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武田物外(物外不遷)~拳骨和尚の異名を持つ怪力禅僧の逸話~

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武田物外(物外不遷)~拳骨和尚の異名を持つ怪力禅僧の逸話~

1795年に伊予国(現在の愛媛県)に生まれ、幕末の時代に世を去った曹洞宗の禅僧武田物外(たけだ・もつがい)(物外不遷・もつがいふせん)がいる。
物外は不遷流柔術という武術の創始者でもあるが、何よりも有名なのはその桁外れな怪力伝説
物外の怪力話は枚挙に暇がないほどで、各地にその手の伝説が残っている。
なかには明らかに作り話としか思えないほど内容を盛っているものも少なくないのだが、エピソードの豊富さからも「怪力僧といえば物外」というくらいにイメージが定着していたのかと思うと、実際のところどうだったのか興味が湧いてくる。


そんな怪力の物外には拳骨和尚という風変わりな異名もある。
ルーツは単純で、物外が拳を握り板を打てば、いかに堅い板であっても必ず凹んだため。よほどの怪力らしい。
たとえばこんな話がある。


碁盤が欲しくて……

あるとき物外は江戸に赴いていて、浅草のあたりを歩きながら店々の様子を見ていた。今でいうウインドショッピングみたいなものだろう。
すると古道具屋の店先にすばらしい碁盤が売られていた。
「おっ、これはいい品だ」
一目見てこの碁盤が気に入った物外であったが、あいにく金を持ち合わせていない。
そこで店主に取り置きしてもらうように頼むことにした。


「2、3日のあいだに金を持ってくるから、それまでこの碁盤は売らないでおくれ」
そう物外が頼むと、店主は
「ええ、それはもちろんかまいません。ただ、いくらか手付金をいただきたいのですが……」
「それが、今日は一文も持ち合わせておらんのだよ」
「そうですか……それは困りましたね」
物外は手付金の代わりになるものが何かないかと今一度懐を探ってみたが、やはり何も持っていない。
そこで最後の手段に打って出ることにした。


物外は碁盤を持ち上げるとそれをひっくり返して台の上に置いた。
そしてその裏面めがけて、自慢の鉄拳を振り下ろした
ボコッ。
「ほれ、店主。これがわしの手付けだ」
驚いた店主は鉄拳が打たれた箇所に目をやった。するとそこには見事なまでにくっきりと拳の形に凹んだ跡が残っていた。
いや、確かに手の跡が付いているが、
「手付け」って……そういう意味じゃないんですけど!
店主はきっと叫びたかったに違いない。

規格外の怪力

物外の怪力伝説にはストレートなものから少々ひねりの利いたものまである。
米俵をいっきに16俵も担いだとか、永平寺で修行していたときに大梵鐘を一人で持ち上げたとか、三人がかりでやっと動く大木魚を投げ飛ばしたとか、規格外すぎるトンデモ伝説も多い。
ちなみに現在の永平寺の大梵鐘の重さは約5トン。これを直接持ち上げたら、おそらく人ではない。
江戸期の大梵鐘が今より小ぶりであったとしても、人が1人で持ち上げられるような重さではなかっただろう。
米俵16俵伝説も、ちょっと誇張しすぎではないか。16俵って……どうやって担ぐというんだ。


じつは永平寺には物外の怪力伝説の証拠と思われる手形が1つ残っていて、大庫院と僧堂を結ぶ廊下の真ん中にある中雀門の柱に、物外が張り手をした跡が残っている。ちょっと張り手したら柱が凹んだらしい。
見ようによっては指の跡のようにも見えるわけだが、はたしてそれが本当に物外の張り手によるものなのかは……各人の慧眼にゆだねよう。永平寺を訪れた際には、ぜひ雲水に場所を訊いて実物を見てはいかがか。


ちなみに永平寺には「永平寺の七不思議」という怪談話があって、物外の張り手はその1つ。
あとの6つはかなり生々しい「THE 怪談話」で、ちょっと書くのに勇気がいる。いつか気が向いたらご紹介させていただきたい。


