寺院に欠かすことのできない木魚。
しかしそんな木魚を製造している工房は現在、日本のなかでも愛知県内に数える程度しか残っていない。
しかも後継者問題が深刻だという。
なんとも危機的な状況である。
この危機を打開するためにはどうしたらいいのか。
よし、まずは木魚について知っていただこう。
そのためにはまず、自分自身が木魚について知らねば……!
ということで、貴重な木魚工房の1つであり、かつ木魚界随一と言われる品質を誇る市川木魚製造所を訪問し、3代目の市川幸造さんに木魚について話を聞かせていただいた。
木魚について
今日はよろしくお願いいたします。
木魚について、また市川木魚製造所さんについて、色々と教えていただければ幸いです。
市川です。
よろしくお願いいたします。
まず、この市川木魚の特徴なんですが、寺院専門の木魚だけを製造している工房になります。
ほかの工房でも寺院用を造っているところはありますが、寺院専用となる大きな木魚だけを専門で造っているのは、うちだけです。
今作業されている木魚も、けっこう大きいサイズですね。
市川木魚で扱っている木魚は、一番小さいものでも1尺(直径約30cm)、大きいものになると3尺(直径約90cm)になります。
こうした寺院専門の木魚を製造しているのは日本でうち一軒だけになってしまったので、その珍しさから時々メディアにも取り上げられるようになりました。
一番小さい物でも1尺ですか。
完全に寺院サイズの木魚。
木魚に使用する木の種類というのは決まっているんですか?
ええ、すべてクスノキです。
九州から静岡までの太平洋側に生えている、比較的暖かい地方のクスノキを使っています。
暖かい地方のほうが木の生育がよいので。
ただ、クスノキは欲しいと思ってもなかなか入手できない面があって、けっこう難しいんです。
7~8年ほど前のことなんですが、どうにも材料(クスノキ)が入手できない時期がありまして、その時は本当に困ってしまいました。
ただその反面、ここ最近は偶然にもいくつか入手できる機会に恵まれています。
足りない時もあれば、話が重なる時も。
タイミングなので、こればっかりはしょうがないですね。
入手しにくいというのは、何かクスノキに特別な理由でもあるんですか?
クスノキは人が沢山植えるような木ではなく、一里塚の目印とか、神社仏閣のご神木というような、そういった意味合いで少数植えられているケースが多い木です。
大木になるので、まとめて植えられることはほとんどありません。
そして大木になると、今度は天然記念物や文化財になってしまうケースが多くて、大事に扱われるためなかなか伐採されにくい木なんです。
名古屋にもそんなクスノキがありますよね。
そういえば道路の真ん中に生えてて、それを避けるようにして道路が造られているところがありましたね。
普通なら伐採してしまいそうなものなのに。
たしかに大事にされているかも。
でも、それじゃあどうやって伐採の情報を得るんですか?
木材業者とネットワークがありまして、そこから伐採の話を聞いて、実際に交渉を行って、といった感じになります。
運に近いところがあります。
大木のクスノキの伐採というのは本当に数少ないケースですので、もしあったら教えてほしいくらいですね(笑)
なぜそこまでして入手しにくいクスノキにこだわるのですか?
クスノキで木魚を造る理由は2つあります。
1つは、なんといっても大きく生育すること。
うちで造る木魚は最低でも幹の直径が90cmは必要で、そのため大木に育つクスノキは大きな木魚を造るのに適しているわけです。
むしろ、それくらいの大きさになる木でないと、寺院専門の木魚というのは造ることができません。
そういえばトトロに出てくるクスノキはとんでもなく巨大だったような。
でも、スギやヒノキでもかなり大きく育ちませんか?
たしかに大きさに関してはスギやヒノキでもある程度は太くなります。
ですが、クスノキには及びません。
それに、クスノキにはもう1つ重要な特徴があるんです。
と、言いますと?
