『曹洞宗の葬儀と供養 ~おくる~』
『曹洞宗の葬儀と供養 ~おくる~』の第二刷ができあがったと、出版元である水曜社から連絡を受けた。
新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・フリーペーパーなど、各種メディアで取り上げていただいたことが幸いし、多くの方の手に取っていただくことで増刷の運びとなった。
初版の発行部数は11000部。
それが半年で10000部売れた。
葬儀の解説本としては十分にヒットの部類に入るという。
制作を行った曹洞宗岐阜県青年会の一員として、まことに嬉しく、またありがたい知らせである。
『曹洞宗の葬儀と供養 ~おくる~』とは何か
この本をご存じないという方のために、本書の内容を少し。
本書は曹洞宗の葬儀と供養の意味などを、葬儀を時系列に沿って解説した葬儀読本である。
3章から構成されており、1章では仏教と曹洞宗について、2章では葬儀と供養について、そして3章では仏教や葬儀についてのQ&Aが収録されている。
葬儀や供養の解説書としてはめずらしく、写真を多用したビジュアル的に非常に美しいフルカラーの本となっている点が特徴。
実際、この本を手にとって中をご覧になった方は、一様に驚かれる。
写真が驚くほど美しく印象的なのだ。
カメラマンは岐阜県にスタジオを構え、全国を、時に海外を飛び回る高山栄一さん(C-PWS)の撮影によるもの。
ちなみに高山さんには、後に私が出版することになる『糧になる禅語』においても撮影をお願いした。
撮影までに高山さんと本のデザインを担当する秋場さん(ISSUE)と我々とで、撮影する仏事の構図について何度も打ち合わせを重ねた。
撮影は計五日間にも及び、エキストラとして参加をお願いした方々も200名を超えた。
多くの方々のご協力を得て、他に類を見ない葬儀・供養の解説書が完成したのだった。
葬儀や供養の意義を解説することはそれほど難しいことではないが、複数の意見を1つに束ねるという作業には骨が折れた。
たとえば「亡くなった方はどうなるのか?」という葬儀の根幹を突く問いに対する答えが、そもそもまとまらない。
それぞれの意見にそれぞれの想いや信仰があり、それを一言で表現することが極めて難しいのである。
私はライターとしてこの事業に参加していたため、会議で会員が話し合った結果をもとに文章を書いていた。
が、それがなかなかまとまらない。
会議は難航することもしばしばで、深夜0時を超えて話しあってもまとまらない事案も多々あった。
「もうこんなに大変な仕事は二度とできない」と思うほど、一言一句を検証し、修正に修正を重ねた。
出版の日付だけは最初に決まっていたから、校了しなければならない日も逆算すればわかる。
その日が近づくにつれ、「本当に終わるのだろうか?」との焦りが膨らむ。
それでも統一見解がまとまらない。
もうこれは間に合わないのではないかと本気で心配しはじめた頃になって、ようやく「亡くなった方はどうなるのか?」に対する統一見解がまとまった。
そして、どうにかこうにか『曹洞宗の葬儀と供養 ~おくる~』は日の目を浴びることができたのであった。
制作の理念
葬儀離れ、仏教離れが叫ばれて久しい。
その原因は何にあるのか。
もちろん一つの原因があって、それを解消すればいいというような単純な話ではない。
ただ、我々はその根本の原因を、「自分たち僧侶が説明責任を果たしてこなかった」ことにあると考え、これを説くことがまず一歩目であるとした。
そうして制作されたのが『曹洞宗の葬儀と供養 ~おくる~』というわけである。
詳細に綴れば膨大な文字量になってしまうため、本書の冒頭に書いた「はじめに」を以下に引用し、本書の理念の代弁としたい。
「はじめに」
「お葬式って、どんなことをしているの」
疑問と気体を滲ませたいくつもの声を受けて
私たちはあらためて考えました。
昔ながらの言葉によって執り行われる葬儀は、どうしてもわかりにくい。
しかし、定められた葬儀の規範を簡単に変えるとはできない。
だからといって遺族の方々に、釈然としない思いを
抱かせてしまったままでもいけない。
葬儀の意味、供養の意味を、多くの方々に
知っていただくことはできないだろうか。
そのような想いが一つの形となり、本書は誕生しました。
曹洞宗の葬儀。
その意義を一言で表すなら、それは「おくる」。
故人を迷いや苦しみから解き放ち、
お釈迦さまの悟りの世界へとおくる儀式です。
ただのお別れの儀式ではありません。
葬儀の中心にあるのは、かけがえのない「おくる」ばかり。
故人を私たちの心のなかに「憶(おく)る」。
故人をお釈迦さまのもとへ「送る」。
そして、故人に私たちの想いを「贈る」。
この世に常なるものは、何一つとしてありません。
私たち人間を含むありとあらゆる存在は、
絶えずその姿を変化させ続けています。
季節の移り変わりのなかで、新芽が若葉となり、
茂りと紅葉を経て、やがて落葉するように。
幼子が瞬く間に成長するように。
いつの日か、自分の大切な人を送り出すときが来るように。
変わらないものは、何もない。
明日の我が身でさえ、そこに命が宿っているのかは
誰にもわかりません。
たしかに自分が存在しているのは、今しかないのなら、
いたずらに日々を過ごしていてはいけない。
今を疎かにしていてはいけない。
だから、葬儀・供養の意義をあまねく人にお伝えすることも
いつかではなく、今でなければならないはず。
私たちは、そう考えました。
本書によって、一人でも多くの方が葬儀・供養の意義を感得し、
人生についての思索を深めていただくことにつながり得れば、
僧侶として、これに勝る幸せはありません。