大パリニッバーナ経の現代語訳 ~ブッダ最後の旅の言行録~ 第4章
ブッダ最後の旅の言行録でもある『大パリニッバーナ経』の現代語訳(私訳)の4回目。
今回は4章を現代語訳して読み進めていきたいが、この章のなかでついにブッダは病を発症し、また寂滅の地であるクシナーラーにたどり着く。
ブッダが患った病とは何だったのか。
またブッダは自らの「死」をどのように感じていたのか。
そして死に際し、弟子たちにどんな言葉を残そうとしたのか。
ブッダの人生の最期を叙述した経典である『大パリニッバーナ経』には、それらがすべて記されている。
この「大パリニッバーナ経の現代語訳」シリーズを未読のかたは、ぜひ下の記事(第1章)からどうぞ。
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第4章
第14節 バンダ村にて
死期を悟ったブッダは、次なる目的地、バンダ村へと向かうことにした。
そこでヴェーサーリーでの最後の托鉢をし、食事を終えると都市を出た。
歩みを進めるなか、ブッダは一度だけ後ろを振り返り、ヴェーサーリーの町並みを見渡した。
「私がこのヴェーサーリーを眺めるのは、もうこれが最後となることだろう。
さあ、バンダ村へ行こう、アーナンダ」
やがてブッダと修行僧たちはバンダ村に到着した。
ブッダはここでも修行僧たちに教えを説いた。
「修行僧たちよ、4つの真理を知らないがために、私もそなたたちも長きにわたって苦悩の
人生を歩んできてしまったのだ。
その4つの真理に気が付いているだろうか。
4つの真理の1つ目は、戒律である。
正しく生きる指針である戒律を知らないがために、生き方の方角がわからず、私たちは苦悩の人生を歩んできてしまった。
2つ目は精神統一である。
楽も苦も、それを楽や苦と感じるのは自分の心である。
その心を整えることをしてこなかったために、私たちは苦悩の人生を歩んできてしまった。
3つ目は智慧である。
本当に正しいことは何かと考え、理解する頭の働きを有していなかったために、私たちは苦悩の人生を歩んできてしまった。
4つ目は悟りである。
真理を悟ることがなかったために、私たちは苦悩の人生を歩んできてしまった。
しかし今、私たちは戒律を保ち、心を整え、真実を理解し、真理を悟る生き方をしている。
苦悩のもとは断たれ、私たちが再び苦悩の人生を歩むことはないだろう」
それからもブッダは修行僧たちに法を説いた。
戒律とは何か、精神統一とは何か、智慧とは何か、悟りとは何か、と。
第15節 教えと照らし合わせる
一向はしばらくのあいだバンダ村に留まっていたが、やがて次なる目的地に向かうことになった。
ハッティ村、アンバ村、ジャンブ村など、いくつかの村々を経由して、目指す目的地はボーガ村。
そして旅の末にボーガ村に到着すると、ブッダはこんな話を修行僧たちに聞かせた。
「たとえばここに1人の修行僧がいて、その人物がこう語ったとしよう。
『私はブッダからこのような話を聞いた。これが真理である。これが戒律である。これがブッダの教えである』と。
もし修行僧がそのように語ったとしても、それを鵜呑みにしてはいけない。
しかし理由もなしに排斥してもいけない。
もしそのような話を耳にしたら、私がこれまでに話してきた言葉と照らし合わせて、または現に存在する戒律にひき合わせて、その者が真実を語っているかどうかをよく考えなさい。
参照してみて、次によく考え、どうにも教えに合致しないときには、ブッダの言葉ではないと結論づければいい。どこかで誤解があったのだなと。
そうしてその言葉を気にしなければいい。
それとは反対に、真理に基づく言葉であり、戒律とも一致するなら、それは確かにブッダが語った言葉であると判断しなさい。
つまり、鵜呑みにするのも、耳をかさないのも、どちらも正しい態度ではなく、必ず自分の頭でしっかりと考え判断することが大切だということである。
どんな人が発するどんな言葉でも、このように言葉を吟味して生きていきなさい」
第16節 鍛冶工チュンダ
ボーガ市にしばらくとどまった後、ブッダはアーナンダに告げた。
「さて、次はパーヴァーの地に行こうか」
「わかりました」
