禅の視点 - life -

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禅の修行って何? ~永平寺での修行で何を得たか~

永平寺,勅使門,唐門

禅の修行って何? 永平寺での修行で何を得たか

一般の方と話をしていて
「一時期、永平寺で修行をしていた」
という話になると、
修行ってどんなことをするの?
と訊かれることがある。


滝に打たれるとか、火の上を歩くだとか、苦行という部類に入るようなわかりやすい修行をイメージされる方が多いが、永平寺の修行にそういった「いかにも」な部類の修行はほとんどない。


禅の修行はもっと地味なのだ。
地味で、かつ、なぜそれが修行となりえるのか、修行の意図を一般の方に伝えることがちょっと難しいのだ。



実際のところ、雲水は永平寺で毎日何をしているのかといえば、坐禅をしたり、読経したり、食事したり、掃除をしたり、それぞれの寮舎(部署)の仕事をしたり、夜は寝たりと、そんな暮らしを365日続けている。


そのなかで「これが修行」というような特別な項目はなく、すべてが等しい重要度で修行と位置付けられているものだから、生活=修行というのが禅の修行の大前提となっている。
だから「いかにも」な修行がないのである。


何気ない日常生活が、修行そのもの。
こういった禅特有の修行観は、一般の感覚から考えれば特殊なものに感じられるように思う。


禅の修行というのは基本的に自分の心を整えることに主眼が置かれており、坐禅などはその方法の1つ。
坐禅が修行なのではなく、心を整えることが修行なのである


さらに禅では心を整えるのに、直接心にはたらきかけるのではなく、日常の行動・言動といったものを正すことで心を正していこうと考える。
だからまずは身を整える。
すると自然と心が整ってくるのだと考える。
間接的に心を整える、あるいは、心は身に沿うようにして整うもの、というような感覚といえるだろうか。
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日常生活のあらゆる事柄を丁寧に行い、正していくことで、常に心を整えておこうとするもの。
それが禅の修行。
だから禅の修行に終わりはないし、完成もない。
修行の意図を一般の方に伝えることがちょっと難しいという意味が、多少なりご理解いただければ有り難いが、どうだろうか。


禅の修行は厳しい?

永平寺の修行は厳しいと言われる。
朝3時に起きて坐禅をするとか、2時間も3時間も正座を続けるとか、厳冬で凍りつくほど冷たい回廊を裸足で掃除するとか、朝から晩まで坐禅を続けるとか、自由がないとか、食事が質素だとか……。
いろいろな理由を挙げて、だから厳しいと言われることがある。


それらを厳しくないと言えば嘘になるが、はたしてそれが修行の厳しさかと考えると、どうもそうとは思えない


上に挙げたような事柄というのは、はっきりと言ってしまえばどうでもいいような厳しさなのだ。
どれも生活することの厳しさであって、自分の外側に存在する厳しさでしかない。


外側の事象はいずれ慣れる。
慣れれば、それがやがて普通になるから、外側の厳しさは割とどうとでもなる。
自分にとって本当に厳しいものとなるのは、内側
自分の心に関する事柄なのである。


怠けちゃおうかなと、易きに流れやすい心。
ほかのことがしたいなと、移ろいやすい心。
イライラを抑えることのできない、乱れやすい心。


そういった未熟な心を自分自身で整えていく努力を、毎日毎日不断に続けていく
自分の心に自分で責任を持ち、自分で自分を律していく
そのように自分の精神を鍛錬していくことは、決して簡単なことではない。


そしてその厳しさこそが、禅における本当の厳しさであり、禅の修行なのである。


永平寺の修行で何を得たか

だから永平寺で得たものは何かと問われると、私は言葉に詰まる。
「これだ」というような、わかりやすく提示できるものがないのである。


永平寺にいようが、どこで暮らしていようが、禅の修行はいつでもどこでも同じで、自分の心を整え続けることにある。
整えたら何かいいことがあるのでもない。
整った心で生きることができるだけ。
だから永平寺で修行をした結果、特別に何かを得たという認識は、残念ながら、ない


永平寺での修行によって得たものは、ない。
ない、ということを知ることができたことが、強いて言えば得たものだろうか。
修行の結果として得たものがないとは哀しい結果のように聞こえるが、これは動かしようのない事実なのでしょうがない。