近藤勇との決闘

物外は不遷流柔術の生みの親ということもあり、怪力というだけでなく闘っても非常に強かったらしい。
たとえばこんな逸話も伝わっている。


あるとき物外は京の町を歩いていた。するとたまたま新撰組の稽古道場を見つけた。
興味本位で道場のなかを覗いていると、隊士らに見つかってしまい道場のなかへと連れて行かれた。
そこで隊士らと稽古の試合をすることになったのだが、物外は如意という棒のような仏具で隊士らをこてんぱんに倒してしまった
すると一部始終を見ていた近藤勇が前に進み出てきた。


「どうやら君たちの手に負える坊様ではないようだ。私が相手になろう」
近藤は自分の名を名乗ると、如意では対等でないということで竹刀での闘いを提案した。
しかし物外はそれを断わった。
「坊主に竹刀は似合わん。代わりにわしはこれを使わせていただこう」
物外は托鉢袋のなかから頭鉢(お椀)を2つ取り出して手に持った


この坊主……ナメてるのか? 竹刀に対して椀で立ち向かうだと? 椀は武器じゃねえだろううが! 新撰組の近藤勇をナメくさってやがるのか……!?
こんな風に思ったのかどうかは知らないが、とにかく近藤は頭にきたらしい。脅かすつもりで本物の槍を手に取った
しかし物外は相変わらず飄々としてこう言う。
「何でもいいから、早くかかってきなさい」
近藤は怒り、物外めがけて素早く槍を突き出した。


物外は近藤の一突きをひらりとかわすと、両手に持った椀で槍の螻蛄首(けらくび=槍頭と柄の継ぎ手部分)をパクリと挟み込んだ
近藤は再び突きをくりだすために槍を引こうとしたが、物外の怪力ではさまれた槍はビクともしない。
押そうにも引こうにもまったく動かないものだから、近藤は全力で槍を引っ張った。
その瞬間、物外はパッと槍から椀を離した。
近藤は全力で後ろに転がっていった。

初雁やまたあとからもあとからも

物外の逸話は腕っ節に関するものが多いが、なかには頓智を効かせた面白い話もある。
最後にご紹介するのは、絵に関する逸話だ。


備後三原城主の浅野甲斐守は物外に篤く帰依しており、時折物外を城に招いては禅の話を聞いていたという。
そんな浅野はある日、絵師を呼びよせ床の間の掛軸を描かせたことがあった。
絵師はすらすらと巧みに筆を操って、空を飛ぶ一羽の雁の絵を描き上げた。そして完成した絵を浅野に差し出した。


しかし、絵を見た浅野は激怒した。
「雁は普通、群れをなして空を飛ぶ鳥ではなかったか。一羽だけ離れて飛ぶとは、まるで謀反の兆しではないか。この無礼者め!」
あまりの剣幕に家臣は冷や汗を流し、絵師は青ざめてしまった。きっと、生きた心地がしなかったに違いない。
そんな修羅場にたまたま物外がやってきて、状況を察知し、浅野にこう告げた。


「それほどに怒ることでも憂えることでもないでしょう。こうすればよいのです」
物外は絵に近寄ると筆を手に取り、雁の傍らにこう書き添えた。

初雁や またあとからも あとからも

浅野はこれを見て大いに頷いた。
「なるほど、初雁ときたか。これは途端にめでたい掛軸にとなった。さすがは物外和尚」
浅野はすっかり機嫌をなおしたという。


物事は解釈1つで善くも悪くも受け取れる。
だから解釈などというのは所詮解釈でしかなく、真実ではないのだという物外の大笑いが聞こえてきそうな逸話である。
物事の一面しか見ることのできないこりこりに凝り固まった頭になってはいけないという教訓として読んでも面白い。
こんな逸話が、物外にはたくさんある。