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永平寺の雲水になるための関門「旦過寮」

永平寺唐門

永平寺の雲水になるための関門「旦過寮」

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永平寺への入門が許されると、新米雲水は山門をくぐって永平寺の内側へと足を踏み入れます。ようやく、といった安堵の気持ちが湧きますが、と同時に、山門をくぐるだけでこれだけ苦労するってことは中に入ったらどれだけ大変なんだ? というような新たな不安も。ともあれ、こうして入門が認められた雲水は「暫到和尚ざんとうおしょう」と呼ばれるようになります。


がしかし、この暫到というのが少々曖昧な立場でしてね。それと言うのも、暫到というのは「しばらく泊まる」ことが許された状態であって、じつはまだ永平寺の雲水として完全に認められたわけではないのです。暫到は客僧きゃくそうとも呼ばれることがあるのですが、要するに「お客さん」の状態なんですね。永平寺の雲水ではなく、永平寺にやってきた僧侶のお客さん。なので、この暫到和尚という状態を抜け出して、「新到しんとう和尚」という、永平寺の修行僧として完全に認められる状態になることが、入門後の目標となります。


永平寺の雲水は基本的に禅堂ぜんどうと呼ばれる伽藍が らんのなかで他の雲水と寝食を共にしており、この禅堂という場所には永平寺の雲水以外は誰も入れません。暫到和尚はまだ永平寺の雲水ではないので、当然ながらこの禅堂に入ることは許されません。つまり、この禅堂の中に入ることが許されたときが、本当の意味で永平寺の雲水として認められたときになるというわけです。この禅堂に入ることを入堂にゅうどうや、掛塔かたと呼びます。掛塔というのは禅堂のなかに自分の席が一つ与えられるといった意味合いの言葉。席のことを永平寺では「たん」って言うんですけど、自分の荷物を下ろす場所が与えられるんです。それが畳一畳の大きさで、その上で寝ます。「坐って半畳 寝て一畳」っていう言葉を聞いたことありませんか? その言葉どおり、禅堂のなかでは半畳の上で坐禅をして、一畳の上で寝ています。


禅堂に入ることが許されたら禅堂で寝起きするのはいいとして、じゃあそれまではどこで寝起きをするのか。これは一般にはあまり知られていないようですが、暫到は禅堂に入ることが許されるまで旦過寮たんがりょうという部屋で寝起きをします。百畳くらいの大きな部屋で、そこで暫到全員で雑魚寝。旦過寮では、正式に永平寺の雲水と認められるまで永平寺の作法やら作法やら、とにかく作法を学びます。この旦過寮で過ごす期間がだいたい7日程度。ちなみに旦というのは「夜明け」のことでして、夕刻に到着して翌朝には去って行く客僧が止まる名目の部屋だから旦過寮と言います。やはり暫到は客という立場なんですね。が、その扱いは通常の客人に対するそれとはまったく異なります。


とにかく24時間、自由が一切ありません。「起きろ」と言われて飛び起きてから、「寝ろ」と言われて旦過寮の電気を消されるまで、すべて言われたとおりに行動をします。朝昼夕のお勤めで読経をするときなどは古参の雲水に引き連れられて行って読経の仕方を学び、禅堂の外の廊下では食事の作法を学び、筋肉痛になるほど雑巾掛けし、旦過寮に戻ればひたすら坐禅。トイレにも自由にはいけず、風呂の時間はなし。真冬とはいえ回廊掃除での雑巾掛けは汗だくになるので、まあ体が臭う臭う。ふと下を向いたとき、自分の胸元から異臭が漂ってきて思わず吐きそうになったこともありましたっけ。だから6日目なんかになると前しか向いていられなかったですね。笑えない笑い話の一つですよ。何か少しでも間違えれば怒鳴られるので気が休まる瞬間もないですし、まあほんとに大変な環境です。「起きろ」っていう声とともに旦過寮の電気が灯って、頭がまだ起きてないようなボンヤリの状態で慌ただしく布団を畳むあの不快感というのは、思い出すだけで気持ちが滅入る。


寝る時の体の向きまで決められていて、必ず体の右の側面を下にして横向きで寝ます。これはブッダが亡くなられたときの格好(頭北面西ず ほくめんせい)と同じなんですが、決め事が細かすぎやしないかと思いませんか? たぶん、誰もが疑問に思います。しかし逆に言えば、すべての行動に作法があれば、自分の好きなようにする機会がまったく存在せず、自由がないからこそ浮かび上がる我欲に気づくには打ってつけの生活とも言えます。例外は許されないんですよ。どんなに些細なことでも。全員が同じ行動をすることによって、「個」や「我」といったものを表出させることを徹底的に排除していくんです。永平寺ではこうした行動を「大衆一如だいしゅいちにょ」と呼んでまして、すべての雲水が同じように行動をすることが修行生活におけるもっとも基本的なルールとなっています。大勢の衆が一緒の生活を送るから大衆一如。


