禅の視点 - life -

幸福とは? 自分とは? 自由とは? 人生とは? 心を満たす入口探し、禅エッセイ

禅語エッセイ

【禅語】 魚行きて水濁る - 人にバレなければいいのか? -

魚が水のなかを静かに泳ぐ。 すると水が揺れて、底の土が僅かに舞う。 だから魚の姿が見えなくても、土でかすかに濁った水があれば、その場に魚がいたことがわかってしまう。 事実は消せないという意味の禅語である。 世に悪事は絶えない。 欲望は底が知れな…

【禅語】 無分別 - 比較しない視点、区別しない考え方 -

分別がないようではいけない。 分別ある人間でありなさい。 普通、人はそう言うだろう。 こういう場合はこうしたほうがいい。 あの場合はああしたほうがいい。 そういった思慮判断ができる人間であれという意味である。 しかし禅語では、むしろ人は無分別で…

【禅語】 松樹千年の翠 - 変わり続けるからこそ変わらない -

秋。 山の木々が色づきを増し、ドングリなどの木の実が落ち、賑やかな装いとなる季節。 各地にある紅葉スポットには多くの観光客が足を向けていることだろう。 やがて散りゆくその前に、美しく身を色づかせる木々。 人に誉められたくて紅葉するわけではない…

【禅語】 百尺竿頭に一歩を進む - ゴールは新しいスタート -

長い長い竿(さお)のてっぺん。 もうこれ以上先がないというところまで上り詰めた。 自分が一番だ。わっはっは。 そんな時は驕るのではなく、「百尺竿頭に一歩を進む」。 百尺竿頭とは、30メートルもある長い竿の先端のこと。 転じて、修行を極めた境地を指…

【禅語】 大道長安に透る - すべての道が都に通じている -

「道」という言葉には、どこか深みを感じさせる響きがある。 人が歩く道。歩いてきた道。歩くべき道。 道とは人生の象徴なのだろう。 どこまで伸びているのかわからなくて、いろんな道が交差していて、多くの人が行き交う。 そんなところも、道と人生はよく…

【禅語】 自灯明 - 本当に自分を支えることができるのは自分だけ -

前回、法灯明という禅語について綴った。 ブッダが亡くなる前に弟子たちに残した最期の言葉である。 真理、つまり本当に正しいことを頼りにして生きていきなさいという意味の禅語であった。 その法灯明という禅語とともに、ブッダはもう1つの禅語を弟子たち…

【禅語】 法灯明 - 本当に正しいことを頼りとしなさい -

ブッダに死期がせまったとき、その周囲には多くの弟子たちが集まっていたという。 そのなかの弟子の一人が、涙ながらにブッダに訊ねた。 「ブッダがお亡くなりになってしまったら、私たちは一体何を頼りに生きていけばよいというのですか」 嘆く弟子に対し、…

【禅語】 水をふみ石をきらうことなかれ - 子どもは体験によって自然を学ぶ -

まだ小学生だった頃、雨が降りしきるなかを傘もささずに走り回って遊んだことが何度かあった。 どうしても雨に打たれる感触を味わいたくて、親に頼んで外に出してもらったのだ。 びしょ濡れになるからやめてと普通親は嫌がることが多いのだろうが、うちの親…

【禅語】 規矩行い尽くすべからず - マニュアルの功罪 -

規矩(きく)とは規則のことで、現代でいうマニュアルのこと。 つまり「規矩行い尽くすべからず」とは、すべてをマニュアルで定めてしまってはいけない、あるいは、マニュアルどおりの行動ばかりではいけない、という意味の禅語となる。 なんだか現代社会に…

【禅語】 散る桜 残る桜も 散る桜 ~良寛禅師 辞世の句~

いつも衣の懐に手毬やおはじきを入れて、子どもらと無邪気に遊んでいたという良寛和尚。 「散る桜 残る桜も 散る桜」という禅語は、そんな良寛の辞世の句である。 今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命…

【禅語】 主人公 - 個性とは奇をてらうことではなく、自分らしく生きること -

ちょっと変わっている。 そんな人に対して、「個性的」という言葉が使われることがある。 個性的な髪型、服装、生き方――。 一握りの称賛と、一抹の拒否と、大多数の驚きで構成された、不思議なニュアンスの言葉だ。 そんな個性的という言葉に関する、ちょっ…

【禅語】 鶏寒くして樹に上り 鴨寒くして水に下る - いろんな答えがあっていい -

雪の降りしきる真冬の池を鴨が悠々と泳いでいる、あの信じられない光景を目にしたことがあるだろうか。 人があの真似をしたら、寒さで凍え死んでしまってもおかしくない。 見ているこちらが心配になってしまうような光景であるが、鴨にとってはそんな心配は…

