っておいたほうがいいことってある?




いや、概要としてはこれくらいで十分だと思うが、強いていえば読み方かな。「曹洞宗」の。

正式な読み方はもちろん「そうとうしゅう」だが、けっこう「そうどうしゅう」って濁って読まれることが多いんだよ。曹洞宗って。
濁らずに「と」で読むということだけは、気を付けたほうがいいかな。




「と」が濁って「ど」になると、「騒動宗」って聞こえちゃうもんね。
常に揉め事に溢れてまっせー、っていう感じ?

たしかにそれはちょっと勘弁してほしいって思うかも。




「騒動宗」は、ちょっとやめてほしいな……。

……濁らずに読もう。