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永平寺への入門

永平寺

永平寺への入門

私が永平寺で修行をしたのは、もう10年以上も前のこと。曹洞宗には本山が2つあって、福井県の永平寺と横浜にある總持寺なんですけど、どちらも本山なんですね。我々は「両本山りょうほんざん」って呼んでます。ちなみに言っておきますけど、派閥とか、分派して2つあるとか、そういった理由じゃあありませんよ。


じゃあなんで本山が2つもあるのかって疑問に思われることがよくあるんですが、これにはちゃんと理由があります。まず永平寺は、日本曹洞宗の開祖である道元禅師が開いたお寺で、まさに曹洞宗のはじまり、ここから水が湧いて流れ始めてますよという源泉のような場所だから本山。一方の總持寺は、道元禅師の次の次の次、4代目の瑩山けいざん禅師という方が開いたお寺で、この方の弟子がそりゃもうすごい傑僧揃いだったらしく、瑩山禅師を筆頭に曹洞宗の勢力が一気に全国に広まっていったらしいんですね。ブワッと。


だから曹洞宗を開いた道元禅師と、その教えを広める礎を築いた瑩山禅師と、どちらも開山にするべきだろうということで本山が2つあるというわけなんです。私は当時(大体14世紀くらい)を生きていないので実際の感じというのはもちろん知りませんけど、そんなふうな歴史認識で曹洞宗はいくと宣言するのを否定する理由が1mmもありませんので、そのまま受け入れることにしています。


それで、私が二十歳頃に出家して大学を卒業して修行に行った先というのが、源泉のような本山のほうの永平寺。じつは私永平寺に2回修行に行ってまして、普通なら本山修行というのは1回だけなんです。永平寺の次に總持寺に行って修行とか、全国にある地方の修行道場に行って修行とかっていうことは意外とよくある話なんですけど、同じ修行道場に2回行くというのはなかなか珍しいケース。なんで同じ所に2回も行ったのかというと、1回目は大学3年生の春休みに1ヶ月だけお邪魔させていただきました。興味本位、と言ったら叱られるかもしれませんが、まあ、それに近いものでした。


現在の曹洞宗には修行するにあたって2つの方法がありまして、1つは普通に何年か修行する定番コースで、もう1つが特殊安居とくしゅあんごと呼ばれる方法。安居あん ごっていうのは修行と同じ意味の言葉だと思ってください。永平寺で修行した、っていうのを、我々は永平寺で安居した、って言うんですよ。その安居に特殊な方法があるっていうのが、特殊安居ってなもんです。どストレートなネーミングですね。名前はわかりやすいほうがいいのでありがたい話なんですがね。最近の子どもの名前は読み方がわからないのは普通で、性別の見当すらつけられないケースが出てきてますから。子どもの同級生の名簿見ても、まったく読めないので困っちゃいますよ。


大学3年生の春休み、なので4年生に上がる前の長い休みのことでした。2ヶ月くらいありますもんね、大学の休みって。長すぎで時間を持て余すともったいない感じがしちゃいますから、そこで特殊安居の制度を使って1ヶ月間だけ永平寺で安居したわけです。そもそも特殊安居というのは、年単位で続けて安居できない人のために設けられている特例制度みたいなものでして、小分けで特殊安居を何回かすれば通常の安居を終えたのと同じに見なしますという制度でしてね、私のような使い方をすることは想定されていないんですけど、とにかくまあその制度を使えば1ヶ月間だけ修行に行くことが可能なわけです。私はその頃永平寺という場所に非常に興味を持っていまして、大学を卒業するまで永平寺はお預けっていうのが我慢出来なかったんです。犬なら餌もらえないケースですわ。


2月の下旬でした。寒かったですよ、そりゃもう。震えた記憶っていうのはあまり残っていませんけど、鼻の穴に冷気が入ってきて、それがあまりにも冷たくて奥のほうに刺さるような感じがしてツーンと激痛が走ったのはよく覚えてます。永平寺に着くと、まずは永平寺の左隣にある地蔵院っていうお寺に入るんです。到着は昼過ぎくらいで、そこで一晩泊めてもらって、衣の着方とか、畳み方とか、食事の仕方とか、基本的なことを少し教わるんですね。こういった作法がまあとんでもなく細かい。道元禅師という方はトイレの仕方まで詳細に文字で残しているほど緻密な方でして、日常のあらゆる行為に作法が存在しているんです。覚えちゃえば自然とできるからいいんですけど、覚えるまでは誰もが苦労しますね。作法には。


