『修証義』とは何か
曹洞宗には『修証義(しゅしょうぎ)』という名前の経典がある。
永平寺の開山である道元禅師が著した大作『正法眼蔵』の中から、在家向けに比較的平易な語句を選び出して再編成されたのが『修証義』であり、『正法眼蔵』のダイジェスト版とでもいうような位置付けとされている経典である。
『正法眼蔵』を一度でも読んだことのある方ならご存じかと思うが、『正法眼蔵』は本当に難解な書物。
それはもう、哀しいほどに難しい。
内容を理解する以前に、言葉を読み進めことがもう困難なのである。
現代語訳された文章の内容を理解することならまだしも、『正法眼蔵』の原文を読もうとすると、その独特な言語感覚の壁にぶち当たって、まともに読むことがままならない。
誤解を恐れずに言えば、それは「道元語」とでも呼ぶべき新言語であり、日本語だとは思わないほうがいい。
道元禅師は新しい言語体系を駆使して、100巻近いあの膨大な書物を書き上げたのである。
『正法眼蔵』について知りたい、または読んでみたいという方は、参考までに下の記事をどうぞ。
『正法眼蔵』とは何か?
『正法眼蔵』「現成公案」の巻を読んでみる
訳すべきか、訳さないべきか
人によっては、『正法眼蔵』を訳することはナンセンスだと主張する人もいる。
『修証義』もまた然り。
道元禅師の言語に触れるから禅師の言わんとするところが感じられるのであり、訳してしまえばそれが損なわれてしまう、というのがその主立った理由である。
理屈はわからなくもないが、それはあくまでも自分が読む際の話だろう。
その主張を一般の方々に対して説くことは適切でない。
原文を読まなければいけない、とは、自分に課す問題であって、他人に強要するものではない。
伝えるとは「伝わって」はじめて伝えたことになる。
伝わらなければ、伝えたとは言わない。
それはただ独り言を言ったのと同じである。
だから道元禅師の教えを伝えようと思えば、伝わるように伝えなければいけない。
それには原文を噛み砕く工程が不可欠で、一度自分の言葉に置き換えなくては、伝えるという行為は正常に機能しない。
その意味で、『正法眼蔵』を伝わりやすいように抜粋し編纂した『修証義』は、それだけで一定の価値があるといえるだろう。
しかしながら、『修証義』ですら原文では読みづらく、やはり現代語訳は必要に思われる。
自分で読むなら原文を。人に伝えるなら訳文を
『修証義』と『正法眼蔵』の関係
曹洞宗では『修証義』を宗典(曹洞宗の中心的教えを説いた経典)に位置付けている。
しかし『修証義』にまとめられたのは『正法眼蔵』の中心的箇所、道元禅師の仏教観の中枢ではないと考え、『修証義』を『正法眼蔵』のダイジェスト版と考えることに異を唱える人もじつは存在する。
その主張に関しては、私も同意する部分が多い。
と言うのも、実際に両者を読み比べれば、『修証義』が『正法眼蔵』のごくごく一部の言葉でしかないことがはっきりとわかるからである。
『修証義』は『正法眼蔵』の哲学的な要素よりも、一般の人々にわかりやすい語句を選び出している。
うまくまとめてあるという印象は受けるが、道元禅師の仏教観をまとめてあるのかといえば、それはほとんど感じられない。
したがって『修証義』を読めば『正法眼蔵』を読んだことになるかといえば、それはまったく当てはまらないだろう。
むしろ『修証義』と『正法眼蔵』はまったく異なる書物としてとらえたほうが適切であるとすら考えられる。
『正法眼蔵』は『正法眼蔵』でしかない。
だから恣意的に一部分を抜き出せば、それはもう『正法眼蔵』ではない。
成り立ちから考えれば『修証義』は『正法眼蔵』のダイジェスト版であると言えるかもしれないが、少なくとも内容に関してはそう考えることが適切だとはどうにも考えられない。
『修証義』を『正法眼蔵』のダイジェスト版と考えることが適切とは言えない
『修証義』の存在意義
ただ、如何せん難しすぎるのだ、『正法眼蔵』は。
