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ヨーガ、瞑想、坐禅、マインドフルネスの違いと共通点 【まとめ】

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まとめ - ヨーガ、瞑想、坐禅、マインドフルネスの違いと共通点 -

ヨーガ瞑想坐禅マインドフルネスについて、それぞれの特徴などを考察してきたが、そもそもの目的はそれらを単体で捉えることではなく、差異と共通点を探ることであった。
そこで今回はまとめとして、再度それらを比較してみたい。

行為か状態か

ヨーガや瞑想といった言葉は、それが行為を指しているのか、状態を指しているか、何を指しているのかがわかりにくい。
実際、はっきりとは区別することが難しい場合もある。
なので常にこの分類が当てはまるわけではないが、一応の目安として、4者を行為か状態かで分類すれば、次のようになる。

  • 行為 → ヨーガ、坐禅、マインドフルネス
  • 状態 → 瞑想


ヨーガや坐禅やマインドフルネスという技法のなかに、瞑想という状態がある
この理解がベースとなる。

目的

ヨーガや坐禅やマインドフルネスは、何を目的としているのか。
これを知ることで、それぞれの違いが鮮明となる。
最も本質的な違いがあらわれるのが、この目的だからだ。
特に、瞑想の方法に大差がないこれらを、形式から区別することは難しい。
内面に目を向けなければ違いが見えてこない。
ちなみに、瞑想は行為ではなく状態であるため、この項目では触れないでおく。

ヨーガ

ヨーガの目的は、瞑想の末にあるディヤーナと呼ばれる精神状態にいたること。
それは究極的には、梵(宇宙)と我(自分)とが融合されるような瞑想状態と表現され、梵我一如とよばれる。
巷で流行しているヨガは座法や呼吸法に特化したものが多く、このような精神性を説かないことも多いようだが、座法や呼吸法は瞑想の深化のために存在する。


精神性を過度に説かないのは、宗教的な要素を極力排除したいという思いが絡んだ結果である。
ただ、瞑想そのものには本来なんら宗教的な要素は存在しない。
瞑想とは心を整えようとする営みであり、それは誰の身にも日常的に起こり得る現象である。
宇宙などというといかにも神のような存在に結びつきやすいが(そのように説く人もいるが)、梵とは全存在という意味であり、有り体にいえば、大自然のことである。
自然と自分とが一体になるような瞑想を目指している、くらいに受け取っておいたほうがいいのではないかと、私は思っている。

坐禅

坐禅に目的は、ない。
坐禅をすること自体が目的であるといえるため、坐禅をした時点で目的は果たされてしまっている。
「欲しい」「欲しくない」、「求める」「求めない」といった、相対的な世界から脱却することが禅であり坐禅であるため、目的はないと言わざるを得ない。
目的が生まれた時点で、坐禅は坐禅ではなくなるという矛盾。
禅において「無」が標榜されるのはそのためだ。


ただ、それではいかにもわかりにくい。そこで一言蛇足を。
このような理屈であれば、仮に坐っていなくても禅という生き方をすることは可能なはずである。
実際、禅では、坐禅を日常生活のなかに活かすことがもっとも重要だと考えられている。
歩く坐禅、食べる坐禅、寝る坐禅、排泄する坐禅。
日常生活のあらゆる場が修行の場となる。


それなのにあえて坐禅を重要視するのには、やはり理由がある。
それは、坐禅のように静かに身を整えるという方法を用いることが、心を整える上で最も効率がいいからだ。
坐って禅を行ずることができなければ、歩くなかで禅を行ずることは到底できない
あらゆる行為のなかで最も容易なのが、坐って禅を行ずることであるため、坐禅が基本となっているのである。


……結局わかりにくいかもしれないが、泳ぎ方をどれだけ言葉で説明しても泳げるようにはならないのと同じで、坐禅も行ずる以外に理解のしようがない。
それを禅では不立文字(ふりゅうもんじ)という。
文字を立てるな。
文字で真実は伝えられない。
真実は、人から教えてもらえるものではない。
自分自身でなければ感得できない。
そのような意味の言葉である。
頭ではなく体で理解することが大切なのだ。
何についても言えることではあるが、やはり体験に勝る経験はない。

マインドフルネス

マインドフルネスの目的は、瞑想による効果を社会の諸分野に応用させること。
具体的には、ストレスの緩和や集中力の増大によって、医療・心理・ビジネス・スポーツ・教育・福祉などのさまざまな分野でこれを有益に応用しようとする試みである。


ヨーガや坐禅のように、淡く掴み所のないものを目指しているのではないため、意図するところがはっきりとしていてわかりやすい。
瞑想による諸効果を日常生活に活かす
目的がはっきりと定まっている。

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補足

最後に一つだけ。
物事を比較する上で気を付けなければならないのは、違いは必ずしも優劣ではないということだ。
ヨーガが深い瞑想で、マインドフルネスが浅い瞑想だから、ヨーガのほうが優れているかというと、そのようなことはない。


比較することによってそれぞれの進む方向がどう異なっているかを知りたいのであって、どの方位が優れているかを知りたいのではないし、それはまた知り得ることもできない
北が優れていて、南が劣っている道理などないだろう。
あっさり味とこってり味に優劣がないのと同じことである。
そこに優劣を見ようとするのは、我見によるものであって、それは結局思い込みや予断・偏見の類いでしかない。
違いはそれぞれの個性であって、どっちが優れているとか、どっちが劣っているかという話ではないのだ。


だから、もしこの一連の記事を読んでヨーガなり坐禅なりマインドフルネスなりに興味を持ち、体験してみようとするなら、自分に合うであろうものを自分で考えて選べばそれで何の問題も生じない。
優劣は存在しないのだから、方向性だけを理解し選べばいい。


また、これまでにヨーガ、瞑想、坐禅、マインドフルネスについて述べてきたが、その具体的は技法についてはあまりふれてこなかった。
いや、正確には、ふれることができなかった。
それは個々人が各々体験して学ぶことであるから、というのがもっともらしい理由だが、本音はもっと単純で、私自身、技法について詳しく知っているのは坐禅だけだからだ。
やはりこれも泳ぎ方を学ぶのと同じで、いくら座学にいそしんだところで、実際に水の中に入らなければ永遠に泳ぎ方は会得できない
体験した知識が本物であるのは、どうしようもない事実なのである。


なお、ヨーガ、瞑想、坐禅、マインドフルネスの各詳細について知りたい方は、以下の記事を参考にしていただきたい。

・ヨーガとは

・瞑想とは

・坐禅とは

・マインドフルネスとは