こうした一切の自由がない生活には重要な意味があります。個の自由(例外)を認めていけば、人はそれだけ我欲で生きることになる。「何かしたい」という思いは欲であり、したがってそれを徹底的に制御することで自分のなかに眠る欲が浮き彫りになっていき、自分の欲というものに気づくことができるようになる。不満がたまってくるのは、「こうしたい」という欲が満たされないがゆえのことなので、あえてそうした状況をつくりだすことで否が応でも自分の欲に気づかずにはいられない状況をつくり出す。自分の欲に自分で気づくことは極めて重要なことで、そのためにも大衆一如の生活が永平寺から消えることはこれから先もないでしょう。


しかし、この方法にはやはり歪みもあります。例外を許さないということは、個の特性や事情を無視するということにもつながるからです。たとえば、食事の量は均等に配分され、食べる速度も同じでなければいけません。食べるのが早い人は何も問題ないですが、遅い人にはこれが相当キツイ。それこそ吐きそうになりながら必死に飲み込んでいくといったふうで、なんとしてでも周囲に合わせることを強要されるわけです。味わう余裕なんてもちろんない。だからもし、胃の切除手術をした人が永平寺へ修行に上がった場合、キツイどころではなく、ついていけないと思います。ついていけない場合どうなるのか。精神的に追い詰められて、永平寺を去ることが多い。実際そのようにして、あの独特の環境に体が適応できなかった人は永平寺を去って行きます。


そうした個々の事情をどれだけ汲めるか。健康な状態で、周囲に合わせることができる肉体的資質を持ち合わせていない限り永平寺にいられないというシステムは、そもそも健全といえるのか。永平寺という特殊な生活環境に体が適応できずに永平寺を去らなければいけなかった人は大勢いますが、その方々の無念というか、その人がどんな思いで永平寺を去ったのかと思うと、やるせないですね。永平寺を去った人たちは根性がなかったとかいう理由ではなく、あの特殊な環境に体が適応できなかったのであり、後ろ指を指されるようなことがあっては絶対にいけません。それだけは声を大にして言っておきたいと思います。現在の永平寺がそういった不幸を生まないような柔軟な体勢になっていれば救いですが、どうなんでしょう。大衆一如の基本が崩れることはないでしょうが、あの大鉈を振りかざしてばかりでは毎年犠牲者が出るような気がします。


それで、そうそう、あれはたしか旦過寮での6日目の夜だったと思うのですが、布団に入って横になって電気が消されたあと、古参がそっと言いましてね。


「このままいけば明日は入堂が許されるだろう。入堂の前には風呂に入り、髪を剃る。だから気を抜くなよ。気が緩んだと見なされれば入堂が延びるぞ」


よっしゃ。布団のなかでガッツポーズ、じゃなくて心の中で。素直に嬉しかったですね。やっとこの風呂無し生活から抜け出せるのかと思ったら、そりゃもうワクワクですよ。そして疲労のために一瞬で意識が落ちて、「起きろ」の点灯で7日目がはじまる。ほんとに何時間も寝たのかなと疑いたくなるくらい翌朝が早い。幸い、気が緩んだとは見なされなかったようで、古参の言葉どおりその日に入堂が許されました。念願の風呂も気持ちよかった。のぼせそうになりましたけど、そこは大衆一如で先に出ることもできませんので、なんとか我慢。倒れるギリギリ一歩手前でした。


その後、入堂の作法を教わってはじめて禅堂に入りました。禅堂の中は8の字の形に三和土たたきの通路がありまして、通路の両側には腰の高さくらいのところに高床が設けられ、畳が並んでいました。なんだか見慣れない風景でしたが、これでようやく永平寺の雲水の仲間入りができたのかと思うと感慨深いものがありました。浮かれる余裕なんてないですけど、風呂に入れて身心ともにスッキリした部分はありました。だから、古参からこう告げられてときは一気に気持ちが重くなりましたよ。


「今までは客扱いだったが、これからは永平寺の雲水として扱う。今日からようやく永平寺での修行のはじまりだ。旦過寮がいかに楽だったかがすぐにわかる」


……ハハハ、ご冗談を。そんな脅しはいらんですよ。え、脅し、ですよね? ……え?