残飯と粥 ~永平寺の朝食の「普通」~
食べ物の扱いに対する感覚は、人によって随分と異なる。対極の例を挙げれば、食べ物を大切に扱う人と、大切に扱わない人の違いということになるだろうか。
なぜ人によってそれほどまでに異なるのか不思議に思うこともあるが、もしかしたら、それが自らの命の存続に関わるものであるという意識の有無が根本にあるようにも思える。だからこそ、食べ物に対する扱いには、時にその人の人生観までもが垣間見えるようで興味深い。
檀家さんの一人に、どうしても食べ物を残すことができないおじいさんがいる。子どもの頃に戦中戦後を経験し、大袈裟ではなくて本当に食べ物がない時代を生きてきた方だ。あまりに腹が減りすぎて親に昼ご飯の時間を早めてくれるよう懇願しても一向に聞き入れてもらえず、それならばと気づかれないようにそっと家の時計の針を進ませて12時であることを示して昼ご飯を催促した知能犯だった。
空腹に昼も夜もない。腹が減り過ぎてどうしても眠れない夜は、そっと家を抜け出して松明を持って近くの川に行き、炎の明かりに引き寄せられてきた魚を捕まえてその場で食べたという。マグロやサーモンといった綺麗な刺身ではないが、生の川魚も負けず劣らず美味かったそうだ。それが味としての美味さだったのか、それとも空腹による味覚の操作だったのか、今となってはおじいさん自身にもわからないそうだが。
食べ物を大事にすることは、自らの命を大切することに直結した。食べ物は生存に直結することだと身に染みて理解していた。だから、食べ物が余り有る現代になっても、食べ物だけは決して粗末にすることができない。食べ物を粗末にすることは、おじいさんにとって、自分の命を粗末にすることと同義だからである。
だから食べ切れないと思う弁当などは絶対に買わないし、あげると言われても残してしまう恐れが少しでもあれば絶対にもらわない。もらえない。おじいさんにとって食べ物を残すことは、決してあってはならないことなのだ。
そんなおじいさんがいる一方で、賞味期限が過ぎた食べ物は絶対に食べずに捨てるという人もいる。承知のとおり、賞味期限が数日過ぎたところで食べる分には何の問題もない。少しばかり味が劣るのかもしれないが、その違いに気づく人が果たしてどれだけいるのか。よほど味覚に敏感な人でない限り、味の劣化に気づく人などほとんどいないことだろう。
それにも関わらず、パッケージに印字された日付を可食の限界として厳格に認識し、1秒でもすぎれば腐っているとでも言うように、食べられるかどうかに関わらず「食べない」という人は少なくない。
飽食の時代に生まれ、眠れないほどの空腹を感じたことがなければ、食べ物を大切にする気持ちが薄れるのも無理はないのかもしれない。おじいさんのように、自らの実存と食とが結びついたものであるという意識がなければ、殊更に食べ物を大事にする気持ちが起きないのも、しょうがないことなのかもしれない。
たとえ食べ物を捨てるにしても、そこでもまた人によって違いがある。ある檀家さんがこんな明言を呟いたことがあった。
「食べ物を生ゴミとして捨ててるようじゃあ、畑やってる人とは言えねぇな」。
野菜を育てる者としての矜恃とでも言えばいいのか。その言を聞いたときは、思わず拍手をしたくなったものだ。たとえ捨てることになった食べ物でも、コンポストに入れて発酵させれば良質な肥料になる。畑をやっている人であれば、肥料になるものをゴミ袋を買ってまで捨てることに恥じらいを持つべきだ。それがその方の持論である。
もちろん現実にはいろいろな考え方があって、たとえば野良ネコや野生動物にコンポストを荒されては近所迷惑になるからといった理由で生ゴミとして捨てる人もいることだろう。残飯を生ゴミとして捨てることが悪いことでは決してない。そうではなくて、面白いのは、食べ物をどのように考えるかに、意図せずともその人の人生観が現れているところだ。
絶対に食べない人と、絶対に食べる人。お金を払って捨てる人と、堆肥にして再利用する人。実際にはもっともっと微妙で細かな違いがあるだろうし、そこにはその人の人生観が、多少なりとも反映されているに違いない。
私も食べ物に関する忘れがたい思い出がある。永平寺での修行時代のことだ。永平寺というところは、桶に残った一滴の水さえ無駄にしないようにというくらい、あらゆるものを大切に扱うことを生活の基本としている。したがって、食に対しても最大級の丁寧な扱いが求められる。