あと、しゃべったらダメなんです。しゃべったらダメというか、言葉を発したらダメなんです。「あ」とか言っちゃいませんか。間違いを指摘された時とか、「あ」って。「あ、しまった、間違えた」の「あ」ですよ。よく言いますよね。私なんてしょっちゅう間違えることばかりなんで「あ」の連続ですよ。そんな人間だから、「あ」なんていくらでも口から出ちゃうもんでして、つい言っちゃうわけです。「あ」って。すると間髪入れずに古参和尚に「あ、じゃねぇ!!!」ってメチャクチャ怒鳴られる。


ちょっとキツめで叱る、というレベルじゃないです。この野郎、会社を窮地に立たせやがったなっ! くらいのミスを責める勢いで「あ、じゃねぇ!!!」って怒鳴るんです。地球終わりか、くらいの勢いで怒鳴られるので謎といえば謎ではあるんですけど、とにかくすぐに誰もしゃべれなくなります。「あ」が口からこぼれそうになる寸でのところで飲み込む。そんなこんなで、自由というのがかなり制限されていくわけです。行動はすべて作法どおりに行い、言葉を発することも許されない。一体何が許されるの? みたいな生活に入って自由が抑制されるとムクムクと湧いてくるのが我ですから、ここで自分の我欲を認識するわけです。こうしたい。でもできない。こうしたいというのが欲で、それができないのが苦痛。自分の欲を意識するっていうのは、こんな特殊な状況でもないかぎり不可能かもしれませんね。だから永平寺ってのは大事な場所です。


それで翌早朝、地蔵院を出て永平寺の門を叩きます。網代笠をかぶって、草鞋を履いて、昔の格好のままで。入門のことを「門を叩く」って言うでしょ。ドアを開ける前にはノックしますからね。あれと同じで、永平寺でも実際に叩くんです。と言っても、山門の横に掛けられている分厚い板を木槌で叩くんですが。なんで門自体を叩かないのかというと、永平寺には門がないから。いや、門自体はあります、どデカいのが。総欅造りの唐風の楼門で間口は九間、奥行きは五間、しかも二階建て。間口九間って想像つきます? つかないでしょう。とにかくデカいってことです。ググってもらえればわかりますけど、ボスみたいにデカい門なんです。普通の建物群のなかに建っていれば間違いなくラスボスの居城でいいと思います。二階にある羅漢堂なんて、ボスとの対決の場所としてピッタリ。まあ、永平寺の境内に入れば山門以上のスケールの伽藍がいくらでもあるので、やっぱり玄関でちょうどいいんですけどね。


で、その門には、なんと扉がないんです。ずっと開け放たれているんですよ。そんな物騒な、戸締まりはいいのかい? セコムは? なんて現代の感覚からいうと心配になるかもしれませんけど、そんな話じゃありません。これにはちゃんと意味がありまして、修行をする気持ちが本物ならいつでも入ってきなさい、っていう意味で開け放たれているんです。だから年中フルオープン。というかそもそも扉なし。だから門を叩くときは板を叩きます。


カーン、カーン、カーンって三回叩くと、それが入門を志願する僧が山門に到着した合図になってまして、係の古参和尚がやってくるわけです。でもこれがなかなか来てくれないんですね。待てども待てども来なくて、寒い。もう寒くて足の感覚がなくなってきて、立っていることが難しくなるくらい。でも直立不動で立っていなければいけないので、感覚を失いつつある足で必死にバランスをとって立っていようとする。だって転ぶわけにはいかんでしょう。入門前から。それで待っていると係の古参がようやく来て、やっとこれで入れるのかと思ったら、問答が始まるんですね。「何しに来た」。え、何しに来たって、「修行に来た」以外に答えなくないですか? って思って、素直にそう答えるんです。すると、「修行なら自分の寺ですればいい。帰れ」で、古参がどっか行っちゃいまして……。


もう呆然。入れてくれるわけじゃないのね、なるほど我慢比べなのね、ということを察知して、それから再び待ち。すると朝の回廊掃除って言いまして、永平寺の廊下を雲水が掃除しはじめるんです。回廊は山門ともつながっているので、山門に立っている入門志願者の目の前を、墨染めの作務衣を着た雲水たちが勢いよく雑巾掛けするんですね。ダダダダダーッと。それが大体30分くらいで、掃除が終わるとその雲水たちは山門に集まって簡単な業務伝達みたいなことをします。会社でも朝礼とかありますよね。それと同じです。すると目の前にいる作務衣姿の雲水たちから、なんか漂っているのが見えたんです。白いオーラみたいなのがゆらゆらと。えっ! なんじゃあれはっ! と一瞬驚いたんですが、すぐにわかりました。すみません、正体は湯気でした。修行によって法力が備わったのかと思いきや、ただの自然現象。寒い冬に全力で雑巾掛けするので汗をかいて、みんなの体や頭から湯気が立ちのぼっていたんです。でもね、これがちょっと感動すら覚える光景だったんです。雪が残る白黒の世界で、凍てつく回廊の上に素足で立ち並ぶ雲水から湯気がゆらゆらゆらゆら。ここは異世界か。


