禅の視点 - life -

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【風外本高】紅葉の名所、足助の香嵐渓で暮らした禅僧

風外本高,もみじの紅葉

【風外本高】紅葉の名所、足助の香嵐渓で暮らした禅僧

江戸時代後期の曹洞宗の僧侶に風外本高(ふうがい・ほんこう)がいる。
紅葉で有名な愛知県の足助の香嵐渓(こうらんけい)にある香積寺の25世住職であった風外和尚は、その前は大阪の寺院で住職をしていた。


そこへ足助の人々や役人がやってきて、ぜひ香積寺の住職になっていただきたいと招かれて足助の地に赴くことになったわけである。
当初この話を断わろうと考えていた風外和尚であったが、足助の人々の熱意に動かされて最後には香積寺の住職になることを決意したという。


足助に移り住んだ風外和尚は説法が上手だったことで人々から慕われたが、歴史的にはむしろ画僧としての評価のほうが名高い
幼少のころから絵を描くことを好んだ風外和尚は、僧侶となってからもいよいよその画風を磨いていった。
仏画を描くことで、仏に込められた想い、言葉では表現できない想いを人々に伝えたいとの願いがあったとも言われている。


そんな風外和尚は説法をする際に例え話をすることが多かったようだが、なかでも好んで用いたのが「虻と障子の話」である。
悩み事に対するアドバイスや喧嘩の仲裁などをする際に、風外和尚はただ一方的に教えを説くのではなく、例え話をしてあとは本人に考えてもらうという方法をとった。


そのような意図の裏には、仏法というものは結局のところ自分自身で考えて気付くことでしか得られないものだという考えがあったようだ。

風外本高,足助の香嵐渓の紅葉


虻と障子の話

風外和尚がまだ大阪に住していたころ、寺院はだいぶ荒廃が進んでいた。
障子もところどころ破れており、すきま風が入ってくるような状況だった。


そんなある日、部屋のなかに一匹の虻が迷い込んできた。虻は外に出ようと障子へ頭をぶつけるのだが、なかなか障子を通り抜けることができない。
すぐ隣に破れた箇所がいくつもあるのだが、よりによって破れていないところばかりに頭をぶつけて外に出られないでいる


風外和尚はしばらくその虻を眺めた。そして思った。
ちょっと身を引いて、一歩後ろに下がって、広い眼で辺りを見渡してみれば、外へ出る道をすぐに見つけることができるにも関わらず、虻にはそれができない
自分の目の前のことしか見えておらず、視野が極端に狭いのだと。


何度も障子に頭をぶつけ続けて、出口がわからずにひたすらもがいている。
これは何も虻に限った話ではない。
人間だって同じだ。


怒りで頭に血が上っているときや、思い込みで視野が狭まっているときなど、人もこの虻と同じように出口を見つけることができずにもがくことがある。
一歩だけでいいから下がって、冷静に辺りを見渡すだけでいいのに。


それから風外和尚は、悩み事を相談されたときや喧嘩の仲裁に入ったときなど、様々な場でこの虻と障子の話を例えに解決の道を示した。
例え話によって当人が、自分で自分の過ちと正しい道とに気付けるよう、そっと導いてきたのである


正しい道を説くのではなく、あくまでも例えを提示するだけだった風外和尚の手法に、人々は何を思っただろうか。
人から指摘されると余計に腹が立つということもあるから、この方法はきっと評判がよかったのではないか。


悩みというのは往々にして視野を狭めるものである。
知らず知らずのうちに1つの考えに捉われてしまい、存在するはずの解決の糸口がまるで見えなくなってしまうことがよくある。
人から指摘されてはじめて気付くということがあるが、風外和尚が説いたのはまさにそこなのだろう。


答えを説く必要はない。そもそも答えは本人のなかにしかない。本人が考える以外に得ようがない。
風外和尚が説いたのは答えではなく、答えにいたる道筋だった。

風外本高,足助の香嵐渓の紅葉・もみじ


風外本高が暮らした紅葉の名所、香嵐渓

2005年に足助は豊田市に編入した。
足助に親戚が住んでいたことから、私は小さな頃から香嵐渓でよく遊んだ。


川は清く、紅葉は美しく、紅葉狩りのシーズンには屋台が軒を連ねていた。もみじの天ぷらや刀削麺を食べたことをよく覚えている。もみじの天ぷらは見た目が9割の食べ物だったが、刀削麺のほうは美味しかった。


ライトアップされた夜のもみじは幻想的な雰囲気を帯びていて圧倒された。
ただ子どものころは、はっきりと美しい昼間のもみじのほうが好きだった。夜のもみじはどこか人工的な雰囲気があって、創りだした絶景のようにも感じられた。


香嵐渓は東海地区随一ともいわれる紅葉の名所である。
11月の中旬~下旬にかけて、4000本のもみじが黄、オレンジ、紅に染まる。


そんな紅葉狩りの時期には、香嵐渓につながる国道153号線はかなり渋滞する。夕方は特に。
東海環状自動車道の豊田勘八ICを下車して国道153号線を飯田方面へ走れば、距離にして13kmほどにもかかわらず、実際には1時間以上かかることもざらである。
香嵐渓のライトアップは21時までなので、観光を予定する場合には早めの出発をおすすめしたい。


8時に到着する予定で出発したら、遅れてしまってライトアップが終了していた、という事態に私も一度陥ったことがある。
そのあたりの事情については、足助観光協会のHPが詳しい。




香嵐渓の東にはお椀に盛ったご飯のようにふくらんだ飯盛山がある。その飯盛山の山腹に風外が住した香積寺は佇んでいる。
もみじに囲まれたこの古刹へ、足助を訪れた際にはぜひとも足を運んでいただきたい。


風外和尚はもうこの世を去ったが、風外が説いた例えの数々は、今も香積寺にひっそりと息づいている。本堂の柱に、境内のもみじに。
その息づかいを、香嵐渓を訪れた際にはぜひとも感じてみていただきたいと思う。