何を言っても結局はそこに行き着いてしまう。
だからこそ手頃な文量にまとめた『修証義』が存在することで、多くの人が『正法眼蔵』の片鱗にふれることができるという点において、やはり『修証義』には意味がある。
『修証義』は『正法眼蔵』のエッセンスをまとめたわけでは決してなく、『修証義』は『正法眼蔵』の入口の役割をはたす経典と考えたほうが適切である。
また入口の役割を果たすことこそが『修証義』の最大の効用であるようにも思う。
『修証義』は『正法眼蔵』の入口に相当する経典
『修証義』の概要
『修証義』に書かれている内容は、その名前に表されているように「修(修行)」と「証(悟り)」の「義(意味)」についてであると説明されることが多い。
が、しかし、内容を読めばわかるが、この経典は修行と悟りだけに特化した経典ではない。
むしろ道元禅師の仏教観が総論のように広く浅く記されていると解釈したほうが、読んでいてしっくりくる。
修行観や悟りといった道元禅の核心部分が述べられている箇所は、全体のなかでもかなり少ない。
道元禅師は「禅宗」という言葉を用いることを嫌った。
自分が中国から伝えたのはブッダの説いた教えそのものであって、一宗一派のそれではないという主張のあらわれである。
禅宗と言ってしまえば、それは宗派という偏りに堕する。
だから道元禅師は、自分が日本に持ち帰った教えを何にも偏らない「正伝の仏法」と呼び、ブッダの教えそのものを伝えたと主張した。
『修証儀』にまとめられた文々も、ある意味でそうした「仏教の総論」であると考えて読んだほうが納得ができる。
「不立文字」の禅における『修証義』
禅というのは「行い」を重要視するあまり、経典などから教えを学ぼうとする姿勢が疎かになりやすいと指摘されることがある。
確かにそうかもしれない。
禅には、文字で真理を表すことはできないという意味の「不立文字(ふりゅうもんじ)」という金言が存在する。
ブッダは坐禅によって悟りを開いたのだから、学ぶべきはその「行い」であるとする考え方である。
経典や本ばかりを読み、文字から真理を学ぼうと考えて、実体験であるところの「行い」を疎かにするようでは、物事の本質を体得することは永遠にできないのは道理だ。
それはたとえば、泳ぎを覚えるのに、いくら本を読んだところで泳げるようにはならないのと一緒である。
重要なのはやはり、実際に泳ぐこと、すなわち「行い」のほう。
その意味で、禅の主張は正しい。
ただ禅では、その気運が高まりすぎて、ほとんど文字を軽視するところまでいってしまった感も否めない。
道元禅師が心血を注いで書き残した一大著書『正法眼蔵』でさえ、鎌倉期から徳川の時代まで永平寺の奥深くに眠ったままであったという。
読み物であるはずの『正法源蔵』が、礼拝の対象となり秘蔵されてしまっていたというわけだ。
不立文字という禅の主張は、文字にとらわれることを戒めた言葉であって、文字そのものを軽視することではなかったはずなのだが、気風というのか、禅における坐禅の位置づけはあまりにも重かった。
『修証義』は、そうした風潮におけるアンチテーゼのような性格の経典として、生まれてくるのである。
『修証義』は、文字や言葉を重視する視点から生まれた経典
『修証義』編纂の時代的要請
文字にあまり重きをおかない禅の気風はしばらく続くのだが、明治期になって変革の兆しが現れる。
言葉によって禅の教えを説くことの重要性が考えられはじめるようになり、曹洞宗では明治12~14年に『曹洞教会説教大意並指南』という、いわば布教教化の指南書のようなものが作成されたのである。
しかしながら大方の禅僧は、当然というべきか坐禅重視の傾向にあり、その指南書に関心を示す者は少なかった。
それでも文字の重要性と、言葉による禅の伝道を願う在家者は少なからず存在した。
明治20年には、そうした曹洞宗の在り方を憂える人々が集まり、「曹洞扶宗会」が結成された。
