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「無用の長物」って仏教の言葉だったの? - 身近な仏教用語 -

無用の長物

【無用の長物】身近な仏教用語の意味

無用の長物(ちょうぶつ)とは「あっても役に立たないもの」「邪魔なもの」という意味の言葉である。
そしてこの言葉は、もとは仏教に由来する仏教用語なのだが、その事実はほとんど知られていない。
ということで、今回は「無用の長物」の語源についてご紹介したい。


そもそも「役に立たない」「邪魔」というのは、人によって基準が違うようにも思えるが、仏教ではこの線引きが明確に行われていた。
一体どうやって線引きをしたのか?


簡単である。
必要なものだけを規定し、それ以外の物はすべて無用、つまり所持してはいけないことにしたのだ。
何というわかりやすい判断基準。
これなら迷う隙がない。


仏教において所持してもよいと考えられていた物

まず、実際に出家者が所持してもいいと認められていた物、つまり有用と規定されたものを確認してみたい。
時代を遡ること約2500年。
原始仏教において、出家者が所持してもよいと認められていたものはわずか6つの物に限られる
六物(ろくもつ)」と呼ばれるそれらを、以下に挙げてみる。

六物
  • 大衣(だいえ):正装用の衣(袈裟)
  • 上衣(じょうえ):通常の衣
  • 中衣(ちゅうえ):作業着(または肌着)
  • (はつ):お椀型の食器(托鉢でも使用)
  • 漉水嚢(ろくすいのう):水を濾して飲み水にする袋
  • 坐具(ざぐ):坐禅や寝る際に使う敷物


衣服と、托鉢に出て食べ物をいただく器と、飲み水を得る濾し袋と、坐禅兼就寝用の敷物。
それだけあれば最低限、坐禅をしながら生きていくことはできる、ということか。


当然のことながら、自分の財産などというものはない。
全所持品はこれだけだったのである。
「最低限」の捉え方が桁違いに低いことに、驚きを隠せない。

大乗仏教における所持品の変化

ただしこれは、布施によって生きていく生活スタイルが確立されている地域の出家者であったからこそ可能なのであって、そうでない国で想定されたものではそもそもない。
実際、仏教が中国などへ伝わり大乗仏教と呼ばれるころになると、僧の生活スタイルの変化や、季候や風土の変化も相まって、所持していてもよいとされる持ち物は増えた。
そうでもしなければ生きていくことが難しかったからである。


それで、どの程度増えたのかというと、6点だったものが18点にまで増えた。
数から名をとって、それらの物品は十八物(じゅうはちもつ)と総称されている。
インドの3倍の荷量。


ただ、依然として少ない持ち物であることに変わりはない。
数日をしのぐことを主たる目的とした避難用リュックサックのなかにだって、もうちょっと多く入っていると思うのだが……。


しかし重要なのは数よりも中身。
一体、大乗仏教では何を持ってもいいと認められたのか。
ということで次に、十八物(じゅうはちもつ)の詳細をみていきたい。

十八物

楊枝(ようじ):木の枝を割いて作った刷毛のような歯ブラシ
澡豆(そうず):小豆などの屑で作った石鹸のような粉
三衣(さんえ):大衣と上衣と中衣。
(びょう):水を入れておく器
(はつ):お椀型の食器
坐具(ざぐ):坐禅や寝る際に使う敷物
錫杖(しゃくじょう):上端に金属製の輪っかがついた杖
香炉(こうろ):香を焚くための道具
漉水嚢(ろくすいのう):飲み水を濾す袋
手巾(しゅきん):手ぬぐい
刀子(とうす):髪を剃ったり布を裁断したりするための小刀
火燧(かすい):火打ち石
鑷子(じょうす):毛抜き
縄床(じょうしょう):縄を編んで作った携行用の椅子
教本(きょうほん):お経が書かれた本
戒本(かいほん):僧が守るべき生活指針について書かれた本
仏像(ぶつぞう):仏の姿をした像
菩薩像(ぼさつぞう):菩薩の姿をした像


以上が十八物なのだが、いろいろと疑問に思うことはある。
三衣は3つにカウントされないのか、とか。
仏像と菩薩像はまとめてもいいのではないか、とか。
鑷子や縄床は厳選18種に入り込むだけの重要度があったのか、とか。
楊枝と澡豆は実用的なレベルに達するだけの機能性を有していたのか、とか。
出家者は自分で布を継ぎ合わせて袈裟を縫ったはずだが、針と糸がここに入っていないのはどうしてなのか、とかとか。


ただ、とりあえず18種はこのようなラインナップとなっていた。

長物とは

何らかの理由で僧がこれら十八物以外の物を所持する状況となった場合、可及的速やかに手放すことが求められた。
物を所持すると「もっとほしい」という欲が膨らむからである。


そうした欲は自分を少しずつ惑わせる。
だから所持したものはすぐ手放す。
迷う隙すら与えない。
これぞ究極の断捨離だろう。


この十八物以外に手にしてしまったものはすべて無用の物とされたが、それを仏教では「長物(じょうもつ)」と呼んだ。
「長」は、ここでは長いというよりも「超える」というような意味合いである。
適当を超えているということ。


つまり無用の長物とは、もともとは十八物以外の物すべてを指す言葉だったのである。
現在で無用の長物と言えば「役に立たない」「邪魔な物」という意味となるが、役に立とうと立たまいと、邪魔であろうとなかろうと、十八物以外はすべて長物だったのだ。


不要なものを所持しないという徹底した姿勢。
これぞ断捨離の最たるものである。
大掃除の際にこれくらい思い切った基準で望めば、さぞかし部屋のなかがすっきりすることだろう。


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