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【沢庵宗彭】 読後に、思わず「なるほどねぇ」と唸る禅僧の逸話 

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【禅僧の逸話】将軍家光を感嘆させた沢庵宗彭の食事 - 美味と空腹 -

白いご飯に添えられる漬け物。
そんな漬け物の代表格は、やはり沢庵漬けだろう。
この沢庵漬けという名前にある沢庵とは、一説には安土桃山時代から江戸前期を生きた臨済宗の禅僧沢庵宗彭(たくあん・そうほう)にちなんだものと言われている。
沢庵和尚が作った漬け物だから、沢庵漬け。
ただ、史実かどうかはわからない。
その沢庵にちなんだ面白い逸話があるので、ご紹介しよう。


ある時、沢庵禅師に帰依していた徳川3代将軍家光が、沢庵にこんな相談をした。
「近頃、余は何を食べても美味しいと感じぬ。何か美味しいものがあれば食べさせてはくれぬか?」
すると沢庵は、すぐにこの話を請け負った。
「そんなことでしたらおやすいご用です。明日の午前、拙僧の寺においでくだされ」
ただし、続けてこう付け加えた。
「食事の席では私が主人であり、将軍様は客でございますから、わがままは言われませんように。それと、いかなることがあっても途中で席を立つことはなりません。それだけはご承知ください」
家光は美味しいものが食べられるのであればと、沢庵の申し出を許諾した。


翌日、家光は沢庵の寺にやってきた。
沢庵は家光を茶室に通すと、準備をするからしばらくお待ちくだされと言って部屋を出た。
家光はどんな食事が出てくるのか、どれほど美味しい食事なのか、楽しみで仕方なかったに違いない。


ところが、いくら待てども食事が出てこない
一時間経ち、二時間経ち、昼が過ぎても沢庵は姿を現さない。
家光の腹は減りに減り、もうこうなったら沢庵を呼びに行くしかないと思うのだが、
「いかなることがあっても途中で席を立つことはなりません」
という昨日の申し出で、中座することは固く禁じられていたため、待つしかなかった。


かつてない空腹。
尊敬する沢庵のことだから待てたのかもしれないが、それでも待たせ過ぎだろう。
陽が傾きかけた頃、ようやく沢庵はお膳を持って家光の前に現れた。
お膳には、ご飯が盛られた椀と、大根の漬け物が二切れ皿にのせてあるのみ。
「これこそが拙僧の作った美味なる食事でございます。ご賞味くだされ」
沢庵はそう言ってお膳を差し出した。


美味しい食事を食べることができると聞かされていたにもかかわらず、長時間待った末に運ばれてきたのは、ご飯と漬け物だけという粗食。
家光には怒りの気も湧いたであろうが、それよりも空腹が勝っていたようで、椀を手に取るとご飯を口にかき込んだ。
そして一言。
「何とも美味じゃ」


腹が満たされて家光が箸を置くと、沢庵はおもむろに口を開いた。
「将軍様は日に三度の食事を、何不足なくお召し上がりになっていることでしょう。普段、食べるものがなくて空腹を感じることなどありますまい。腹が減れば、それだけで食するものは皆美味となります。このお膳とて、特別なものは何もありません。美味しい食事をお召し上がりになりたいとお考えでしたら、美食を探すのではなく、腹を空かせればよいのです


なるほど、さすがは禅僧だなと、沢庵の言葉に家光はすっかり感心し、寺を後にした。
そしてこの時にご飯に添えられた漬け物が、後に沢庵漬けと呼ばれるようになったという。