【禅語】 他は是れ吾にあらず - 他人は自分ではない -

自分の仕事は自分で行う。 それは当たり前のことであるが、その当たり前を主題にした禅語がある。 「他は是れ我にあらず」 鎌倉時代に日本から中国へ海を渡った道元禅師(どうげんぜんじ)が、留学先の寺院で出会った禅語である。 ある時、道元は寺の廊下を…

【禅語】 慈愛 - 恋と愛の違い -

誰かを好きになったり誰かに恋をしたりすることと、誰かを愛することは、似ているようでまったく違うこと。 人を好きになると、相手も自分のことを好きでいてくれることを望むようになるだろう。 「恋が叶う」とは、まさにその望みが叶った状態をいった言葉…

【禅語】 威儀即仏法 作法是宗旨 - 曹洞宗における「形」の意味 -

禅宗の一宗派である曹洞宗には、 「威儀即仏法 作法是宗旨」(いぎそくぶっぽう さほうこれしゅうし) という金科玉条がある。 日本曹洞宗の開祖である道元禅師の言葉だ。 曹洞宗の教義を一言で示すものとして、この言葉は非常に重んじられている。

【禅語】 生児現成 - 親だって1年生、親と子は同級生 -

親と子の関係について述べられたちょっと面白い禅語がある。「生児現成」。 道元禅師が著した『正法眼蔵』の山水経の巻に出てくる言葉だ。 この言葉の意味を知っておくと、育児に対する心構えが少し和らぐのではないかと思う。私自身がそうだったから。 肩肘…

【禅語】 泥多ければ仏大なり - 煩悩の裏に隠れているもの -

お寺には仏像が安置されている。 あれらの仏像、材料は何で造られているかご存じだろうか? 判別のつきやすいものであれば、たとえば石仏。 うちのお寺の裏山にはおよそ100体の石仏が祀られているが、どの仏像も見た目どおり、石で造られている。遠くから見…

【禅語】 啐啄同時 - 導く者と成長する者の間に生まれる、絶妙の機を逃さない -

「啐(そつ)」とは、卵の中の雛が「もうすぐ生まれるよ」と内側から殻をつつく音。 「啄(たく)」とは、そんな卵の変化に気づいた親鳥が、「ここから出てきなさい」と外側から殻をつつく音。 殻を破る者と、それを導く者。そんな両者の「啐」と「啄」が同…

【禅語】 中道 - 苦にも楽にも偏らない道、真ん中という生き方 -

中道とは「偏らない道」という意味であり、ブッダの人生でいえば、享楽と苦行とのどちらにも偏らない生き方を指すものである。つまり、菩提樹の下で坐禅をするという生き方が、ブッダの人生において中道だったわけである。 城での享楽的な暮らしと、出家して…

【禅語】 百不知百不会 - 人生の不思議、命の謎 -

命というか、この人生というのは、じつに不思議なものである。 自分がいつ生まれたのか、自分ではわからないままに、いつのまにか自分がこの世界に生まれている。 気がついたときには、自分という存在がこの世界に存在している。 そして、自分の意志とは無関…

【禅語】 はづべくんば明眼の人をはづべし - 恥と金と志の月僊 -

人の眼が気になる、人からどう思われるかが心配で、自分が思うことができない。自分に自信が持てない。 大なり小なり、このような思いを抱いたことが誰にでもあるのではないかと思う。こんな時、あなたならどうするだろうか? 人の眼なんか気にしなくていい…

【禅語】 知足 - 幸せとは心の充足度 -

禅の考える幸せは、いたってシンプル。 キッチンから大さじを持ってきて、コップから水を一杯すくいとる。きっかり15cc。大さじ一杯の水を得て充足とする。 水を増やすのではなく、器を大さじという小さなものに変えるのである。 2/1の状態を2/2にするのでは…

【禅語】 縁起 ~結果には直接的原因と間接的原因がある~

縁起とは「縁(よ)りて起こる」という意味で、禅語というよりも仏教語といったほうが正しいかもしれない。が、とりあえずここでは広義の禅語としておく。 この縁起という言葉にはいくつかの異なった意味がある。 まず、世間一般では「縁起を担ぐ」「縁起で…

【禅語】 冷暖自知 - 体験してはじめてわかること -

禅語「冷暖自知」は、私が大好きな禅語の1つである。 この禅語は自分で体験することの重要性を説いている。 たとえば、友達がイタリアンのお店に行って 「あそこのピザがすごく美味しかったよ」 と教えてくれたとする。 すると私は、 「あのイタリアンの店の…