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禅の視点 - life -

幸福とは? 自分とは? 自由とは? 人生とは? 心を満たす入口探し、禅エッセイ

ヨーガ、瞑想、坐禅、マインドフルネスの違いと共通点 【マインドフルネス篇】

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マインドフルネスとは何か - ヨーガ、瞑想、坐禅、マインドフルネスの違いと共通点 -

最後に、マインドフルネスについて。

マインドフルネスの現状

近年、マインドフルネスという文字をよく目にするようになった。
本屋でも関連の本をいくつも見かける。
雑誌などのメディアに取り上げられることも多い。
心が豊かになる、仕事がはかどる、うつ病などの精神疾患の改善に効果がある、などなど。
マインドフルネスがもたらす効用に注目が集まっているようである。


大手企業の研修では、マインドフルネスを習得することが研修内容だったりすることもあるという。
マインドフルネスは病院の枠を超え、セルフマネジメントの一手法としてビジネスや人間関係にも良い効果をもたらすものとして活用されている。
しかしこの言葉もまた、ヨーガや坐禅や瞑想とどう違ってどう同じなのか、わかりにくい。

マインドフルネスの意味

マインドフルネスという言葉は、英語のMindfulnessをそのまま読んだものであり、日本語での意味を、「気付き」「注意(意識を注ぐ)」とする場合が多い。
ただMindfulnessという単語は、もとを辿ればサンスクリット語の「サティ」を英訳したものであり、「サティ」そのものは仏教において「正念」と訳される。
正念とは「正しく思う」「正しく考える」という意味だ。


ただ、「正しい」という言葉は使い勝手がよいため濫用されやすく、何をもって正しいといっているのかがよくわからない場合が多い。
ここでも、「正しく考える」とだけいわれても、正しく考えることが何を指しているのかが、結局不鮮明である。


正しいとは、自分にとって正しいのではなく、普遍的に正しいことをいう。
それは別名「真実」ともいうが、誰にとっても、どの時代であっても、どこの国の人であっても、常に正しいことでなければ、真実ではない。
つまり正念とは、真実について考えることであり、我見にもとづいて考えることを戒めた言葉であると理解することができる。


この「普遍的な正しい考え」が、なぜ「気付き」となるのか。
ここでいっている「気付き」とは、ものごとをありのままに受け取るという意味なのだ。
今、自分に起こっている現象に気付き(意識を注ぎ)、それを個人的な思いで受け取るのではなく、ありのままに受け取る。
ありのままとは、真実を自分の考えでゆがめて解釈するのはなく、真実そのままに受け取ることをいう。


たとえばこうだ。
ピーマンを食べたら苦かった。だからピーマンは不味い食べ物だと考えたとする。
「ピーマンは苦い」は、その瞬間の真実の感得である。
「ピーマンは不味い食べ物」は、我見であって普遍的な真実ではない
だから「ピーマンは不味い食べ物」は、ものごとをありのままに受け取ってはいない。


そこで、「ピーマンが苦いと私は感じた」ことにだけ気づく=意識を注ぐことが、マインドフルネスとよばれる技法の基本となるわけだ。
また、そうした「気付き」をメインに据えた瞑想を、マインドフルネス瞑想と位置付けている。

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マインドフルネスの発祥

マインドフルネスは、1979年にアメリカの分子生物学者であり精神科医でもあるジョン・カバット・ジンによって提唱された、ストレス緩和法である。
彼は自身で禅やヨーガの瞑想を体験することで、その効果を実感し、これを医療の現場に導入することを目指した。
そして、うつ病や不安症の原因となり得るストレスを、マインドフルネスに基づいた技法で軽減させ、症状を緩和させることに成功した。
負の感情(ストレス)が起こる前に、事実にだけ意識を向ける瞑想を治療プログラムとして施したのである。


以後、マインドフルネスは認知療法の一つとして注目を浴びるようになり、臨床心理学の分野を中心に広まっていった。
それがやがて医療の現場を越え、セルフマネジメントの技法として人々の間にも広まった。
さらに、そうした心を整える効果をビジネスにも活かそうと、グローバル企業がこの技法を採用し、世界的に注目を浴びるようなり、今日の隆盛にいたった。

マインドフルネスの効用

マインドフルネスについて、いろいろな人がいろいろな定義をしている。
煎じ詰めれば、
「今、五感で感じられる現実だけに意識を向けること」
とでもなるだろうか。


今、語感で感じられる現実だけに意識を向けるとどうなるのか。
心理療法の面からみれば、否定的な考えや行動を繰り返してしまう人に、ストップをかけることができるだろう。
今だけに意識を向けるとは、ストレスのもととなる負の思考が湧き起こることを抑制することにつながる。
思いをはさまず、眼に映る景色などに全意識を向け、かつ、そこに私的な評価をはさまない。
すると、否定的な考えが生まれる余白がない。
こうして症状を軽減させることが可能であることが、すでに臨床結果としていくつも証明されている。


