禅の視点 - life -

幸福とは? 自分とは? 自由とは? 人生とは? 心を満たす入口探し、禅エッセイ

永平寺での修行中に一番厄介だと感じた公務

f:id:zen-ryujo:20190803083614p:plain

永平寺での修行中に一番厄介だと感じた公務

永平寺で修行をする雲水は、日々、公務をこなしている。公務というのは1人ひとりの雲水に割り当てられた仕事・役割のことで、この公務は所属している寮舎のなかで割り当てられる。


寮舎というのは会社でいうところの部署に相当する。たとえば「大庫院(だいくいん)」という寮舎は、修行僧の食事を作る台所。ここに配属された修行僧は、食事を作ることを日々の修行とし、ひたすらに調理や下ごしらえなどをしている。


「総受処(そううけしょ)」は永平寺のインフォメイション的な役割をはたしている寮舎で、パソコンに向かって公務をしていることが多い。参拝者が永平寺に入って最初に目にするのがこの総受処であり、そこにいる僧侶がパソコンにむかって仕事をしているものだから、参拝者のなかには違和感を覚える方が少なくないと思う。


正直言って、私自身、高校生の時に初めて永平寺を訪れてこの様子をみたときは目を疑った。なにせ永平寺は自身のことを「鎌倉時代から続く修行を今も続けている」と渋く格好つけているのである。その永平寺の入口をくぐって最初に目撃するのが「THE 現代」というメガ・インパクト。


えっ? 鎌倉時代の修行生活じゃないの? 
ああ、そうか、パソコンって鎌倉時代からあったのか。
んなわけねーだろぉぅぅぅ


パソコンに向かってキーボードを打つ僧侶軍団の姿に絶句。イメージとのギャップには凄まじいものがあるが、現代を生きる雲水にしてみればパソコンを扱うなど普通すぎることなので、本人たちは違和感など微塵も感じていない。これが総受処という寮舎である。


ほかにも、「花の殿行(でんなん)」と称される「知殿寮(ちでんりょう)」は、雲水にとって憧れの寮舎の1つで、法要に関する公務を行っている。反対に「地獄の接茶(せっちゃ)」と呼ばれるのは「接茶寮」で、参籠者(永平寺に宿泊する方のこと)の応対全般をこなす旅館の仲居さんのような寮舎である。地獄と呼ばれるだけあって、この接茶寮は体力的にもかなりハードだ。


永平寺にはその他にも多くの寮舎があり、それらすべての寮舎に公務というものがあって、だいたいはローテーションで公務を回している。そしてこの公務にはいわゆる「当たり外れ」が存在し、外れのなかでも誰もが嫌がるような大外れ公務もある。


もしも永平寺で修行経験のある者ばかりが集まり、どの公務がもっとも嫌だったか、つまり大外れ公務を議論する場があったとすれば、一体どの寮舎のどの公務が候補として挙がるだろうか。内輪でしか盛り上がらないこと間違いなし、でも内輪に限れば大盛り上がり間違いなしの夢想をするたび、私はいつも次のセリフを述べたくなる。


「各々方、いろいろ思うところはあるでしょうが、衆寮(しゅりょう)の直堂加番(じきどうかばん)よりも厄介な公務があったと言えますかな?」


衆寮の直堂加番

私が挙げる「衆寮」の「直堂加番」がいかに人気がなく厄介な大外れ公務か、議論する場がいつまでたっても与えられないのでこの場をお借りして述べさせていただきたい。


まず衆寮という寮舎であるが、これは永平寺のなかでももっとも基本となる寮舎で、永平寺に修行に上がった雲水は最初に全員必ずこの衆寮に配属される。そして永平寺の基本的な修行生活を学び、その後、別の寮舎へと転役(寮舎の異動)していく。


衆寮にはいくつもの公務があるが、そのなかに「直堂(じきどう)」という名の公務がある。これは雲水が坐禅をしたり食事をしたり寝たりする「禅堂」という建物の一日守護神のような公務である。守護神であるから基本的に禅堂を出ること許されず、したがって「直堂」にあたったら一日中禅堂に缶詰状態になる。


禅堂の床は三和土(たたき)で、冬場は芯から冷える。裸足で草履を履いた状態で三和土の上で一日過ごすというのは、けっこう、いや、かなり辛いものがある。しかも守護神だから禅堂を離れることができない。ひたすら禅堂を守り続けるのである。


しかし、直堂はまだいいのだ。辛いといっても耐えればいいだけの話だから。問題なのは、この直堂の「加番(かばん)」のほう。加番というのは補佐というほどの意味で、一人では難しい公務に加えられることが多い。したがって「直堂加番」という公務は、直堂の補佐をする公務である。


補佐であるが、その厄介さは直堂をはるかに凌ぐ。


直堂加番が不人気の理由は、朝にある。起床してからの数時間、それが直堂加番のゴールデンタイム。というのも、直堂加番は禅堂で寝ている雲水全員を起こさなければならないのだ。これがとんでもない厄介公務なのである。本来であれば直堂の役割のように感じる公務内容だが、その時間、直堂は別のことをしているので、これは補佐である加番の仕事となる。


永平寺の朝は早い。夏は3時半。春秋は4時。冬は4時半。しかもそれは起きる最低時刻であって、実際には「起床時間の何時間前に起きるか」が実質的な起床時間となっている。したがって雲水が起床時間について会話するとき、「明日は2時起きだわ」とは言わない。「明日は1時間半前起きだわ」という。