アーナンダは返事をし、他の修行僧たちとともにパーヴァーの地を目指した。
やがて一向はパーヴァーに到着すると、鍛冶工を営むチュンダの林にとどまることにした。
林の所有者であるチュンダは、ブッダらがやってきて自分の林にとどまっているという話を耳にすると、さっそくブッダのもとを訪ねた。
チュンダはブッダのもとへやってくると礼をして、坐した。
そこでブッダはチュンダに法を説いて聞かせた。
するとブッダの話を聞いたチュンダは大いに感激し喜び、そしてブッダにこんな提案を申し出た。
「尊い方よ。すばらしい説法をありがとうございました。
そこでお願いがあるのですが、どうか私にあなた方の供養をさせてください。
明日の朝、どうか私の家で修行僧たちとともに食事を召し上がっていただきたいのです」
ブッダはその申し出を了承した。
チュンダは喜び、座を立つと、ブッダに礼をして食事の準備をするために家に帰っていった。
チュンダはそれから夜中かけて食事の準備を進めた。
美味なる食べ物。柔らかい食べ物。キノコ料理。
チュンダはブッダらをもてなすために、多くのご馳走を用意した。
明くる朝、ブッダらはチュンダの家を訪れた。そして用意された座席に腰を下ろした。
ブッダも席についたのだが、座ってまもなく、チュンダに声をかけた。
「チュンダよ。そこに盛り付けてあるキノコ料理だが、それは私に給仕しておくれ。
修行僧たちには他の美味なる食べ物を給仕してやってほしい」
「かしこまりました」
チュンダは返事をすると、キノコ料理をブッダへ、その他の料理を修行僧たちへ給仕した。
キノコ料理を用意してもらうと、ブッダはチュンダにまた声をかけた。
「チュンダよ。余ったキノコ料理は土に穴を掘ってそこに埋めなさい。
他の誰にもそれを食べさせてはいけない」
チュンダは言われたとおり、余ったキノコ料理を外に持っていき穴を掘って埋めた。
そして戻ってくると自らも腰をおろした。
そこでブッダはしばらく法を説き聞かせ、話が終わるとチュンダは満足して座から立ち上がり出て行った。
チュンダが去ってからブッダは食事をはじめた。
しかしキノコ料理を食べてまもなく、ブッダは激しい苦痛に見舞われることになった。
激しい下痢を起こし、そこには血が混じってもいた。
ブッダは気を落ち着けることに専念し、痛みに苦しみながらも心を整え、激しい苦痛を耐え忍んた。
そしてアーナンダにこう告げた。
「さあ、旅を続け法を伝えよう。次はクシナーラーの地だ」
アーナンダはブッダの容態を心配しつつも、ブッダの言葉に従った。
しかし、クシナーラーに向かって歩き始めてしばらくすると、ブッダは路を外れて一本の木に近づいていった。
「アーナンダよ。すまないが少し休みたい。とても疲れてしまった」
ブッダは歩くことがままならない様子であった。
アーナンダは急いで衣を折り畳んで敷物の代わりにし、ブッダをその上に坐らせた。
腰を下ろすと、ブッダはまたアーナンダに話しかけた。
「アーナンダよ。水をもってきてくれないだろうか。喉が渇いてしまった。私は水を飲みたい」
「ブッダ。ちょうど近くに小川がありますが、たった今多くの車が渡ったところで、土がかき乱されて濁ってしまっています。
すこし離れたところにカクッター河があり、あそこの水は清らかに澄んでいるはずです。そちらの水にしましょう」
アーナンダはそう提案をしたが、ブッダは頷かなかった。
ただ「水が飲みたい」と繰り返すだけだった。
仕方なくアーナンダは近くの小川で水を汲んでくることにして、鉢を持って急いで出掛けた。
アーナンダが小川に着くと、流れはやはり濁っていた。
水量が少なく、清らかな水には戻っていなかった。
それでも急いでブッダに水をとどけなければならないと、アーナンダは川の水を鉢で汲もうとした。
そうして鉢を小川に近づけると、不思議なことに川の水が澄んでもとの清らかな流れに戻ったのだった。
アーナンダは驚いた。
「これはブッダの威神力によって起こった奇跡に違いない。この小川の水は確かに濁っていたのだ。
それがなぜか急にもとの澄んだ水にもどった。
透明になり、清らかに流れている!」
アーナンダはその水を鉢に汲むと、ブッダのもとへ急いだ。
「ブッダ! 不思議なことが起こりました!