クスノキはスギやヒノキと違って木目が入り組んでいるんです。
木目が入り組んでいると、割れにくいんですよ。
木魚は叩くものですから、これは重要なポイントです。
これが2つ目の理由になります。
普通木材というと、目がきれいなほうが重宝されるイメージですけど、逆なんですね。
目が通っていると、鑿をあてた時にパカッとヒビ割れるようなこともあるんです。
そういったことが、クスノキではありません。
たしかにスギやヒノキの木目は真っ直ぐですね。
そうですか、真っ直ぐな木目の木は木魚には適していなかったのですか。
建材に使用する木は目がきれいなほうが適しており、目が入り組んだ木材はあまり向いていません。
歪みが出やすいなどの理由からです。
反対に、仏像とか木魚には目の入り組んだ木材のほうが向いています。
丈夫ですから。
ただし硬さ自体は木のなかで普通くらいです。
クスノキは特に硬い木というわけではなく、柔らかい木でもありません。
大きくなること、割れにくいこと、この2つの理由でクスノキを使用しています。
伐採したクスノキはどうするんですか?
すぐに加工できるものなのでしょうか?
運良くクスノキの大木を入手できることになったら、まずうちまで運んで、最低でも2~3年は寝かせます。
自然の状態で。雨ざらしで。
長いですね。
丸太の状態で2~3年寝かせるというのは。
切った後でも木は生きていますので、どうしても時間経過とともに動いてしまうんです。
だからそれくらいは寝かせないといけません。
ただ、直射日光だけは避けないといけないので、シートはかぶせています。
2~3年寝かせても、表面から3cmも彫れば湿っています。
まあ湿っていないといけないんですが。
乾くとどんどんヒビが入っていきますので。
乾かないものなんですね。
2~3年も放置しておいたら、カピカピに乾燥してしまいそうなのに。
一応、木を倒す時期にも適切な時期というのがありまして、ベストなのは冬場。
木が水をあまり吸い上げていない時期に切り倒した木が一番いいです。
2~3年経った丸太は、その後どうするんですか?
丸太から木魚の大きさに木を切り出す工程に移ります。
欲しい木魚の大きさによって切り出す大きさも変わりますが、通常、輪切りの状態から3つの塊を切り出します。
芯をはずして、3つです。
芯ははずしたほうがいいのですか?
芯があってはいけないというわけではないのですが、芯をはずした「芯去り」と呼ばれる木魚のほうが上物になります。
見た目が綺麗という理由と、丈夫だからという理由からです。
綺麗というのはわかるのですが、芯がないほうが丈夫というのは、どういうことなのでしょうか?
芯があると、どうしても芯割れが起きる可能性があるんです。
強くぶつけたり落としたりすると、芯の部分が割れることがあるんですよ。
そうしたリスクを避けるために、芯去りの木魚のほうが選ばれやすく、上物と位置付けられているというわけです。
なるほど。
しかし芯をはずすとなると、そもそもの原木がかなり大きくないといけませんね。
そう。
たとえば30cmの木魚を芯去りで造ろうとするなら、単純に考えて木の直径は倍の60cmは必要で、実際には直径90cm以上のクスノキでないと、うちでは使えません。
たしかに大木でないと難しそうですね。このサイズですと。
切り出した木の塊は、どのようにして木魚の形にしていくのですか?
まず外側を木魚の形に粗く丸く削っていきます。
次に、木魚の「口」を彫って、そこから中を彫っていきます。
素朴な質問なんですけど、中ってどうやって彫るんですか?
説明しましょう。
まず、このようなノコギリで2本切り込みを入れます。
ちょ、ちょっと、何ですかそのギャグのようなノコギリは。
マンガの悪役キャラクターが持ってそうな、ほとんど武器に近いじゃないですか。
すごいでしょう。
木魚の「口」は、できるだけ薄い切り口のほうが良い音に仕上がります。
なので、可能なかぎり薄くするためにノコギリを使用します。
チェーンソーのほうが早そうですが、どうしても切り口が厚くて幅広の口になってしまい、削れすぎてしまいます。
削りすぎたものはもう元に戻すことができないので、とにかく薄くするために時間をかけてもノコギリで作業する必要があります。
ただ、最近はこうしたノコギリを造る職人さんがそもそもいないんです。
そうでしょうね。
人生で初めて見ましたもん。こんな巨大なノコギリ。
木魚の口ができたら、口の横の部分からドリルで粗く穴を開けて、そこから柄の長い鑿で削って砕いて取り出します。
小さな隙間しかないので、ひたすら繰り返して彫るしかありません。
中も外の丸みに合わせて丸く彫っていきます。
それと、これが重要なところなのですが、木魚の中に板裏という部分を残しておきます。
この板裏をいかに高く薄く残すかによって音の品質が変わってきます。
職人の腕の見せ所です。
あんまり木魚の口の中をしっかりと見たことなかったんですが、見ると、たしかに板が残っていますね。
なんとなく、全部空洞のように思っていました。
この板が重要なんです。
この板があることで綺麗に音を響かせることができるようになります。
半分に切った木魚がありますので、そちらを見てもらうと木魚の中がどうなっているのかよくわかると思います。
これです。
これはすごいですね。
板裏の部分がはっきり見えます。
しかし見れば見るほど時間のかかりそうな作業ですね。
板裏を残して、それ以外をコツコツ彫っていくというのは……。
全体の厚みというのはどれくらい残して彫るんですか?
