禅の視点 - life -

禅語の意味、経典の現代語訳、仏教や曹洞宗、葬儀や坐禅などの解説

中陰法要と回忌法要(年忌法要)について僧侶が解説

中陰法要,回忌法要

葬儀後の法要 ~中陰法要と回忌法要(年忌法要)~


大切な方を仏の世界へと送り出す葬儀を終えたあとには、故人の冥福を祈る追善供養の法要が勤められます。
ここでは、葬儀後、四十九日を迎えるまでにおこなわれる「中陰(ちゅういん)法要」と、さらにその後におこなわれる「回忌(かいき)法要」について説明します。


なお、回忌法要は年忌法要や年回法要とも呼ばれますが、どれも意味するところは同じです。
ここでは回忌法要という名称を用いていきたいと思います。
同様に、中陰法要も中陰供養と呼ばれることがありますが、ここでは中陰法要という名称を用います。


中陰法要


人が亡くなられてから「四十九日(しじゅうくにち)」を迎えるまでの期間は、「中陰」や「中有(ちゅうう)」、「忌中」などと呼ばれます。
中陰・中有という言葉は、インド古来の世界観から生じた言葉で、人が亡くなってから次の生へと生まれ変わるまでの期間を意味しています。
その期間が49日とされてきたので、中陰・中有の期間を「四十九日」という名称で呼ぶこともあります。


一方、忌中という言葉は仏教というよりも神道に近い考え方で、死の穢れから離れるため、または隔離するため、一定期間身を慎むべきとされる期間を意味しています。
日数は中陰と同じく49日と考える場合が多いです。


したがって、中陰と忌中では日数が同じでも意味するところはまったく違っており、仏教としては中陰・中有といった考え方で四十九日を受け止めたほうが適切であると言えます。

追善供養


中陰法要を行う理由とは何でしょうか。


インド仏教では、四十九日の間は7日ごとに冥界で故人の審判が行われ、次に生まれ変わる世界が決定されるという思想がありました。


そのため、中陰の7日ごとの日には、現世に生きる人々が故人のために功徳を届け、よりよい世界へと生まれ変わるための縁を築こうとしたのです。
そうしたことから、「追って善(功徳)を届けるための供養」ということで追善供養といった法要が生まれました。


ただし、日本における中陰は、生まれ変わりの期間というよりも、故人が仏の世界に辿り着くまでの旅路・修行期間ととらえられることが多いです。
中陰という名前で呼んでいるものの、本当に生まれ変わりの期間と考えているわけではありません。

中陰法要の種類


中陰法要には、以下のような種類があります。
中心となるのはやはり、7日ごとの節目に行われる法要である「初七日(しょなのか)」「二七日(ふたなのか)」「三七日(みなのか)」「四七日(よなのか)」「五七日(いつなのか)」「六七日(むなのか)」「七七日(なななのか)=満中陰(まんちゅういん)の各法要ですが、それら以外にも行われることのある法要がありますので、順に説明していきます。


なお、中陰法要には多くの別称がついています。
たとえば初七日には初願忌という別称がついているように。
それらの名称の意味は諸説あり、これが正しいと1つに規定することはできません。
ここでは比較的よく用いられている別称と、名称の説明をいくつか挙げていきたいと思います。

三日経(開蓮忌)


初七日法要よりも前、故人が亡くなられてから3日目に行う法要を「三日経(みっかぎょう)」や「開蓮忌(かいれんき)」と呼びます。
近年は葬儀後や収骨後などに初七日法要と併修される場合が多いです。
地域によっては略されることもあります。


三日経を開蓮忌と呼ぶのは、故人が無事に仏の世界へ辿り着くことを願い、仏の象徴としての「蓮」と、それが「開」きはじめたという「新たな出発」の意味を込めたものと考えられています。

初七日(初願忌)法要


7日ごとの中陰法要の最初に行う法要です。
初願忌(しょがんき)法要とも呼ばれますが、これは故人の冥福を願う最初の法要という意味や、仏さまの世界へと向かう願いを起こすという意味だと考えられています。

二七日(以芳忌)法要


2回目(14日目)の節目に行う中陰法要です。
以芳忌(いほうき)とは、仏の世界へと向かう旅の途中にあるといわれる三途の川を渡るため、芳船に乗る頃に行う法要といった意味になります。
また、芳しい香りを届ける中陰法要という意味と説明されることもあります。

三七日(洒水忌)法要


3回目(21日目)の節目に行う中陰法要です。
三途の川の水が身に注がれる頃、つまりは仏さまになるために身が浄められた頃に行われる法要のため、洒水忌(しゃすいき)という別称が付けられています。

