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「上品」って仏教の言葉だったの? - 身近な仏教用語 -

上品

【上品】身近な仏教用語の意味

仏教には対機説法(たいきせっぽう)という言葉がある。
「機」というのは人の機根のことで、平たく言えば資質や性質のこと


つまり、誰かに何かを伝えようとして話をする場合、その人の資質や性格、あるいはその人がどんな考え方をする人かなど、そういった諸々を考慮して(話すうちに感じ取って)話し方を工夫しなさいというのが、この対機説法という言葉の意味である。
ブッダという人物は相当柔軟な考えを有していたであろうことが、この対機説法という言葉から推察される。


人の機根(性質)というものは、人の数だけある。
世の中にはいろんな人がいる。いろんな人しかいない。
そのような多種多様という意味を込めて、仏教では人の機根を9つに区別する考え方が存在する。
そのなかの一つが、上品
上品とはもともと仏教用語であったのだ。


ちなみに、普通であれば上品という言葉は「じょうひん」と読むが、仏教用語としての上品は「じょうぼん」と読む。
なので「じょうひん」は一般の言葉、「じょうぼん」は仏教用語、と理解していただきたい。
また「じょうひん」とは服装や態度や所作など、外見的な事柄を指すことが多いのに対し、「品」を「ほん」と読む仏教用語の「上品」は徹頭徹尾、内面を指す言葉となっている。
人柄や性格、あるいは言葉遣いなど、その人の精神性を指す言葉なのである。


9段階の機根

仏教には人の機根を9つに分ける考え方があると書いたが、それは次のようなものである。
まず、上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)の3つに分ける。
さらにそれぞれのなかで、上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)という細分化した区別を3つ設ける。
つまり、上品の上生からはじまり、上品の中生、上品の下生、中品の上生……と続いて、最後に下品の下生となるというわけだ。
これで9段階。


よく、上の上とか、中の下とか、下の上とか、何かをそのように段階別に区分する言い方があるが、あれの元になっているのがこの上品・上生の考え方。
上品上生が、上の上。
中品下生が、中の下。
下品上生が、下の上。
という具合だ。


ただ、こう言ってしまうと「人をランク付けしているようで嫌だ」という反応が返ってきそう。
私自身も、この区分法はあまり好ましい表現の仕方ではないと思っている。


ただこれは、ランク付けのように優劣を定めることが目的なのではなくて、それくらい人にはいろいろな資質や性質があって、相手の機根に応じて話の仕方を工夫しなければいけないという意図のもとに定められた区分法である。
小学生が高校生の授業を受けても内容を理解することは難しく、逆に高校生が小学生の授業を受けたら物足りない。
やはり小学生には小学生の、高校生には高校生に適した授業があって然るべき。
上品や下品という区別はそういった意味である。


同じ趣旨だが、習熟度別の授業と考えてみてもいい。
今どきの学校では、習熟度別の授業がある。
本来のクラスではなく、学年全員の生徒を数学なら数学の授業の際に、理解の習熟度で分けて、基礎を重点的に学ぶクラスや、発展的な問題を解くことに力を入れるクラスなど、習熟度に応じたその教科だけのクラスを組む授業方法である。


これは一見、頭の良い悪いで生徒を分けたようにみえるが、本質的には一人ひとりの生徒に対して最もマッチングしている授業を行うという観点から実施されているものだ。
基礎が理解できていない生徒に発展的な授業をしても解らないだけであり、基礎を習得している生徒に基礎的な授業をしても伸びがない。
優劣というのではなく、マッチングに特化した授業形態なのである。


仏教の9段階区分というのは、言うなればこの習熟度別の授業と似たようなもので、相手の機根に応じて仏法の説き方を工夫せよという考え方なのである。
基礎的な言葉で説明をしたほうが共感してもらえるのか。
それとも専門的な言葉を使ったほうが理解してもらえそうなのか。
その時々、その人によって、話し方を工夫する。
もちろん、実際には人の機根を9段階に区切るような判断はつかないわけで、比喩的にあくまでもそれくらい人をよく観て、その人にベストな方法を考えなさい、ということを言っている。


相手によって話の仕方を変えることが重要であるという理屈は、特に深く考えなくても納得できる。
たとえば、どんな分野でもかまわないが、プロ同士の会話は専門用語で成り立っていることが多い。
互いの能力や経験が似ていれば、その世界だけで通用する言葉で話をしたほうが手っ取り早い
大工は大工の言葉で、寿司屋は寿司屋の言葉で、医者は医者の言葉で、僧侶は僧侶の言葉で会話をしたほうが、意味も正確に伝わるし断然早い。


ただ、それは相手が同業者(同質)であるから成り立つのであって、素人に専門用語をならべても何も伝わらない。
病院に罹って、診察結果を医者から聞いても、それが専門用語の羅列であったら何も理解できない。
当然、そこでは専門用語を噛み砕いて話をする工夫が必要とされる。
それもまた相手の機根に応じて話をするということの1つである。
病気によって与える薬が違うように、人によって話し方を工夫することは、物事をわかりやすく伝えるという観点から非常に重要なことなのだ


上品な精神の人がいれば、下品な精神の人もいる。
素直に話を聴く人がいれば、一々噛みつかずにはいられない人もいる。
聞くよりも自分の考えをしゃべりたい人もいる。
気になるポイントも、知りたい事柄も、人によって内面はまったく違っている。


あたりまえのことだが、人は一人ひとり違う。
だから、一人ひとりに合った話し方を心掛けることが大切だとしたブッダの言葉を思うとき、本当にそのとおりだなと腑に落ちる。


最後に、上品(じょうひん)とは褒め言葉なのだろうが、仏教という視点から考えれば、外面的事象について述べられた上品(じょうひん)という言葉は、むしろ空しい響きに聞こえてくる。
だからもし「上品」という言葉を用いるのであれば、内面をこそ示す上品(じょうぼん)としての意味で使いたい。
そうでなければ、本当の褒め言葉にはならないから。

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