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【一休宗純】「門松は冥土の旅の一里塚」- 禅僧の逸話 -

一休宗純,門松は冥土の旅の一里塚

一休宗純禅師の逸話

一休宗純(いっきゅう・そうじゅん)という名前ではあまりピンとこないかもしれないが、これが頓知で有名な小坊主「一休さん」の正式な名前である。


アニメの影響からなのか、無理難題に対してひねりを効かせた頓知でするりとかわしていくようなイメージが強いが、書物に登場する一休さん、もとい宗純禅師は、もっと風狂でとんでもない皮肉屋
そこからは「一休さん」などという親しげな人物像ではなく、禅僧としての「宗純」という名がふさわしい、一癖も二癖もある人物像が浮かび上がってくる。


そんな一休宗純禅師にまつわる逸話を2つご紹介していきたい。


「門松は冥土の旅の一里塚」

まず1つ目は、年が明けた、正月だ、めでたい、めでたい。と、正月気分まっ只中の人々のお祝い気分に水を差すような一休禅師の逸話。


これは「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という一休禅師が詠んだ句にちなんだ話である。

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

この句は一休禅師が著わした『狂雲集(きょううんしゅう)』という詩集に掲載されている一句にまつわる逸話なのだが、まあ、なんという強烈な皮肉であることか。


「めでたいのう、めでたいのう。
あの世にまた一歩近づいたのだから、めでたいのう
正月に飾られるの門松は、まるで冥土へと向かう道に築かれた一里塚みたいなものじゃ」


このような意味の一句を詠みながら、一休禅師は年が明けたばかりの正月ムードの京の町を練り歩いたという。
しかも、手には竹竿を持ち、その竿の先に人間の髑髏(しゃれこうべ)を刺していたというのだから驚愕。
現代でこれをやったら、すぐさま通報されて警察の厄介になること間違いなし。


一説によれば、家の前を髑髏を掲げた不気味な僧侶が歩いているという、この気味の悪い出来事が起きたせいで、京の人々は正月の三ヶ日の間は外に出ないようにするという風習が広まったとか。
もちろん、一休宗純という不審者と出会わないために。


しっかりと家の戸を閉める人々の姿が目に浮かぶようで、この逸話には本当に困惑する。


一休宗純の奇行の意味

ただしこの逸話、一休禅師の心を鑑みれば、一概に拒絶する話ではないことも確かである。
誰もはっきりと自覚したいなどとは思っていないかもしれないが、正月を迎えることは、それだけ死が近づいたという一面を意味している。


死というものが大袈裟で実感が湧かないというのなら、「老い」に置き換えてみてもいい。
誕生日を迎えるということは、一つ老いたということ。
誕生日ケーキに差されたロウソクは、冥土へと向かう道の一里塚。


捉えようによって、めでたいことでもあり、めでたくないことでもある
すると確かに、年をとることは「めでたくもあり めでたくもなし」となる。


女性に限った話ではないが、年をとることに抵抗を感じる人は多い。
新年を迎えた、あるいは誕生日を迎えたことをめでたいと思いながらも、また一つ年をとって老いてしまったのだなと、頭の片隅では寂寥を味わう。
幸と不幸が同封されたプレゼントを受け取るような、嬉しいような嬉しくないような複雑な心境
その意味で、一休禅師の句に共感できる方は、もしかしたら少なくないのかもしれない。


一休禅師の狙いは、おそらくそのあたりにあるのではないだろうか。
つまり正月を迎えて、めでたいめでたいと浮かれ祝う京の人々に、この一句を詠んで聞かせることで人々を正気に戻そうとしたのではないかと。
ちゃんと目を覚ましておけよと。


新年を祝うということは、死の近づきを祝っているという意味でもあるんだぞ。
死はすぐそばにあるんだぞ。
自分の死というものをちゃんと認識した上で、正月を祝うんだぞ


そんなメッセージを込めた一句だったのかもしれない。

有り難し

「ありがたい」とは嬉しいという感情とは幾分か性質の異なる感情である。
それはまさに、有ることが難しいという「有り難し」の心境そのもので、人生というものがあたりまえにあることではないのだという、生を慈しむ心境に近い


この「ありがたい」という心と、「冥土の旅の一里塚」の句を詠んだ一休禅師の心には、共通点があるのではないだろうか。
生と死とは、まさに表裏の関係にある。
自分が今ここに「在る」ことは、考えれば考えるほど「有り難い」ことに思えてならない。


