山岡鉄舟(やまおか・てっしゅう)といえば幕末を生きた剣術の達人であり、政治家としても手腕を振るった人物として知られているが、個人的な印象としては「禅者」という言葉がぴったりだと感じられる。 鉄舟という名前は本名ではなく居士号だが、そこに一抹…
実際に髪を剃る際、どのように剃ればいいのか。もし髪が長い(1cm以上)場合、そのままでは剃ることが不可能であるため、まずはバリカンで一度髪の毛全体を限界まで短くしておく必要がある。 バリカンには髪の毛の長さを調節してカットするためのアタッチメ…
うちには置き薬がある。 お寺という、人が集まる場所という性格も相まって、数社の置き薬がある。 そのため、月に1回はどこかの製薬会社の担当者が訪ねてくる。 箱の中をチェックし、使ったものがあればその分の代金を払い、補充をしてもらう。 ただ、あま…
辞書に書かれている「肉食せずに菜食すること」という意味は、精進という言葉の2番目の意味となっており、1番目ではない。 では1番目にはどのような意味が書かれているかというと、こう書いてある。 「修行に励むこと」 そう、精進という言葉の意味は「修行…
「ざぜん」は、「坐禅」と書くのが正式であり、「座禅」ではない。 「广」はいらないのだ! あってもなくてもどちらでもいいのではなく、付けたら誤用であるということも含めて、この場をお借りして説明させていただきたい。 最近はいろんな場所で坐禅会が開…
誰かを好きになったり誰かに恋をしたりすることと、誰かを愛することは、似ているようでまったく違うこと。 人を好きになると、相手も自分のことを好きでいてくれることを望むようになるだろう。 「恋が叶う」とは、まさにその望みが叶った状態をいった言葉…
『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は、日本曹洞宗の開祖である道元禅師が20年以上の歳月を費やして著した一大仏教書である。 日本仏教史上、最高峰に位置する書物と称されることもしばしばだが、難解さという点においても間違いなく抜きん出た実力の書物と…
先日、暖かな冬の日に托鉢をした。 現代でも地域によっては托鉢をする僧と出会うことが珍しくないところもあるが、大多数の方にとっては、托鉢をする僧と出会う機会などほとんど存在しないのではないかと察する。 偶然に托鉢中の僧と出会うことがあっても、…
卒塔婆の原語であるストゥーパとは「仏塔(舎利塔)」のことであり、お釈迦さまの骨を埋めたお墓や、礼拝の対象となる塔を意味しています。 このストゥーパが漢字圏の中国へ伝わった際に卒塔婆という漢字で表記されるようになり、以後、ストゥーパは中国や日…
「啐(そつ)」とは、卵の中の雛が「もうすぐ生まれるよ」と内側から殻をつつく音。 「啄(たく)」とは、そんな卵の変化に気づいた親鳥が、「ここから出てきなさい」と外側から殻をつつく音。 殻を破る者と、それを導く者。そんな両者の「啐」と「啄」が同…
『般若心経』は短いお経であり、おそらく日本でもっとも広く知られているお経である。 知られるだけの内容が、確かにこの経典には存在する。 ただ、読めばその内容が理解できるかといえば、それは難しいと言わざるをえない。 基礎的な仏教の知識がなければ理…
禅という言葉は、サンスクリット語の「ディヤーナ」、パーリ語の「ジャーナ」の漢訳である。サンスクリット語とはインドに古くから存在する由緒正しい言語で、パーリ語はその俗語。 日本でいう標準語と地方の方言みたいな関係と大雑把に考えていただければい…
禅語「冷暖自知」は、私が大好きな禅語の1つである。 この禅語は自分で体験することの重要性を説いている。 たとえば、友達がイタリアンのお店に行って 「あそこのピザがすごく美味しかったよ」 と教えてくれたとする。 すると私は、 「あのイタリアンの店の…
仏教経典、いわゆる「お経」と呼ばれるものは膨大な種類にのぼるが、そのなかで曹洞宗においてよく読まれるお経はかなり限られる。 ここではそれらのなかでも比較的よく読経されるものを掲載し、その経典の紹介していきたい。般若心経。大悲心陀羅尼。舎利礼…
曹洞宗と臨済宗はどちらも禅の流れを汲む宗派で、親戚関係のような、お隣さんのような、とても近しい関係にある宗派同士となっている。 どちらも抽象的な理論よりも実践的な経験を重んじ、自然を真理そのものとして受け入れて、自然に順応するような生き方を…
