茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す
お茶をいただいたならそのお茶を飲み、ご飯をいただいたならそのご飯を食べる。
「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」という禅語は、だいたいそのような意味の言葉である。
特に変哲のない、何を言おうとしているのかもよくわからないこの禅語を味わうには、どのような過程でこの禅語が生まれたのかを知ることが必要不可欠と思われる。
なぜならこの禅語は、曹洞宗の両本山の1つ、横浜市鶴見にある總持寺の開山、瑩山紹瑾禅師の一世一代の言葉だからである。
瑩山禅師は信仰心の篤い母親の影響もあって、幼い頃から仏教に志す少年だったという。
わずか8歳で出家を志し、その後実際に永平寺へ修行に上がったというのだから、その志したるや凄まじい。
そんな瑩山禅師が残した「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」という禅語は、瑩山禅師にとって非常に重要な一言だった。
この言葉でもって瑩山禅師は、師匠である義介禅師から法を受け嗣ぐに相応しい力量をそなえたと認められたからである。
その時のエピソードは、次のようなものであったと伝えられている。
瑩山禅師と義介禅師の問答
瑩山禅師32歳の頃の話。
ある日、瑩山禅師は師である義介禅師の説法を聴いていた。
そして話のなかで「平常心是道」という言葉を聴き、その瞬間に仏法というものの本質を悟った。
そこでその悟りが本物であるかどうか、師と問答を交わして確かめてもらおうと考えた。
これは禅の世界特有の嗣法(仏法を受け嗣ぐこと)の在り方なのだが、弟子が悟りを開いたかどうか、その悟りが本物であるかどうかは、師が判断するのである。
だから弟子は師の部屋へ行き、悟り得た事柄をもとに問答を交わす。
そしてその結果、十分だと認められれば晴れて法を受け嗣ぐに相応しい人物となり、伝法となる。
つまり、師の教えを受け嗣ぐことになる。
だから瑩山禅師もこの時、義介禅師の部屋へと赴いた。
悟りの真偽を確かめるために。
そして次のように切り出した。
「我れ会せり」
(仏法というものがわかりました)
義介禅師が受けて立つ。
「汝、如何が会すと」
(何がどのようにわかったというのだ)
「黒漆の崑崙、夜裏に走る」
(真っ黒いものが真っ暗闇を走る、ということです)
「未在、更にいえ」
(今一つ足らない。別の言葉でさらに申してみよ)
「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」
(お茶をいただいたならそのお茶を飲み、ご飯をいただいたならそのご飯を食べます)
「爾、超師の機あり、よろしく永平の宗旨を興すべし」
(そなたには師を超えていくだけの力量がある。永平寺を開いた道元禅師の仏法の神髄を、さらに広めていきなさい)
義介禅師の最後の言葉、これがつまり瑩山禅師の悟りが本物であることを認めた言葉である。
禅では悟りの証明を印可と呼んでいるが、まさに印可が与えられた瞬間だ。
問答の意味
ところでこの問答、このままではよく意味がわからないかもしれない。
瑩山禅師は最初、仏法というものを「黒漆の崑崘、夜裏に走る」と表現したわけだが、これはどういう意味なのか。
崑崙というのは中国の西方にある山脈のことで、崑崙玉という玉の原石が採掘できる。
つまり黒漆の崑崙とは「黒い玉」と解釈できるわけだが、崑崙という言葉自体にも「黒い」という意味が含まれている。
非常に差別的な言葉であるが、黒人のことを崑崙奴と呼ぶことが中国にはあったそうだ。
したがって、黒漆の崑崙は、ざっくり「黒いもの」で十分と思われる。
その黒いものが、夜の真っ暗のなかを走った。
しかし真っ黒のなかに真っ黒のものがあっても、見分けがつかない。
否が応でも一つの黒に溶け込んでしまう。
つまりこれは何を言っているのかというと、相対的な物の見方(多色)から離れて、絶対の見地(一色)に立つという心境を表現しているのだと考えられる。
あれかこれかを相対的に考えるから好き嫌いといった欲や煩悩が生じるわけであって、相対的に考えなければ比べることがなく、したがって欲や煩悩も生じない。
そうした絶対の心を指して悟りであると言ったわけである。
しかしながら、この言葉に対する義介禅師の評価は「不十分」。
まだそれでは一歩足りないと言い、もう一言何か言ってみせろと迫った。
そこで瑩山禅師が答えたのが「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」。
これは、言いたいことは「黒漆の崑崘、夜裏に走る」とおそらく同じである。
茶をいただくときに、コーヒーのほうがよかったな、と思わずに、お茶をいただく。
お茶だけであればお茶をいただくという、ただそれだけで完了するはずのものが、相対という思考が混じるとおかしくなる。
比べることによって、ジュースがほしいとか、お茶でも抹茶がいいとか、欲と煩悩に基づいた文句が出てくる。
だから、そうした相対を絶して、「茶に逢うては茶を喫す」と表現した。
お茶を出してもらったら、ただお茶を飲む。
そこに相対の心をはさまない。
2つの言葉は同じこと言っているが、大きく異なっている点が1つある。
それは、どのような立場から言葉を発しているか。
「黒漆の崑崘、夜裏に走る」が理論を理論の域で答えているのに対し、「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」は理論を日常の言葉で答えている。
つまり「相対的な物の見方から離れて、絶対の見地に立つ」という論理を、「お茶を出してもらったときに、コーヒーがよかったなぁ、と思わずに、ただお茶を飲みます」とやさしく表現したというわけだ。
もし数学者が素晴らしい真理を悟ったとしても、それを難解な数式で表現してしまったら一般の人にはまったく理解ができない。
「黒漆の崑崘、夜裏に走る」は、言わば難解な数式、論理そのものであって、どうしても近寄りがたい。
知に偏っては、いかに正しくても親近感が湧かないのである。
論理だけで構成された話は面白味がなく、もっと言えば、人間味というか温か味がない。
多くの人が想像できるような日常の言葉で仏法を説くという姿勢、義介禅師が印可を与えたのは、そのような答えのほうだった。
真理を論理で語るか。
それとも日常の言葉で語るか。
この違いは僅かなようでいて、とてつもなく大きい。
なぜなら、人が共感し、耳を傾けるのは、いつだって血が通った言葉のほうだからである。
自分一人の悟りであったなら「黒漆の崑崘、夜裏に走る」でも問題はないだろう。
自分だけの理解で事足りるのであれば、自分にだけわかるように理解すればそれでいい。
数学者が数式で物事を考えるように。
しかし人に伝えるというのであれば「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」でなければならない。
悟った真理を、今度は普通の言葉で説いていかなければならない。
お高いところに留まっていたのではまだ悟り臭さが残っているわけで、臭みを消して、悟りも忘れて、そうして人々の輪に戻ってきて、はじめて本物なのである。
それが禅の発想。
そのことを禅では、「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず」と表現する。
未だ味噌臭い「黒漆の崑崘、夜裏に走る」の臭みを取り去り、「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」というマイルドな味わいの上味噌に仕上げた。
その味に至って、義介禅師はようやく印可を与えた。
うーむ。
一歩足りないと言われて、さらに上を目指すのではなく、下に戻ってくる言葉を発するとは……。
なんと奥の深い、人間味に富んだ問答なんだろう。