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【禅語】 一日作さざれば一日食らわず - 錦織圭とイチローと百丈禅師 -

一日作さざれば一日食らわず

【禅語】一日作さざれば一日食らわず(いちじつなさざれば いちじつくらわず)

インドにおける仏教、いわゆる初期仏教では、僧侶は自ら食べ物を生産することが戒律で固く禁じられていた。
そのため僧侶らは畑を耕して作物を得ることはなく、食事はすべて人々からの布施によってまかなわれていた。


しかしそのような仏教が中国へと伝わり、人里離れた山中に寺院を建てて坐禅を中心に暮らす禅僧が現れるようになると、近隣の地に施主が存在せず托鉢そのものが成り立たないような状況が生まれることとなった。
すると禅僧は必然的に田畑に鍬を入れ耕作するようになり、やがてそのような労働(作務)も重要な修行であるという考えが禅宗の主流となっていった
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それを正式に禅寺の規則として定め、作務を修行と位置付けた禅僧が、百丈懐海(ひゃくじょう・えかい)禅師である。
8世紀後半から9世紀初頭を生きた禅僧だ。


百丈禅師の逸話

作務を重要視した禅僧だけあって、作務にちなんだ逸話も多い。
一日作さざれば一日食らわず」という禅語も、そんな作務に関するなかで生まれた禅語である。


百丈禅師は高齢になっても毎日鍬を手に取り畑仕事に精をだしていたという
ただ、その周囲で百丈禅師と一緒に畑仕事をしていた若い雲水たちは相当に気を揉んでいた。


高齢にも関わらず張り切りすぎて体調を崩されたらどうしよう。
怪我でもされたらどうしよう。
どうかお部屋で休んでいてもらえないものか、作務は自分たちでするから


そんなことを思い悩んでいたのだった。


そこで雲水たちは一計を案じ、ある日、鍬などの農具をすべて隠すことにした
農具がなければ畑仕事はできない。そしたらお師匠さまはお部屋へと戻るに違いない。


そんな雲水たちの思惑は、見事に的中。
どこを探しても鍬が見つからないものだから、百丈禅師はその日、畑仕事をせずに部屋へと戻っていたのであった。


これでもう大丈夫だ。お師匠さまが怪我をされることもなくなった。
胸をなで下ろした雲水らであったが、それも束の間のことだった。
食事の時間がやってきて、さて、いただきますとなったはいいのだが、百丈禅師が一向に箸を手に取らない。


どうしたのかと心配になって雲水が訊ねたところ、百丈禅師はこう言った。
一日作さざれば一日食らわず


今日は畑仕事をすることができなかった。
自分には成すべきことがあり、またそれを成すだけの力も残されているのに、それを全うすることができなかった
だから食事をいただくことはできない。
食事をいただくに値するだけの行いをまだしていない
そう言うのである。


これには雲水たちも度肝を抜かれたことだろう。
なんて厳格な精神なんだ、と。
このことがあって以降、雲水らは二度と農具を隠すような浅慮な行いはしなくなったという。


こうして生まれた「一日作さざれば一日食らわず」の禅語は、今や禅における格言の1つとして重宝されている。
自分がやるべきことを自分でやる
それ以上に大切なことはないのであって、特別な修行などというものもない。

錦織圭とイチローと百丈禅師

このような百丈禅師の行為はまさに禅の王道を歩むものであるのだが、やはりどこか崇高なものに映り、伝説めいた過去の話のように感じられないこともない。
偉人、などと呼んで特別視してしまってはまったく禅ではなくなるが、そんな思いが少しも脳裏をかすめないわけでもない

「それは百丈禅師だからできたこと」
「遠い昔の偉人伝」

頭の片隅で、ひがみにも似たそんな思いが芽を吹くかもしれない。


けれどもこれは過去の伝説などではない。
私たちのよく知るところでも似たような話はいくつもあるのだ。


たとえばリオデジャネイロ五輪のテニスシングルスで、日本勢としてじつに96年ぶりとなるメダルを獲得した錦織圭選手は、自身の出身地である島根県から県民栄誉賞の授与の打診を受けたが、これを辞退した。


その理由を錦織選手はこう説明した。
まだまだ発展途上であり、夢に向かって努力している最中


まだ何かを成し遂げたわけじゃない。
やるべきことがやれていない。
今の自分にはふさわしくない。
そんな思いから県民栄誉賞を辞退したという。


そしてもう1人、錦織選手が辞退をするはるか前に、同じように辞退をしたスポーツ選手がいる。
日本が誇るスーパーヒーロー、イチローである。
イチローは、メジャー1年目にしてMVPなどを受賞し、衝撃的なデビューを果たした2001年に国民栄誉賞の授与を打診されたが、辞退した。


まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい
それが、辞退の理由である。
しかもイチローは、メジャー最多安打記録を更新した2004年にも国民栄誉賞の打診を受けたものの、やはりこれを断わっている。


両者のコメントは非常に似ている。
どちらも「自分はまだ道の途中」であり、「成すべきことを成していない」ことが理由なのだ。
「受け取ることはできない」という両者の姿勢に、多くの人が感銘を受けたことだろう。
意志の強さを感じずにはいられない。


受けとるだけの行いを、はたして自分はしたのか。
「どうぞ」と言われて、そんなことに思いを廻らすことができれば、その心が「一日作さざれば一日食らわず」という禅語の心なのではないだろうか。


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