硬さによります。
硬いクスノキなら薄く、柔らかいクスノキなら厚目に削ります。
平均すれば、2cmくらいでしょうか。
2cmですか。
けっこうギリギリまで彫るんですね。やっぱり時間かかりそう……。
何日くらいかければ彫れるものなんですか?
大きさにもよりますが、これくらいでしたら3日もあれば中彫りを終えます。
ちなみに、中彫りをして、また後で中彫りをするということはありません。
乾いてからはもう中に鑿を入れることはできないんです。
乾いてしまってから鑿を入れると割れるおそれがありますので。
木魚の中をくり抜いて、ある程度の音が出るようにしたら、次に乾燥させます。
乾燥させるといっても、あくまでも自然に乾燥させるだけなので、この建物の二階に保管します。
実際に二階に上がりましょうか。
はい、お願いします。
うおぉ! すごい数の木魚の原型!
こんなに保管されているんですか。
ここで乾燥させています。
あくまでも自然に乾燥させますので、特に空調などはありません。
夏はとても暑いですし、冬は寒いです。
どれくらいの期間乾燥させるものなんですか?
小さいもので3~5年。
中くらいで5~7年。
大きいものだと7~10年。
なのでだいたい7年ほど乾燥させます。
木にとって一番良くないのは直射日光と風。
ここはそれを避けるための場所になります。
こうやってしっかり乾燥させた木は、10年経っても20年経っても音が変わりません。
そうですか。しっかり乾燥させてから音を付けることが重要なんですね。
それにしても、相当な数ですね、これは。だいたい何個ぐらいあるんですか?
400個くらいです。
現在は3人の職人で木魚を造っていますが、どれだけ頑張っても1年間で造ることができるのは20~30個。
決して多くはない数ですが、伐採から乾燥を終えるまでに10年ほどかかることを考えると、最低でも常時200個ほどはストックさせておかないと続けていけません。
だから400個というのも特別多い数というわけではありません。
そうですか、たしかにそう考えると多くはないのかもしれませんね。
木魚に何やら数字が書かれていますが、あれは……
これは号数や日付です。
「20 上 28.5.19」なら、20号のサイズで、平成28年5月19日に中彫りをしたという意味になります。
あと「中」というのは芯付きのことで、「上」は芯去りを意味しています。
先ほど話しましたように、芯去りのほうが上物になりますので「上」と記しますが、肝心の音についてはどちらもまったく変わりません。
完全に一緒です。
ただ、見た目と耐久性で芯去りのほうが上になるので、今はもう9割以上は芯去りが選ばれます。商品となるものは。
もちろん好みの話なので、芯付きを選ぶ方もいないわけではないですが。
札のようなものが付いているのもありますね。
あれは購入予約済みの木魚になります。
木魚は1つ1つ木目が異なりますので、自分で木魚を選びたいというお寺さんもいらっしゃいます。
そうした方が自分の眼で選ばれた予約済み木魚には札がついています。
あちらには特大の木魚もありますね。
うちで一番大きな3尺の木魚です。
これくらいになりますと、大本山と呼ばれるようなお寺さんが主な納品先になります。
有名なところですと、福井の永平寺さん。
関東のほうですと、總持寺さん。
過去最大のもので3尺3寸の木魚を造りましたが、それは京都の智積院さんに納品しました。
京都ですと、南禅寺さんにもうちのが入っています。
全国的に有名なところですと、あとは長野の善光寺さんですとか。
永平寺の木魚も市川さんの木魚だったんですか!! 知らなかった。
修行時代はあの重低音に大変お世話になりました。ありがとうございました。
あれっ、よく見ると木魚の口の部分に何か付いてますね。
鎹(かすがい)です。うちの木魚は口に鎹を打って乾燥させています。
中彫りをした状態の木は、放っておくとどうしても口が離れていきやすいので、それを止めるためです。