ただ、永平寺へ修行に行っていなければ知り得なかったであろうことはいくらでもある。
禅の修行道場の生活から、法要、作法、修行仲間と知り合えたことを含め、得たものは多い。
しかしそれらはすべて修行の「結果」として得たものではない。
あまり表現がよくないかもしれないが、修行の過程で生じた副産物のようなものなのだ。

永平寺での質素な食事

知り得た事柄のなかで1つ、永平寺のような場所でなければ絶対に知ることができなかったであろうことがあり、これを知れたことは非常に幸いだったと思っていることがある。
それというのは、自分のなかに眠っていた欲の醜さだ。


たとえば永平寺で修行をはじめたころ、食事の量が少なくて絶えず空腹という状態に陥ることがあった
私は平均的な成人男性に比べればだいぶ小食な胃の持ち主であるが、それでも相当な空腹を覚え続けた。


永平寺では自分の食事を自分で給仕することはなく、必ず浄人(じょうにん)という給仕係から給仕していただく。
汁をいただく時など、なるべく具を多く入れてもらいたいとか、隣の人のほうが具が多いのではないかとか、そんな恥ずかしい思いを抱きながら給仕をしていただいたことが何度もあった。


食事の量で醜い欲を起こすことなどそれまでの人生で一度もなかったが、飢餓状態に陥ればあっさりと変わってしまう自分の心。
他人のものまで食べてしまいたい――。
そんな醜い欲が自分のなかにもちゃんと眠っていたという事実は、永平寺のような禅の修行道場という特異な状況のなかで生活をしなければ、死ぬまで知り得なかったにちがいない。


単に自分は、恵まれた豊かな生活を享受していたから欲を出す必要がなかっただけで、苛酷な状況に放り込まれればいとも簡単に欲は湧いてきたのだった
これを知れたのは本当に大きな収獲であった。

脚気という恐怖の病

そんな慢性的栄養失調の永平寺生活なものだから、脚気(かっけ)に罹る者も少なくない。
ビタミン不足などの栄養不足によって陥る脚気は、悪化すると治療が必要となり、永平寺にいることができなくなる。
悪化せずとも、たとえば脚気の症状の1つである頻尿は、「自分の時間」がほとんど存在せず、トイレに行きたくても行けない時間が多い永平寺においてはかなり危険な症状で、多くの雲水の悩みの種でもあった。


私も、この症状には相当悩まされた。
永平寺でもっとも困ったことと言ってもいい。
脚気の時の尿意は、それはもうシャレにならないくらいに半端じゃなく強烈で、軽い尿意を覚えたら最後、一気に出そうになるのである


通常なら小便など1時間でも2時間でも問題なく我慢していられるが、脚気のときは5分が限度。
尿を膀胱に留めておく方法がさっぱりわからなくなってしまったかのような状態に体が陥り、尿を留めておくことができなくなるのである。
蛇口が常に緩んでいる状態とでも表現すればいいのか、本当に今にも出そうになるのだ。


ああ、思い出すだけでも恐ろしい。
何度トイレに駆け込んだことか。
夜中であっても飛び起きてトイレに走ったものだった。


そんな脚気の恐ろしさを知っている古参は、その原因の一端が水の飲み過ぎと粥の食べ過ぎにあることを経験から知っており、新参者の雲水には口を酸っぱくして注意喚起をする。
「空腹なのはわかる。誰もがそうだった。だが空腹を紛らわせようとして水を飲むな喉が渇いても飲むな。脚気になるぞ」


朝の食事では粥を一度だけおかわりすることができるのだが、これもある程度に留めるよう注意を受けた。


しかし、脚気になると言われても、空腹で食欲を抑えることができないのである
古参に隠れては水を飲み、粥も目一杯食べようとする。
そして、次々と新参の雲水は脚気に罹っていく。


そうなると余計にビタミンを含んだ食べ物を欲するようになる。
汁物は、具材を多く入れてほしくなる。汁はいらない。
他人の栄養まで横取りしたくなる。
醜い欲が心を裂いて顔を出す。


そんな欲が自分のなかにもちゃんとあったことを知れたのは、今考えても本当に僥倖であった。
それを知らなければ、適度な環境が整えられたビニールハウスのなかだったからぬくぬくと生きてこれただけで、生存競争の真っ只中の原野に放りだされれば、自分の甘い心など簡単に失ってしまうことすらわからないで生きていたかもしれない


自分は欲をコントロールできる人間なんだと思い込んで、そんな状態で「少欲」を人に説こうものなら、私はただのバカだ。
ただのバカから、欲を知ったバカになれたのは、存外大きな違いなのではないかと思っている。