そして禅堂で就寝する雲水全員の起床時間、つまり誰が何時間何分前に起きるのか、直堂加番はそのすべてを把握し、その時間に起こさなければならないのである。


起床時間は、通常であれば「2時間前起き」からはじまり、「1時間半前起き」「1時間前起き」「30分前起き」となり、適時15分刻みの細かな要望も入る。忙しい時期は「2時間半前起き」や「3時間前起き」という鬼のような起床時間を指定してくる雲水もいる。夏の3時間前起きは、0時半だぞ。それって起床時間なのか? 就寝時間に分類したほうがいい時間じゃあないかとツッコミたくなる。


しかも、そこで指定されるのは「禅堂で寝ている雲水の起床時間」である。では、雲水を起こす直堂加番の起床時間はいつになるのか。少なくとも、一番早い要望の時刻の30分前には起きていなくてはならない。おいおい、0時起きかよ……。なんてこともあったりする。


ちなみに、直堂加番は禅堂では寝ない。衆寮で寝る。これには至極現実的な理由が関係している。というのも、禅堂という場所は音を出すことが厳禁で、声を出してはいけないだけでなく、基本的に物音を立てること自体が許されない。禅堂で指をポキッ鳴らした雲水が、古参に気付かれて激しく叱られていたということもあった。


つまり、禅堂では目覚まし時計を使用することができないのである。雲水は慢性的な睡眠不足に陥っており、気合いだけで指定時間に起きるのは不可能に近い。だから禅堂で寝る雲水は全員、直堂加番に起こしてもらうのである。そして、それら雲水を起こす直堂加番は、目覚まし時計を使用するために衆寮で寝る


衆寮に置いてある目覚まし時計は3つある。どれを使うかは自由だが、確実に起きたいのならこれを使えという伝達が存在する。その目覚まし時計の名は……



「雷神」(正式な商品名らしい)



雷神



これを使え。これなら雷のごとき目覚まし音が鳴り響き、確実に起きられる。そう言われ、もはや時計につける名前ではない「雷神」を直堂加番は手に取り、枕元に置く。一体どんな音が鳴るのか。それは「鳴る」という範疇におさまる音なのか。ちゃんと起きられるかという不安は消え去り、代わりに目覚ましの音にとてつもない不安を抱く。そして直堂加番は眠りにつく。


が、爆音で目が覚めるのが恐ろしくて、なんと雷神が鳴る前に目を覚ましてしまうのである。疲れも吹き飛ばす驚異の存在感。真に強き者は戦わずして勝つというが、雷神はまさにそれなのである。ただそこにいるだけで眼を覚まさせる力。お前はブッダか。いや、神だ。これが「雷神」の真の力なのだ……!


直堂加番はそんなふうにして飛び起き、いろいろ身仕度を調えて、そして例の起床時間になったら禅堂に向かい雲水を起こしはじめる。さて、ここからが大変さの本番だ。


前述のとおり、禅堂は基本的に言葉を発することが禁じられている。そこで直堂加番は例外的に、「超小声ならギリギリセーフ」という特権を受け、雲水の耳元で朝をささやく。


「ごめんください。衆寮の〇〇ですが、起床時間になりました。失礼いたしました」


ちょっと正確な文言を忘れてしまったが、起こすセリフは厳密に決まっており、このようなセリフで雲水の起床を促す。これ以外は認められない。一字一句間違えてはいけない。肩を揺するというような実力行使も認められない。しかも超小声なので、まったく起きる気配がない相手というのがたまにいる


それが自分よりも古参の雲水であった場合、厄介さは半端でなくなる。永平寺の上下関係は厳格で、絶対に失礼があってはならない。だから「ごめんください。衆寮の〇〇ですが、起床時間になりました。失礼いたしました」を無視されても、けなげに何度もトライするしかない。


5回6回とトライしても起きずイライラしてきても、
「テメェ早く起きろや! 修行に来てんだろうが! 俺はテメェの母ちゃんじゃねぇんだぞ! こっちはまだあと40人くらい起こなきゃならんのだぞコラ!」
とは言えない。内心では叫びたいくらいのストレスがかかっているのだが。


10回くらいトライして、やっと起きた古参から「うるせぇ」と言われたときには、もはや怒りを通り越して放心である。
はっ? うるせぇ? うるせぇの、私? 頼まれたから起こしたのに、うるせぇなの? 別にありがとうなんて言わなくてもいいけど、うるせぇの意味はわかんない。


そんな感じで、大体40人くらい起こすのである。もちろん、すっと起きてくれる有難い雲水も多くいる。しかし起きてくれない人が多くて時間が押してきて、1時間前起きの人がまだ残っているのにもう30分前起きの人を起こさなきゃいけない、なんてことになると、本当に焦る。同安居(どうあんご:同じ年に修行に上がった仲間)が起きない場合は、「よし、もう見捨てよう」と思ったりもする。振鈴(しんれい:永平寺は起床時間に鐘を鳴らす公務がある。それを振鈴という)で起きればいいだろうと。自業自得だ。実際、もう付き合いきれんと判断して放置したこともあった。


雲水は全員坊主頭で、禅堂はまだ暗いから、見ただけでは誰を起こせばいいのかわからない。だから誰がどこの位置で寝ているかをまとめた表を持ち、誰が何時間前起きなのかをまとめた紙を持ち、この理不尽な朝のささやきに直堂加番は挑む。ひたすら起こす。あんな厄介な時間は二度と過ごしたくない。


もちろん直堂加番にはまだほかの公務が沢山あるのだが、直堂加番が永平寺の公務のなかでもっとも外れだと主張する理由はこの目覚まし公務にある。辛いのではない。とにかく厄介なのだ。どうだ、これ以上の外れ公務があるのだとしたら、お聞かせ願おう。