口が離れてしまうと音の品質が落ちるので。
鎹を打ち込んでできた穴は、同じクスノキの木を詰めて仕上げます。
うちの玉斎の号が入っている木魚はほぼすべてに鎹の後が残っていますので、そこを見ていただくと玉斎の木魚かどうかをすぐに見分けることができるかもしれません。
へぇ、鎹の跡があるんですか、知りませんでした。
よそのお寺の木魚を見る機会があれば、今度からチェックしてみよっと。
乾燥は重要で、乾燥が十分でないと木が動いてしまい、音が変わってしまいます。
だから十分に乾燥したものでないと商品にはしません。
それだけに、うちの木魚でしたら10年経とうと20年経とうと、音が変わるということはまずないです。
万が一、音が変わったということがありましたら、責任をもって直させていただきます。
ただ、意外とよくあるのが、木魚を叩く棓の寿命とか、木魚の下に敷いてある座布団が凹んで、それが原因で音が出なくなっているとか、そういった原因です。
乾燥させたものは、次にどうするんですか?
あとは外側を綺麗に仕上げ彫りをして、角を全部取って丸みを持たせて、龍の姿などを彫っていきます。
その後、一番大事な音を付ける工程に移り、最後に色を付けて完成になります。
うちの木魚は、木目が見える程度の茶色の着色をしていきます。
では、次にそちらの完成品をご覧いただきましょうか。
お願いします。
これが色を付けた、完成品の木魚になります。
おぉ! 白木もいいですけど、色が付いた木魚は渋くてカッコイイですね。
デザインというのか、龍などの彫りにはなにか意味があるのですか?
魚が滝を登って龍になったという伝説にちなんで、「竜頭魚身」の姿で彫っています。
なので丸い鱗のあたりが魚の体で、頭は龍で彫っています。
龍の頭が2つ、内側を向いているデザインになります。
どちらの傍にも渦巻模様が彫られていますが、魚のほうは波を、龍のほうは雲を意味しています。
木魚のデザインって「登龍門」のことだったんですね。
永平寺の参道入口も龍門といいますけど、名前の意味はまったく同じです。
龍というのは真理の象徴といいますか、仏教では重要な意味を持った生き物となっていますからね。
では次に音を聞き比べてみましょうか。
音を付けていない木魚と、音を付けた木魚と、どう違ってくるのか。
はじめに音を付けていないほうの木魚から叩いてみましょう。
ポン、ポン、ポン、ポン。
まあ、なんと言いますか、木を叩く音ですよね。
小さな木魚だと、こんな感じの音がする木魚が多いです。
あまり響きといったものはないですね
では、次に音を付けた木魚を叩いてみましょう。
いきますよ……。
ボフォン、ボフォン、ボフォン、ボフォン。
な、な、な、なんですかこれは!?
もはや耳をすまして聞き比べるとか、そんなレベルではない。違いすぎる。
なんなんですかこの重い響きは……!
これが市川木魚で製造している「玉斎」の音です。
おそるべし……!
これが木魚界随一と言われる玉斎の音ですか……。
ちょっとくぐもった音と表現すればいいのか、この音がうちの音になります。
デザインは真似できますけど、この音は簡単には真似できませんよ。
うちが自信をもっている音です。
こんなにも響きのある音が出せるんですね。
いやぁ正直なところ、木魚の音の違いなんて微々たるものだと思っていましたが、これを聴いてしまうと認識を改めざるをえません。
それにしても、大変な時間と手間をかけて木魚が造られていることがよくわかりました。
ご丁寧に説明をしていただきましたおかげで、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。
どうもありがとうございます。
いえいえ、こちらこそ。
ご購入をお待ちしております(笑)。
その時はまた見学に来させていただき、どの木魚にするか選ばせていただきたいと思います(笑)