四七日(阿経忌)法要


4回目(28日目)の節目に行う中陰法要です。
阿経忌(あぎょうき)とは、曲がり角を迎えた頃と説明されたり、仏の教え(お経)に沿って歩く頃と説明されたり、阿弥陀経を唱えて修行をしている頃と説明されることが多いです。

初月忌法要


故人が亡くなられてから最初にやってくる月命日に行う法要が初月忌(しょがっき)法要です。
亡くなられてから1ヶ月後になりますので、通常、四七日と五七日の間に位置しますが、7日ごとの中陰法要を行っている場合は初月忌法要を略す場合も多くなっています。

五七日(小練忌)法要


5回目(35日目)の節目に行う中陰法要です。
小練忌(しょうれんき)とは、仏となるための修行が少しずつ練られてきたという意味になります。


また、俗信として、満中陰となる四十九日法要(満中陰法要)まで3カ月にわたる場合、「三月またぎ」と言い、縁起が悪いとする考え方があります
ただしこれには何の根拠もなく、


三月(みつき)
  ⇩
身付(みつき)
  ⇩
身に付く


という、ただの語呂合わせの迷信にすぎません
したがって「三月またぎ」を気にする必要はないでしょう。


どうしても気になるという場合、満中陰の期間を早めて五七日(小練忌)に満中陰の法要を行うといった事例もありますが、そこまでこだわって考える必要はないと言えます。

六七日(檀弘忌)法要


6回目(42日目)の節目に行う中陰法要です。
仏さまと同じ世界に上がる、仏さまと同じ檀に上がる頃の法要ということから、檀弘忌(だんこうき)と呼ばれます。

七七日(大練忌)法要


中陰の最後に行われる四十九日の法要です。
中陰の期間が満たされたことから満中陰の法要と呼ばれることが多く、また四十九日を忌中ととらえた場合には忌明けの法要と呼ばれることもあります。


一方、寺院側では大練忌(だいれんき)法要と呼ぶことが少なくありません。
大練忌とは、仏道修行が大いに練り上げられ、無事に仏さまの世界へと辿り着いた、仏さまになられた、といった意味の言葉となります。


満中陰、忌明け、大練忌。
名称は様々ですが、四十九日という、中陰供養の最後に勤められる大きな法要になります。
基本的には故人が仏さまの世界に入られたことを労い尊ぶ意味の法要となりますので、法事のあとには精進落としの料理が振る舞われることもあります。

精進落とし


忌中にともない身を慎むという習慣から、四十九日のあいだは肉類を断った食事を摂るといった考え方があり、その期間が終ったあとに通常の食事に戻すことを「精進落とし」と呼びます


ただし、現在における精進落としは、葬儀や初七日法要を終えた際に、僧侶や世話人などの労をねぎらう形で振る舞われる食事を指すことが多く、満中陰に振る舞われる食事を精進落としと呼ぶ習慣は薄まってきています。


百箇日(卒哭忌)法要


中陰法要と年忌法要のあいだに、どちらにも属さない法要が1つだけあります。
それが、故人が亡くなられてから100日目に行われる百箇日法要になります。


この百箇日法要は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれます。
「卒」は卒業、「哭」は声をあげて泣くことを意味しており、したがって故人を亡くした悲しみを卒業する法要といった意味合いとなっています。


ただし、必ずしも悲しみが100日で消えるわけではなく、涙も卒業することができるかといえば、それもわかりません。
なので、絶対に卒業しなければいけないという意味ではなく、悲しみというものに対して1つの区切りをつけ、また明るく前を向いて生きていくきっかけの法要といった受け取り方をしていただければと思います。


百箇日法要に限りませんが、どの法要を行い、どの法要を行わないかは、それぞれの寺院によって異なっています。
ここに挙げた法要をすべて執り行っている寺院はむしろ少ないと思いますので、実際に供養を申し込む際には、各寺院に直接問い合わせてみてください。

回忌法要


故人の冥福を祈る追善供養には、年単位で行う回忌法要もあります。
ただしこの回忌法要も、地域や宗派、各寺院によって、執り行う年に違いが見られます。
ここでは比較的よく行われる回忌法要を中心に挙げていきたいと思います。

周忌と回忌の数え方の違い


各回忌法要をみていく前に、周忌と回忌の違いについて確認をしておきたいと思います。
たとえば、一周忌が命日から1年後に行われるのに、なぜ三回忌は命日から2年後に行われるのか、その理由についておさらいしておきましょう


一周忌と三回忌の数え方の違いについて、よく質問を受けることがあります。
覚えておくべきポイントは、「回忌」という数え方をした場合、1回目の忌日は亡くなられた当日を指すということです。