永平寺で1年間修行して得たもの

以前、このブログにいただいたコメントで、「修行によって何が得られたか?」という質問が寄せられていたので、そのアンサー記事のつもりでこの記事を書いた。
改めて考えてみたが、修行によって何かが得られたとは、やはり思えない。



禅の修行とは、自分の心を整える努力を続け、自分の心に自分で責任を持って生きていくことだと思っている。
だから終わりはないし、何かが得られるわけでもない。
心の自立を「目指し続ける」もの、とでも言えばいいのだろうか。
保つことが修行なのである。


また禅の修行は、禅僧だけのものではない。
どのような仕事に就いている人であっても、禅の心でその仕事を行うなら、その仕事は禅の修行であり、禅の生き方の1つになる。
行為が修行なのではなく、心によってあらゆる行為が修行となるのだ


永平寺はそんな修行の基本を学ぶ場所であるが、実体としては、徹底的に我欲を殺していく場所である。
「自分はこうしたい」という思いは一切叶わず、定められた規則・作法のなかに自我が没入していく。


自由が一切存在しない日々に不満とストレスを感じるのは、それだけ「自我」が残っているからで、この自我に気付くことが、ある意味で永平寺の修行なのかもと私は思っている。
食欲の醜さも自我の一種で、だからこれに気付くことができたことは幸運だった。

仕事と修行と出家

コメントには「なぜ仕事をしないで修行を選んだのか、それは甘えに繋がらないのか」という疑問もあったので、最後にこのあたりのことについて。


私は永平寺での修行を終えたあと、自分の寺に帰ってきて、間髪入れずに福祉美容師の仕事に就いた。
私は在家の出身で、もともとは美容師志望。
もちろん美容師免許も持っている
だから永平寺を下りたあとは、それを活かした職にしばらく就いていた。


福祉美容師というのは、髪を切りたくても美容院に行くことのできない人、つまり介護施設の入居者や長期入院の患者さんを主な顧客対象とした美容師のこと。
美容4:福祉6くらいのバランスで仕事を行うので、福祉美容師という名前がついている。
そして、この仕事と永平寺の修行が別物かと言えば、決してそうではない


前述したとおり、永平寺の修行とは日々の行為すべてを指す。
どのような行為も丁寧に道理に沿って行うこと、まずは目で見える部分を整えて生きることが、身を整えることに他ならない。


なので福祉美容師の仕事をしているときも、修行として仕事をすれば、それは立派な禅の修行
どのような行為であっても修行でないものはないのだから、当然なのだが。


出家をするというのは坊さんになるということだが、形式の上ではなく、私が本当の意味で出家できたのは、修行の意味を知ってからだと思う。
坊さんになったから修行をするのではなく、日常生活を修行と位置付けてこれに励む人を、坊さんとか菩薩とかと呼ぶのではないかと。


なので出家をして、それが甘えになるなんてことはありえないので心配無用
甘えとは何か、自我とは何か、欲とは何か、修行とは何かと考え、自分で自分を律し生きるのでなければ、そもそも心が出家できていないのだからスタートラインにも立っていない。
なので出家が甘えになることはない。


仕事をしながらでも禅の修行はできるし、修行の意味を偽りなく体験を通して理解したいと思えば、実際に出家して永平寺に行ってみるのもいい。
もしも本気で出家を考えたら、京都にある智源寺という寺院が、その門戸を開いてくださっている。


出家には必ず師が必要なので、師を見つけることができなければ出家できないのだが、一般寺院ではなかなか弟子を取ることは難しい。
智源寺で出家するには本気であることが唯一の条件となっているので、冷やかしや興味本位では入門が認められないという。
それはかえって道心のある者にとってはありがたい。
chigenji.com


この智源寺でかつて出家・修行し、その後永平寺においても修行した知り合いの僧がいるが、その人は私より半年早く永平寺に来ており、私が永平寺に上がった際にもいろいろとお世話になった。
その人から一度、永平寺で叱られたことがあるのだが、その言葉はとても心に残っている。


お前は自分の『我』を消すために修行に来たんじゃないのか
我が全面に出まくりで修行にならない私に、一言でもって気付かせてくれた。
その人が出家した寺院である。


ちなみにその人は今、兵庫の安養寺という寺院で住職を勤めている。
いつかお返しに一発、やり返すチャンスを窺っているが、まだその機会は訪れていない。
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