あれは私が衆寮当番所というところで洗い物をしていた時のことだった。永平寺では、食事は基本的に禅堂という場所で摂るのだが、時間や公務の都合などの事情があって禅堂以外の場所で食べる者もいる。衆寮当番所でも食事をする者がいるのだが、その食事の後の洗い物をしていた時のことだ。
私が流しで粥が入っていた大きな器を洗っていると、一人の古参がやってきて、いきなり怒鳴りつけてきた。
「なんで洗剤を使っているんだ!」
私は、流しに洗剤とスポンジがあったから、スポンジに洗剤をつけて器を洗っていただけだったのだが、なぜか古参和尚はその行為を激しく怒った。「なんで」と言われても、何と返していいのかわからない。洗剤を使うのは洗い物をする上でごく普通の行為ではないか。洗剤を使っていないことを怒られるのならまだ理解できるが、使っていることを怒られるのは理解できない。
困惑して何も答えられないでいると、古参は続けた。
「お前、これをどうするか知らないのか?」
そう言うと古参は私の脇にやってきて、流しの排水溝にはめられているネットを取り出した。そこには、先ほど食べた粥の僅かな残りの米と、野菜の端切れのような、何だかわからないゴミのようなものが泡にまみれていた。これをどうするのか知らないのか、と聞かれて、「捨てる?」以外の答えが出てこない。しかしそれを言ったらどうなるか、本能的に危険を察知して私は何も答えなかった。
黙っている私に業を煮やしたのか、古参は苛立ったようにまた怒鳴った。
「これは明日の朝の粥に混ぜて食べるものなんだよ! だから洗剤を使うな!!」
――いやいや、ご冗談を。私が新米雲水だからからかってるだけでしょう。まったく。もう。これだから先輩は困るわ。……。……え、本当に?
衝撃である。まったく予想外の答えを聞いて、私は文字どおり言葉がなかった。この、排水ネットに残った生ゴミとしか思えないものを翌朝の粥にまぜて食べる……。一体誰がそんな答えを予想できようか。残飯を肥料にするとかいうレベルの有効活用法ではなく、そのまんま、また食べるのである。そんな有効活用の仕方があるだろうか。
その衝撃の事実を知ったあと、私は思いだした。朝の粥には、米や麦のほかに細かな野菜と思しきものが混ざっている粥の日があり、それを新米雲水は「色粥(いろしゅく)」と呼んでいた。色粥は、通常の白粥に比べて野菜の栄養が含まれているように見え、慢性的な栄養不足に苦しむ雲水にとってはありがたい食べ物だった。だから食事の際に色粥だと嬉しく感じていたのだが、もしや、あれが……。
その予感は的中した。我々が色粥と呼んでいたものは、排水ネットに残った残飯などを混ぜた粥だったのである。事実を知ってしまうと、正直、それまでのように色粥を喜ぶことができなくなった。栄養はあることだろう。一応それは野菜のはずだから。これまでと同じく。しかしもう手放しでは喜べない。それまでの私の感覚から言えば、それは生ゴミを混ぜた粥とも言えるものだったのだから。
ただ、それでも食べた。空腹には勝てないし、そもそも食べないという選択肢は存在しない。食べてみれば、味は変わらずに美味い。栄養だってある、はず。唯一、私の心だけが色粥に対して微かな嫌悪のような感情を抱くだけだ。「排水ネット」と「残飯」と「生ゴミ」という概念が、大切な食事の邪魔をした。
いつしか色粥は「笊粥(ざるしゅく)」と呼ばれるようになった。笊とはもちろん、細かな食べ物を誤って捨てないために使用する、排水ネットの上品な呼び方にほかならない。そうして数日毎に、私たちは笊粥を食べた。しばらくはやはり概念が食事の邪魔をした。おいしい粥なのに、どうしても概念が気持ちに水を差す。人間というのはどこまでも好き嫌いから離れられない生き物だと理解するのには十分な体験だった。
ただし、それでも、やがては慣れて嫌とも何とも思わなくなるのだった。何が「普通」かは人によって異なるし、同一人物でも環境や習慣によっていくらでも変化する。人が驚くようなことも、「普通」になるまで習慣化すればもはや何とも思わない。人間は好き嫌いも言うが、しぶとく、たくましい生き物でもあった。そんなふうにして、食べ物に対する意識には、その人の人生が反映されていくのだろう。