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「五観の偈」の意味 ~食事の前に唱える偈文~

五観の偈

五観の偈とは

禅宗を中心に、仏教には食事の前に唱える五観ご かんという短い偈文がある。
偈文というといかにも仏教っぽい感じがするが、「五観の偈」の内容を見てみても特別なことは言っておらず、いたって普遍的な道徳に近い内容となっている。


偈文の詳細は次項に記載するが、大枠として「五観の偈」を俯瞰すれば、それは「食事をいただくにあたって、ただ漫然と食べるのではなく、食事をいただくことができるという事柄を尊び、その想いを5つの観点から述べたもの」といえる。
それでは実際に「五観の偈」を読んでみよう。


「五観の偈」の内容

五観の偈は、次の5つの偈文によって構成されている。
※ここで紹介しているのは、曹洞宗でよく唱えられているバージョンの「五観の偈」。

一 計功多少 量彼来処

ひとつには、こう多少たしょうはかり、来処らいしょはかる。

二 忖己德行 全缺應供

ふたつには、おのれ徳行とくぎょう全欠ぜんけつはかっておうず。

三 防心離過 貪等為宗

つには、しんふせとがはなるることは、貪等とんとうしゅうとす。

四 正事良薬 為療形枯

つには、まさ良薬りょうやくこととするは、形枯ぎょうこりょうぜんがためなり。

五 為成道故 今受此食

いつつには、成道じょうどうためゆえに、いまこのじきく。

現代語訳

上記の「五観の偈」を現代の言葉に訳すと、だいたい次のようになる。

  • 一つ、この食事ができあがるまでに、どれだけ多くの縁の支えがあったか、どれだけ多くの人々の苦労があったか、想いをめぐらします。
  • 二つ、自分は食事をいただくだけの徳行をしたのか、行いを振り返ってからいただきます。
  • 三つ、心を正しく保ち、危うい心から離れるため、もっと食べたいといった貪りの心などは起こしません。
  • 四つ、食事とは良き薬のようなものであり、身心を健全な状態に保つためにいただくことを忘れません。
  • 五つ、仏道を歩み続けていくために、今からこの食事をいただきます。

「貪等を宗とす」問題

「五観の偈」は特別難しい内容ではないが、唯一、三句目の偈文だけは質問を受けることがある。
「心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす」ってどういう意味? と。


たしかにこれは若干わかりにくいかもしれない。
「貪等を宗とす」をそのまま読めば、受け取り方によっては貪りの心を肯定しているようにも読める。


しかしながら、もちろんそのような意味ではない。
上記は曹洞宗でよく読まれる「五観の偈」であり、じつは臨済宗や黄檗宗では三句目を「三つには心を防ぎ過貪等を離るるを宗とす」と唱えている。
これならはっきりと意味がわかる。


つまり「貪等を宗とす」の意味は、「過貪等を離るるを宗とす」であるということ。
曹洞宗バージョンがわかりにくかったから臨済宗や黄檗宗は別バージョンにしたのか、そこのところは詳しく知らないが、三句目に関しては臨済宗や黄檗宗バージョンのほうが文章の意味が明確で圧倒的にわかりやすい。

「五観の偈」の唱え方

「五観の偈」を実際にどのように唱えるのか。
下の動画がわかりやすいように思う。



私が永平寺で修行をしていたときも、この動画の様子とまったく同じように「五観の偈」を唱えて(その後にいくつかの偈文を唱えて)から食事を摂っていた。

生飯の精神

ちなみに、動画のなかで米粒をちょこっとだけつまんで外に取り出している場面があるが、あれは生飯さばと呼ばれるもの。
食事を自分1人だけで食べてしまうのではなく、あらゆる命に対して施しをするという意味で、食事をする僧侶全員が数粒の米粒を取り出し、それを鳥などの動物にあげるのである。


具体的には、食事の最中に、つまみ取った米粒を回収する僧侶が食事中の僧侶の前にやってきて、取り出した米粒を集め取り、外に出て、生飯台と呼ばれる石の台の上に置くのだ。
するとそこへ鳥がやってきて、米をついばんでいく。
あらゆるものの命を利するという精神が具現化した徳行なのである。


生飯台
生飯台


この生飯に関しては、「さばを読む」という言葉のもとになったという説まで存在するのだが、まあ、説の域を出るものではないように思う。
興味のある方は下の記事をどうぞ。

「五観の偈」を一言で

最後に、「五観の偈」の5つの偈文を、それぞれ一言で表現してみたい。

  1. 感謝する
  2. 振り返る
  3. 貪らない
  4. 食物は薬
  5. 仏道歩む


是非については各人の見解にお任せしたい……。


曹洞宗で唱えられるお経・偈文についてもっと知りたい方は、下の記事をどうぞ。