舎利礼文の意味と現代語訳 ~曹洞宗で読まれるお経・経典~
大乗経典の1つである『舎利礼文』は、本文がわずか72文字と、とても短い。
短くて有名な『般若心経』でさえ270文字程度はあるのだから、随分と短いことがわかる。
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『舎利礼文』の内容を簡単に説明すれば、釈迦(ブッダ)の舎利(遺骨)を礼讃する言葉からはじまり、礼拝によって真理の智慧を開き、仏として生きることを説く経典であるといえる。
舎利を礼拝するという内容であることから、葬儀や枕経、焼香などの際に読まれることが多く、曹洞宗をはじめ、多くの宗派で読まれるお経ともなっている。
また舎利礼文には「舎利三遍」という言葉があり、一遍読んで終わるのではなく繰り返し三遍読む慣わしが昔からある。
焼香の際などに何度も繰り返して読まれるのはそのため。
人が亡くなり、最後に残るものが舎利、つまりは遺骨である。
舎利礼文はその遺骨を礼讃する経典。
ブッダの遺骨は8つに分けられ、8つの部族がそれぞれの地にストゥーパ(墓)を建立して安置をしたという記録が仏典に残っている。
そのストゥーパは形を変えつつ、現代では墓石という形で日本にも受け継がれており、納骨の習慣もまた脈々と受け継がれている。
彼岸などの時期にお墓参りに出掛けられる方は大勢いらっしゃるが、墓石の前で手を合わせて故人の冥福を祈る姿は、仏舎利を礼拝する姿そのもののようにも見える。
そう考えると、舎利を篤く礼拝する舎利礼文というお経がとても身近なものに感じられる。
内容を知れば、より一層。
原文
舎利礼文
一心頂礼 万徳円満 釈迦如来
真身舎利 本地法身 法界塔婆
我等礼敬 為我現身 入我我入
仏加持故 我証菩提 以仏神力
利益衆生 発菩提心 修菩薩行
同入円寂 平等大智 今将頂礼
読み下し文
舎利礼文
一心に、万徳の円満なる釈迦如来に、頂礼したてまつる。
真身の舎利、本地の法身、法界の塔婆を、我れ等しく礼敬すれば、我が為に身を現じ、入我我入す。
仏の加持の故に、我れ菩提を証し、仏の神力を以て、衆生を利益し、菩提心を発さしめ、菩薩の行を修して、同じく円寂に入らん。
平等の大智に、今まさに頂礼したてまつる。
現代語訳
釈尊の遺骨を礼讃する言葉
心から、あらゆる徳を円満に具えた釈迦牟尼仏を礼拝する。
釈迦牟尼仏の御体そのものである舎利と、存在の真理を説いた法の教えと、釈迦牟尼仏と出会い礼拝することのできる場所としての墓塔の、そのすべてを礼拝し篤く敬う。
そのとき我執は消え去り、目の前に現れている真理と私とを隔てる壁もなくなり、私は真理のなかに息づく。
仏が人々を加護しているからこそ、人々は仏と出会うことができ、そして人々は仏とは何かを悟ることができる。
これこそが仏の神力と呼ぶべきものである。
この神力によって人々に智慧を目覚めさせ、歩むべき道を示して救い導き、仏として生きる心を起こさせ、そうして仏の行いを続けることによって人々は円満にして寂静なる仏となる。
この世界にありふれる真理の智慧を、今まさにこの身に受け取り、深く礼拝する。