縁起とは「縁(よ)りて起こる」という意味で、禅語というよりも仏教語といったほうが正しいかもしれない。が、とりあえずここでは広義の禅語としておく。 この縁起という言葉にはいくつかの異なった意味がある。 まず、世間一般では「縁起を担ぐ」「縁起で…
食事の前に唱える五観の偈という短い偈文がある。 偈文の詳細は次項に記載するが、大枠として「五観の偈」を俯瞰すれば、それは「食事をいただくにあたって、ただ漫然と食べるのではなく、食事をいただくことができるという事柄を尊び、その想いを5つの観点…
通常、世間一般的な理解としての輪廻は、おそらく次のようなものである。 人は死後、肉体や物質的なものではない精神的な何か、いわゆる魂とよばれるようなものが身体から抜け出し、別の命に宿り、次の人生を生きるようになる。それはこの人間の世である場合…
禅の考える幸せは、いたってシンプル。 キッチンから大さじを持ってきて、コップから水を一杯すくいとる。きっかり15cc。大さじ一杯の水を得て充足とする。 水を増やすのではなく、器を大さじという小さなものに変えるのである。 2/1の状態を2/2にするのでは…
江戸時代後期の曹洞宗の僧侶に風外本高(ふうがい・ほんこう)がいる。 紅葉で有名な愛知県の足助の香嵐渓(こうらんけい)にある香積寺の25世住職であった風外は、その前は大阪の寺院で住職をしていた。 そこへ足助の人々や役人がやってきて、ぜひ香積寺の…
前回、法灯明という禅語について綴った。 ブッダが亡くなる前に弟子たちに残した最期の言葉である。 真理、つまり本当に正しいことを頼りにして生きていきなさいという意味の禅語であった。 その法灯明という禅語とともに、ブッダはもう1つの禅語を弟子たち…
年が明けた。 巷では、めでたいめでたいと正月気分のまっただ中なのだろうが、そんなお祝い気分に水を差すような禅僧の逸話を1つご紹介したい。 一休さんこと、一休宗純禅師が著わした『狂雲集(きょううんしゅう)』という詩集に掲載されている一句にまつ…
物にも魂は宿る。 だから親しんだ物は簡単に捨てるのではなく、供養を施して焚き上げる。 そのような慈しみの心から営まれる人形供養の実際の雰囲気が知りたくて、人形供養の現場を訪問してみた。 訪れたのは、知人の僧侶が半年ほど前から毎月人形供養を勤め…
一休宗純という名前ではあまりピンとこないかもしれないが、これが頓知で有名な一休さんの正式な名前である。 アニメの影響からなのか、無理難題に対してひねりを効かせた頓知でするりとかわしていくようなイメージが強いが、書物に登場する一休さんはもっと…
葬儀を終えたあとには、故人の冥福を祈る追善供養の法要が勤められます。 ここでは、葬儀後、四十九日を迎えるまでにおこなわれる「中陰(ちゅういん)法要」と、さらにその後におこなわれる「回忌(かいき)法要」について、僧侶側から説明します。よくわか…
修証義は5章、31節、3704文字からなる経典である。 そのほとんどが『正法眼蔵』から抽出された言葉によって構成されており、比較的平易な言葉が選ばれていることもあって、禅の思想の入門書に格好の書物といえる。 その内容は、道元禅師が標榜した「正伝の…
曹洞宗の大本山であり、禅の修行道場として名高い永平寺には、いつ頃から語られ始めたのか定かではない「七不思議」が存在する。 少々不気味で、しかし妙なリアリティもある永平寺の幽霊物語を、ひっそりとご紹介しよう。 ①夜鳴杉 ②七間東司 ③山門柱の礎石 ④…
葬儀は、何をやっているのかがわかりにくい。 もしくは端的に、わからない。 もうちょっとどうにかならないものか。 そのような要望にお応えするために、曹洞宗の葬儀の流れと、それぞれの儀式の意味についてご説明したいと思います。 (adsbygoogle = window…
仏教ではよくお香が用いられる。 香りを供えることはとても尊い供養であるという考え方が仏教にはあるため、葬儀や法事などの仏事では必ずといっていいほど焼香が行われるようになっている。 その焼香に使用されているあの細かく刻まれたお香であるが、あれ…
猫は決してバカではない。 むしろ、猫はちゃんとわかっている。 自分にとって小判が不必要なものであることをわかっている。 だから与えられても手にしない。猫の視点から考えるなら、「猫に小判」という諺は「無用の長物」と同等の意味となるだろう。 猫の…