あるいはこれを、ビジネスの面からみたらどうなるか。
目の前にある仕事にだけ意識を向ければ、当然のことながら仕事ははかどるだろう。
ストレスによる意欲の低下を防ぐことにもつながり得る。
集中力が増せば閃きが起こるとして、クリエイティブな仕事にも向いている技法だという。
心理学や医学に限らず、ビジネス、スポーツ、教育、福祉などの諸分野で注目を集めているのはそのためだ。


ストレスが緩和されれば、幸福を感じることが多くなる。
心身ともに健康的でいられる。
人とのコミュニケーションにおいても、それは有意義なはたらきをするだろう。
マインドフルネスが病院の枠を飛び出したのは、必然であったと考えられる。

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マインドフルネスの目的

マインドフルネスは、ヨーガや坐禅による「効果」に焦点を当てたもので、そこで得られる効果をさまざまな分野に応用しようとするものである。
したがって、瞑想の技法自体はヨーガや坐禅と大差ない。


ただし、マインドフルネスはヨーガや坐禅のように深い瞑想の末にあるディヤーナ(禅定)を目指すのではなく、あくまでも瞑想による効果に着目した技法である。
ヨーガの8つの段階でいえば、あえて⑤のプラティヤーハーラ(制感)と⑥のダーラナー(集中)を目標にしたようなものといえばわかりやすいだろうか。


⑤のプラティヤーハーラ(制感)という言葉は、よく「五感をシャットアウトする」という意味だとされるが、どうもそうとは思えない。
たとえば、坐禅をしていて、小鳥の囀りが聞こえてくることがよくある。
それを意識的にシャットアウトすることは、不可能である。
聞こえてしまうものを、意識でもって聞こえないようにすることは、どうやっても無理だ。


その代わり、瞑想状態や、非常に集中した状態であるとき、小鳥の囀りや人の声が耳に入らなくなるということはよくある。
ただそれは、五感を意識的にシャットアウトして外に締め出するような感覚ではない。
むしろ、感覚器官がいつの間にか抜け落ちてしまい、外からの情報を感知することができなくなっているというような感覚に近い。


だから私は、プラティヤーハーラ(制感)とはそのような瞑想の前段階、五感で受け取った情報に意識を向けない状態だと考えている。
先ほどのピーマンの例でいえば、「苦い」という味覚からの情報に、「不味い」という自己意識を生じさせない状態だ。
「苦い」で終わり、それ以上は考えない。
小鳥の囀りが、耳には入るが、頭には入らないような状態である。


⑥のダーラナー(集中)は、制感の状態をもう一歩深めて、何かに意識が集中された状態である。
何かは、呼吸でもいいし、ろうそくの火でもいいし、何も対象がなくてもいい。
このダーラナーの状態では、小鳥の囀りも、人が何かしゃべっていても、気がつかないという現象が起きる。
集中して何かに没頭していると、周りの音が耳に入ってこないという経験は誰にもあるだろう。
あの感覚である。


つまり、マインドフルネスが目指すものは、ヨーガの8つの段階でいう⑤のプラティヤーハーラ(制感)および、⑥のダーラナー(集中)がメインであって、⑦のサマーディ(瞑想)や⑧のディヤーナ(禅定)ではない。
マインドフルネス瞑想という言葉が使われ、サマーディの意味での瞑想を行うことがあったとしても、それはディヤーナ(禅定)を目指す瞑想ではなく、プラティヤーハーラ(制感)、ダーラナー(集中)としての効果を得るための瞑想である。
マインドフルネスは、深い瞑想による精神状態を求めているのではない。
実生活に有益に応用できる効果のほうが重要なのだ。

結論 - マインドフルネスとは何か -

以上を踏まえて、マインドフルネスの特徴を以下に挙げる。
マインドフルネスとは、

  • ヨーガや坐禅をベースにしたストレス緩和法
  • 今、五感で感じられる現実だけに意識を向け、負の感情を生じさせない瞑想技法
  • 深い精神状態を得ようとするのではなく、瞑想による制感・集中といった効果を実生活に応用することが目的
  • 臨床実験によりその効果が科学的に実証されたことで、心理学や医学に限らず、ビジネス、スポーツ、教育、福祉などの諸分野でも注目されるようになった。