ブッダの威神力のなせるわざです。
小川の水は確かに濁っていたのに、私が近づくと急に澄んだ流れにもどったのです!
これがその水です。
どうぞこの清らかな水をお飲み下さい」
アーナンダが渡してくれた水を、ブッダは飲んだ。
第17節 サーラ樹の林へ
ブッダが木の下に坐り体を休めていると、そこをマッラ族の人々が通りがかった。
昔ブッダは出家をしたあとにヨーガ行者のアーラーラ・カーラーマに教えを乞うたが、通りがかったマッラ族の中の1人は、アーラーラ・カーラーマの弟子のプックサであった。
プックサたちはクシナーラーからパーヴァーに向かっているところだった。
プックサはブッダが木のもとで坐しているのに気が付くと、ブッダのもとへ近づいていった。
そして恭しく礼をすると、近くに腰をおろした。
「今日はすばらしい日だ。尊いお方よ。
心静かに坐る修行者と出会うことができたのだから」
それからプックサはブッダにこう話しかけた。
「昔、アーラーラ・カーラーマもあなたと同じように路からそれて、木の下で昼の休憩のために坐って瞑想していたことがありました。
するとその路を商人の車が何台も何台も列をなして通り過ぎていきました。
そしてその隊商につき従っていた1人の男が、アーラーラ・カーラーマに近づいていったのです。
その男はアーラーラ・カーラーマにこう話しかけました。
『今、この路を多くの車が列をなして通り過ぎたのをあなたは見ましたか?』
アーラーラ・カーラーマは答えます。
『見ていない』
それから2人はこんなやりとりを交わしました。
『では、車が通り過ぎる音を聞きましたか?』
『いや、聞いていない』
『するとあなたは眠っていたのですか?』
『いや、眠ってもいない』
『ちゃんと意識のある目覚めた状態だったのですか?』
『そうだ』
『つまりあなたは、目覚めていたにも関わらず、隊商が通り過ぎるのを見ておらず、音も聞かれなかったということですね』
『いかにも』
『あなたが行じていた瞑想は、なんというすばらしいものでしょうか。
意識がありながらも目の前の車を見ることなく、音も聞くことがないとは』
男はそう言ってアーラーラ・カーラーマを褒め称えると、隊商へと戻っていきました」
プックサが話し終わると、ブッダはプックサに問いかけた。
「そのことをそなたはどう思っているのか?
あるいは、意識がある瞑想の状態にありながら、多くの車が過ぎゆくのを見ず、音も聞かないのと、同じく瞑想状態にありながら、雨が降り雷鳴が轟き雷が落ちるのを見ず、音も聞かないのとでは、どちらが深い瞑想かと思うだろうか?」
「いくら多くの車が過ぎようと、雨や雷を見たり聞かなかったりする瞑想のほうがはるかに成し難いことでしょう」
そこでブッダは、かつて自分が経験した瞑想をプックサに伝えた。
「昔、私がアートゥマー村に留まっていた時のことだが、嵐と遭遇したことがあった。
その時私は1件の家の中で坐禅をしていたのだが、坐禅を終えて外に出ると大勢の村人が集まっていた。
そのなかの1人の男性が私に近づいてきたので、私は一体何が起きたのかと彼に訊ねた。
すると、ひどい嵐で雷が落ち、悲しいことに2人の農夫と4匹の牛が亡くなったという。
そして彼は私にこう訊ねた。
『あなたはどこにいたのか』と。
私はこの家のなかで坐禅をしていたと答えたのだが、すると彼は
『何を見たか?』
『何か音を聞いたか?』
としきりに訊ねてきた。
しかし私は、意識こそ覚醒していたものの、瞑想の状態にあって何も見ず、また何も聞きはしなかったと答えた。
すると彼は大いに驚いて、私に対する信仰の言葉を述べて去っていった」
ブッダの瞑想に関する話を聞いたプックサは感嘆の声をもらした。