「周忌」が「亡くなられてから何年経ったか」を意味しているのに対し、「回忌」は「何回目の忌日か」を意味しています。
そして1回目の忌日は亡くなられた当日になります。
したがって必然的に、回忌のほうが周忌よりも1つ数が多くなります。


命日を0と数えるのが「周忌」


命日を1と数えるのが「回忌」


と考えてみると、わかりやすいのではないでしょうか。


周忌は文字どおり、1周(年が1つ周る)して、はじめて一周忌です


回忌の場合は、亡くなられた当日が1回目の忌日で、丸1年が経過した日が2回目の忌日となり、丸2年が経過した日が3回目の忌日となります。
三回忌が2年後に行われるのはそのためです。
周忌の数え方と混同すると年忌法要の年を間違えてしまいますので注意しましょう。


また、寺院には年回表といったものがあり、今年の各年忌法要には何年に亡くなった方が当たっているかを確認することができますので、自分で数えることに不安がある場合は、そういったもので確認してみてください。
もちろんネットでもすぐに調べることができます。

回忌法要の種類


それでは実際に回忌法要にはどのようなものがあるのかを見ていきましょう。
回忌法要にも、中陰法要と同じように別称がついています。
様々な別称があるのですが、ここでは比較的有名な別称を紹介していきたいと思います。

一周忌(小祥忌)法要


故人が亡くなられてから1年後に行われる法要が一周忌法要です。
満1年の法要であり、寺院側では小祥忌(しょうしょうき)と呼んでいます。


「祥」は「めでたい」を意味する言葉ですが、なぜ亡くなられたのに「祥」といった言葉が用いられるのか不思議に思われるかもしれません。


これは、故人が仏さまになられてから1年が経過し、安らかな心となって残された者を見守る存在となられたことを尊んでいるためです。
つまり、「仏さまとしての1歳の誕生日」といった受け止め方を寺院側ではしているため、「祥」の字が用いられているというわけです。

三回忌(大祥忌)法要


故人が亡くなられてから2年後に行われる法要が三回忌法要です。
1回目の忌日が亡くなられた当日を指すので、2年後が三回忌法要になります。


この三回忌は大祥忌(だいしょうき)とも呼ばれています。
これは、中陰法要のなかにあった小練忌と大練忌の関係と同じで、故人が仏さまになられてすっかり安定し、大いに尊ばしいという意味になります。


回忌法要の場合、三回忌までは親戚や関係者など、比較的大勢で法要を勤めることが多く、七回忌以降は身内で行うといった傾向がみられます。

七回忌(休広忌)


故人が亡くなられてから6年後に行われる法要が七回忌法要です。
この七回忌あたりから、法事の規模を縮小させるケースが多く見られます。


七回忌の別称は休広忌(きゅうこうき)で、「休」はすっかり落ち着いた様子を表し、「広」は仏さまの徳が広まっていく様子を表しています。
したがって、故人が仏さまになられてすっかり落ち着かれたことを尊ぶのが、七回忌の法要の意味ということになります。

十三回忌(称名忌)法要


故人が亡くなられてから12年後に行われる法要が十三回忌法要です。
仏さまになられてから干支が一巡し、その時間と故人の徳を偲ぶ法要になります。


十三回忌の別称である称名忌(しょうみょうき)の「称名」とは、仏さまの名前を唱えることであり、年月の経過とともに故人が仏さまの一人として名前を唱えられるべき存在になったことを意味します。
徐々に仏さまとしての純度が上がっていくような感じとでも表現すればいいでしょうか。

十七回忌(慈明忌)法要


人が亡くなられてから16年後に行われる法要が十七回忌法要です。
時代を遡るほど回忌法要の数は少なく、十七回忌が行われるようになったのは16世紀頃ではないかとも言われています。


慈明忌(じみょうき)とは、仏さまとしての慈悲のありようが、益々明らかになってきたという意味合いになります。

二十三回忌(思実忌)法要


故人が亡くなられてから22年後に行われる法要が二十三回忌法要です。
二十三回忌と二十七回忌は、江戸時代になってから行われるようになったと考えられています。


また、思実忌(しじつき)とは、故人の生前の行いに思いをめぐらすといった意味合いになります。

二十五回忌(永光忌)法要


故人が亡くなられてから24年後に行われる法要が二十五回忌法要です。
古い年代の頃には二十五回忌が最後の回忌法要であった時代もあり、干支が二巡したことで故人もすっかりご先祖さまの一員になられたといった受け止め方もされていたようです。