めでたくもあり、めでたくもない正月。
生きることと年をとることと死ぬことがセットになったこの人生をどう捉えるか。
一休禅師の句は、そんな課題を突きつけているのかもしれない。


金襴の袈裟を脱ぐ

一休禅師に関するもう1つの逸話は、「金襴の袈裟を脱ぐ」という話。


ある日、一休禅師を訪ねて一人の男がやってきた。
取次の僧が応対すると、男はこう言った。


「私は京都の高井戸と申す長者の使いです。突然ではございますが、明日は大旦那さまの一周忌でして、ぜひ一休禅師さまにお勤めをお願いしたく思い参じました」


取次の僧がその旨を一休禅師に伝えると、では伺うことにするから時刻を訊いておいてくれとのこと。
その返事を聞いて安心した使いの者は、頭を下げるとお寺を後にした。


使いの者が去ってからしばらく経った。
陽が傾き、夕闇が辺りを包みはじめた頃、高井戸家の玄関先に、一人のみすぼらしい格好の男が現れた。泥だらけの薄汚れたぼろを着ている。


「どうぞ、お恵みを……」


男は哀れな声で両手を差し出し物乞いをした。

玄関に立つ高井戸家の使用人たちはそれを聞くと、


「だめだ、お前にやるものなどない。さっさと立ち去れ」


と、男を追い返した。


「僅かばかりでかまいません。どうか、どうか……」


男はなおも両手を差し出す。


「うるさい、帰れと言っておるのがわからんのか!」


やがて騒ぎは家の中にまで聞こえ、とうとう若主人が家の中から出てきた。


「おい、何をしている。早くこいつを追い返さぬか。去らぬのなら叩き出せ!


使用人は命じられたとおり、男を叩きつけ蹴り倒し、最後には往来に放り捨てた。
そして固く門を閉ざした。


さて、翌日、一休禅師は煌びやかな金襴の袈裟をまとい、約束の時刻に高井戸家に赴いた。
玄関先には大勢の人が集まり、主人ら一族郎党は紋服姿で一休禅師を出迎えていた。
主人は一休禅師の傍に歩みより丁重に頭を下げた。


「本日はようこそおいでくださいました。さあ、こちらへどうぞ」


先導をするように招く主人であったが、一休禅師は足を動かさなかった


「こちらでございます。さあどうぞ」


再度招くも、それでも一休禅師は微動だにしない。


「わしはここで結構じゃ」


「えっ、いや、お上がりいただきませぬと、お勤めいただくことができませぬゆえ……」


「ここで結構。わしにはここが身分相応なのじゃ」


一休禅師は玄関先に敷いてあったむしろの上に腰を下ろし、立ち上がろうともしなくなった。
主人はさすがに苛立ちを隠しきれず、一休禅師の手を引いて立たせようとする。


すると、一休禅師はその手を払いのけ、
「それほど招き入れたければ、この金襴の袈裟を仏間に持って行っていきなされ。わしは人に足蹴にされるような者で有り難いものではないからのう。玄関先のむしろの上で十分じゃ」


怪訝な表情をする主人らを、一休禅師は皮肉そうな笑みを浮かべて眺めた。


「ご主人、昨日の黄昏れ時にみすぼらしい男がやってきたじゃろう。あれはわしじゃ。
昨日は散々叩かれ蹴られ、今日は手厚くもてなされ。一体これはどういうわけじゃ。
昨日のわしと今日のわしとで違うところは、この金襴の袈裟のみ。されば、この袈裟を招き入れればよいのが道理ではないか」


これを聞いた主人らは、一様に言葉を失った。
一休宗純禅師といえば、将軍や多くの大名から尊敬される傑僧である。
そのような人物にむかって昨日のような非礼無礼を浴びせてしまったのかと思うと、ただただ顔が青ざめるばかりであった。


一休禅師は乾いた笑い声を響かせると、着ていた袈裟や法衣を脱いで、笑顔で言った。

「法事はこの袈裟と法衣に頼みなされ。そのほうが功徳もあるじゃろうて」

そして何も屈託もなく軽やかに立ち上がると、すたすたと寺へ帰っていった。


身だしなみは大事だが、見てくれで人間を判断しては、物事の内面を見抜くことはできないのだろう。
まさに傑僧と呼ばれるにふさわしい一休禅師らしい逸話である。