そんな回廊掃除が終わると、山門は静寂を取り戻しまして、再び待ち。で、そろそろ本当に立つのがしんどいぞ、足の感覚ないぞ、っていうくらい待ったところで、再び古参が来るんです。やった、これで我慢比べもついに終わって中に入れる。長かったぜ。なんてことを思ったら、古参が言うんですよ。「帰れと言っただろう。聞こえなかったのか?」。おいおい、こりゃ一筋縄ではいかないタイプの我慢比べか、みたいなことを思って肩を落として黙って突っ立っていると「帰れと言っているのがわからんのかぁぁぁ!!!」ってまた怒鳴られました。


昨日から怒鳴られっぱなしですよ。もう。でも帰れと言われて帰るわけにもいきませんよね。だからまた待つわけです。静かな場所なもんでね、降りはじめた雪が地面に落ちる音が聞こえてきそうなほどでした。するとさらに待って待って待った末に三度目の古参の登場があって「まだいたのか。何しに来たんだ」。まさかの、ふりだしに戻る。これ本当にいつかは入れてもらえるんですよね? という不安が若干芽生えてきたところで、質問に答えるわけです。「道元禅師のお膝元に、修行にやってまいりましたっ!!!」。こちらも絶叫。発言する機会を与えられたら、全力で言葉を発しないと怒鳴られるので、怒鳴り返しみたいな感じで言葉を発するわけです。でもやっぱり「修行なら自分の寺でできる、わざわざ永平寺に来る必要はない」と退けられちゃいました。さっきのやつやん。デジャヴか。


困ったなこりゃ、っていう感じで黙っていると、古参は諭すように言いました。「永平寺の修行は厳しい。一人では挫けてしまうことも、仲間となら乗り越えられることがある。そんな永平寺の修行に身を投じる覚悟はあるか?」。それが答えでした。なんで自分のお寺じゃなくて永平寺で修行をするのかという問いの。その時は実感もまだなにもないのでその言葉の意味がいまいちわかりませんでしたけど、あとになって思えば、そのとおりでしたね。人間は弱いものです。一人では挫けてしまうことも、仲間と一緒なら乗り越えられる。ほんとそのとおりでした。仲間と一緒に修行をするってのは大事なことです。諺にもありますよね、赤信号みんなで渡ればこわくない。って、それはまたちょっと別の話でしたかね。


それから、その古参の言葉には別の意味でピーンと来るものがありました。あ、これは最後の問いだなって。これに答えればきっと入門させてもらえるなって。そんな雰囲気が古参の言葉には含まれていました。しかも「覚悟はあるか?」の問いの答えなんて1つしかないでしょう。ここで「ありませんっ!!!」って言える人がいたら、逆に相当な覚悟ですよ。たぶんその方、自分のお寺で1人で修行できてしまうタイプの方ですね。で、普通の私は大声で答えました。「はいっ!!!」。すると、「では、草鞋を脱いで山門に上がりなさい」って言われまして、古参はようやく入門を許してくれました。倒れる前でよかった。それが何よりも安堵でした。


永平寺の山門にはれんというのが掛かっていましてね、聯というのは漢詩の対句が書かれた細長い板のことです。それにこう書いてあります。


家庭厳俊不容陸老従真門入
鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来


家庭厳俊かていげんしゅん陸老りくろう真門しんもんよりるをゆるさず)
鎖鑰放閑さやくほうかん遮莫さもあればあれ善財ぜんざい一歩いっぽすすきたるに)


永平寺の家風は非常に厳しい、半端な気持ちで山門をくぐることは許さない。
それでも永平寺の山門は常に開け放しておく、求道心があるならいつでも入ってきなさい。


そんな意味の対句です。志願者は最初に試されるわけです。ちゃんと志しがあってのことかと。そしてその気持ちをさらに鼓舞されて、堅く確かなものにして、そして一歩踏み入れるんです、永平寺のなかに。親切なもんですよ。こんなふうにして私の永平寺での修行生活ははじまりました。大学3年生の冬の1ヶ月間と、4年生の冬からの1年間と、2回。貴重な経験でしたけど、3回目はどう? と勧められても、さすがにもう辞退させていただきますね。