「すばらしいことです。閉ざされていた眼を開かせるような話です。
私はあなた様に帰依いたします。
どうか私を在家信者とさせてください」
プックサは他の同行者に声をかけた。
「さあ、金色の艶やかな衣を1対ここに持ってきなさい」
同行者は返事をして、すぐに衣を用意した。
プックサはその金色の衣を手に取ると、ブッダに向けて差し出した。
「尊い方よ。ここに絹でできた1対の金の衣があります。
どうぞこれを受け取ってください」
ブッダはその申し出を受けると、1つは自分に、もう1つはアーナンダに着せるようプックサに告げた。
プックサはすぐに2人に衣を着せた。
そこでブッダはプックサに法を説いて聞かせた。
プックサは大変喜び、話が終わると丁重に礼を尽くしてその場を去って行った。
プックサが去ったあと、アーナンダはブッダの姿を見た。
金色の衣は美しいが、ブッダの肌もまた清らかで美しく、衣の輝きを失わせるかのようだった。
「ブッダ。不思議なことですが、ブッダの姿がとても美しく感じられます。
まるで、金の衣が輝きを失ってしまったかと思うくらいです」
するとブッダはこう答えた。
「アーナンダよ。
修行を完成させた者の姿は、2つの時においてまことに美しいものなのだ。
その2つの時とはいつのことかわかるだろうか?
1つは、無上の悟りを開いた時。
そしてもう1つは、煩悩の火が完全に消えた時。つまり、死が訪れる時だ。
この2つの時、修行を完成させた者の姿はまことに清らかで美しい。
アーナンダよ。
今日この日、夜更けに、クシナーラーのウパヴァッタナの地にあるマッラ族の林にある、2本並んだサーラ樹(沙羅双樹)のあいだで私は入滅するだろう。
さあ、向かおう。まずはカクッター河を目指そう」
「かしこまりました」
アーナンダは返事をし、ブッダの後に続いた。
金色の衣をまとったブッダは光輝いていた。
病身をおしてどうにかカクッター河までやってくると、ブッダは河につかり、その水を飲んで喉を潤した。
ブッダはそのまま流れを渡って対岸へあがると、再び歩み始めた。
そしてついに、クシナーラーのウパヴァッタナにあるマッラ族の林にたどり着いた。
ブッダは2本のサーラ樹のあいだに近づくと、4つに折られた衣を敷いてもらい、その上に臥した。
右の脇を下に向けて、右足の上に左足を重ねて。
その姿は伏した獅子であるかのようだった。
ブッダはアーナンダに告げた。
「私の死に関し、誰かが鍛冶工のチュンダを責め、彼に後悔の念を起こさせるような言葉を発するかもしれない。
『ブッダはお前の食事を受けて亡くなったのだから、お前には利益も功徳もない』と。
もしもそのような事態が起こったら、アーナンダよ、次のように言ってチュンダの後悔の念を取り除いてあげなさい。
『友よ。ブッダは人生最後の供物をあなたからいただいたのだから、あなたには大きな利益と功徳がある。
私はブッダから聞いた。人生にはすばらしい食べ物の供養が2つあるということを。
1つは、食べ物をいただいて、無上の悟りを開いた時の供養。
そしてもう1つが、人生の最後にいただいた食べ物の供養だ。この供養の後、ブッダは煩悩が完全に滅却した涅槃に入ったのだから、この食べ物を施した功徳ははかり知れない。
だからチュンダの施した供養は大きな功徳がある。
すぐれた果報があるのだ』と。
そう言ってチュンダの後悔の念を取り除いてやってほしい。
よいな、アーナンダよ」
そこまで話すと、ブッダはつぶやくように感興の言葉を述べた。
「施す者の功徳はすぐれたる。
心を整えれば怨みはない。
善き人は悪事から離れ、
欲を滅して煩悩から放たれた」
第4章 おわる
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