この会に所属した会員らは、今後どのようにして多くの人に禅を伝えていけばよいかということを主題に会議討論を重ねていった。
そのようななか、会員の1人であった大内青巒(おおうち・せいらん)居士が、道元禅師の『正法眼蔵』のなかから、修行(修)と悟り(証)に関連する語句を抜き出し、『洞上在家修証義(とうじょうざいけしゅしょうぎ)』という本を編纂し、他の会員に配った。
当初、会員内においてのみ伝道の助けとして配布された本であったが、その後、曹洞宗の大半の寺院がこの扶宗会に加入することになり、『洞上在家修証義』は多くの僧侶の目にするところとなった。
そうしたところ、この本を在家の方々への布教の根本に位置付けてはどうかという意見が生まれ、曹洞宗として正式にこれを採用してほしいと、両本山(永平寺・總持寺)に建議がなされるに至ったのである。
これを受けて両本山は『洞上在家修証義』を詳細に検討した。
その結果、これは在家の人のみに対するものではなく、曹洞宗僧侶に向けても非常に有意義な内容であることが認められ、当時の永平寺貫首・滝谷啄宗(たきや・たくしゅう)禅師、總持寺貫首・畔上楳仙(あぜがみ・ばいせん)禅師を筆頭に推敲が重ねられ、細かな修正が施された。
こうした経緯の末、明治23年(1890年)に刊行されるに至ったのが『修証義』なのである。
※刊行当時は『曹洞教会修証義』という名称であったが、後に『修証義』と改名された。
『修証義』は大内青巒:編集、両大本山:監修、の経典
『修証義』の構成
修証義は、5章、31節、3704文字からなる経典である。
そのほとんどが『正法眼蔵』から抽出された言葉によって構成されており、比較的平易な言葉が選ばれていることもあって、禅の思想の入門書に格好の書物といえる。
その内容は、道元禅師が標榜した「正伝の仏法」の精神を受け継ぐもので、一宗一派に偏ったものではない。
誰にとっても受け入れることのできる普遍的な教えであることから、『修証義』は曹洞宗の宗典とされているにも関わらず、宗派を問わず親しまれてもいる。
修証義は5章より構成されるが、それぞれの章には次の名称が付けられている。
・ 第一章 総序(そうじょ)
・ 第二章 懺悔滅罪(さんげめつざい)
・ 第三章 受戒入位(じゅかいにゅうい)
・ 第四章 発願利生(ほつがんりしょう)
・ 第五章 行持報恩(ぎょうじほうおん)
以下、それぞれの章の概要について簡単にまとめておきたい。
第一章 総序
第二章~第五章が各論であるのに対し、第一章はそれらの総論、あるいは総体的な序文というような位置付けとなっている。
仏法の基本的な概念についての章ともいえる。
第二章 懺悔滅罪
私たちは知らず知らずのうちに罪を犯してしまっていることがある。
罪を犯しながらそれが罪とわからないのは、善悪についての認識が定まっていないからでもある。
第二章では、そういった無知による罪を懺悔し、身と心を浄らかにすることの重要性が説かれている。
第三章 受戒入位
仏法を理解するのは、知識として頭でのみ理解するのではなく、必ず行動と実体験をともなった「体解」でなければ本物でない。
そして実体験としてこれを理解するには、実際に戒を受けることが理想であるといえる。
第三章では、仏教を理解するのではなく、仏道を歩むというニュアンスにより近づくために存在する戒について述べられている。
第四章
仏道を歩む者に求められるのは、自分よりも先に他を救おうとする「菩薩行」。
そうした他を利する菩薩行の具体例として、第四章では布施・愛語・利行・同事の4項目「四摂法(ししょうぼう)」が説かれている。
第五章 行持報恩
人間として正しく幸せに生きることができるのは、教え導いてくれた多くの縁があったからこそのもの。
そうしたあらゆる縁への感謝を忘れず、恩に報いるような生き方をすることが、仏道でもある。
人生をなおざりにせずに生きることが、第五章では説かれる。