二十五回忌の別称である永光忌(えいこうき)は、仏さまの光が永遠に輝き続けるようにといった願いが込められています。
最後の法要といった意味合いが感じられます。


また、現在では二十五回忌法要を行う場合、二十三回忌と二十七回忌の法要は行われないことが多いです。

二十七回忌(忍光忌)法要


人が亡くなられてから26年後に行われる法要が二十七回忌法要です。
忍光忌(にんこうき)は仏さまの光を偲ぶという意味合いですが、後世になって付与されたものだとも言われています。

三十三回忌(清浄本然忌)法要


故人が亡くなられてから32年後に行われる法要が三十三回忌法要です。
この三十三回忌法要をもって、回忌法要を最後にしている寺院は多くあります。


別称である清浄本然忌(しょうじょうほんねんき)とは、故人が清浄な自然本来の姿へと還っていくというような意味合いであり、仏さまとしての性格から、ご先祖さまといった存在になっていくような意味合いの名前になっています。
二十五回忌と同様、1つの区切りといった印象を受ける別称です。

三十七~四十七回忌法要


十三回忌のあと、寺院によっては三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌の法要を行う場合もありますが、五十回忌まで期間をあける場合もあります。
このあたりは寺院によってだいぶ違いがみられます。

五十回忌(阿円忌)法要


人が亡くなられてから49年後に行われる法要が五十回忌法要です。
三十三回忌が最後でない場合、この五十回忌法要をもって最後の回忌法要としている寺院が多いです


別称である阿円忌(あえんき)とは、一つの円(真なる仏の世界)のなかに故人が入られたという意味で、円か(完成)という意味合いになります。
仏さまからご先祖さまへなられたのだという、回忌法要の大きな区切りと言えるでしょう。


弔い上げと遠忌


回忌法要を勤め終ることを、「弔い上げ」と呼ぶことがあります。
弔い上げを何回忌に設定するかは寺院によってバラバラですが、比較的多くみられるのは、三十三回忌か五十回忌の法要でもって弔い上げとするケースです。


その理由として、故人を直接に知っている人がいなくなるのがこの頃だというふうに言われることがありますが、明確にそういった理由があるわけではありません。


そもそも供養というものに終わりはないのだから、弔い上げといった考え方を用いず、五十回忌、百回忌、百五十回忌と、50年ごとに法事を勤めている寺院もあります。
こうした五十回忌以降、50年ごとに行われる法事は一般的に遠忌(おんき)と呼ばれています。


大本山や、宗派・寺院の開祖の回忌法要などの場合には、弔い上げといったことはなく遠忌が続けられていくことが多いです。

回忌法要の地域差


法要の考え方は、地域や寺院ごとによってずいぶんと異なっています。
宗派によってある程度決まっているものと思われがちですが、一貫性はありません。
宗派というよりも地域性や住職個人の裁量に左右される部分が大きいのが実状です
特に顕著であるのが、二十三回忌以降の回忌法要です。


二十三回忌と二十七回忌を行なう寺院では二十五回忌を行うことは少なく、逆に二十五回忌を行う寺院では二十三回忌と二十七回忌が行われないことが多いです。
四十三回忌をする寺院もあれば、三十三回忌の次は五十回忌としている寺院もあります。
五十回忌まで行う場合、三十三回忌と三十七回忌を行わないといった場合もあります。


こうした違いは地域性によるものが大きく、どれが正しいという判断は適しません。
もし、その地域の慣習として存在しない法要を申し込みたい場合は、直接寺院へ問い合わせていただいたほうがよろしいかと思います。

祥月命日


人の回忌法要のうち、命日から1年後の一周忌と、2年後の三回忌までは、毎年命日に法要を勤めます。
しかし、その後は七回忌まで回忌法要はありません。


そこで、毎年の命日に三回忌等と同じように法事を行って故人の冥福を祈りたいという方のために、祥月命日(しょうつきめいにち)の法要を行う場合があります
祥月命日とは、毎年廻ってくる故人の亡くなった同月同日の命日のことです。
法要の内容自体は、他の回忌法要と差異はありません。

おわりに


中陰法要や年忌法要といった追善供養は、基本的にはすべて故人の冥福を祈る気持ちによって行われる法要になります
したがって、各法要の細かな意味を知らなくても、特に問題はないのかもしれません。
故人を想う気持ちさえあれば、それで十分だと考えることはできます。


ただ、私たち人間には、何事にも意味を求める側面があります。
中陰法要、年回法要の各法要において、それぞれに別称が付与されているのは、もしかしたら意味を求める人間の性によるものなのかもしれません。


意味を必要とせずにただ故人の冥福を祈りながら供養を行うのでももちろん問題はないのですが、法要の意味を1つ1つ確かめながら供養を行うというのも、それはそれで豊かな価値感は育むものだと思います。
そのようにして、供養というものを豊かな心でとらえ、大切な方の供養に際し、懇ろに祈りを捧げていただければ幸いです