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禅問答って何? その意味と知られざる成立過程と例話をご紹介

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禅問答とは何か

禅問答という言葉を聞いて、頭に思い浮かぶこと。
それは、
意味のわからない言葉のやりとり
ではないだろうか。


応答が噛み合っていなかったり、突拍子もない返事をしたり、非論理的な会話をしたり。
そのような意味不明な会話を指して禅問答と呼ぶのが、現代における禅問答という言葉の用例であるように感じられる。



しかしこれはもちろん、禅問答という言葉の本来の意味ではない。
本来の意味は言葉どおり「禅の問答」、すなわち、禅僧らが交わしてきた悟りに関する言葉や動作のやりとりである。


けれどもそこで交わされるやりとりがあまりにも非論理的・抽象的であることから、「意味のわからないやりとり」を指す言葉として禅問答という言葉が使用されるようになってしまった。
さらにそうした用法が1つの意味として認知され、社会に定着してしまった。


今や、「まるで禅問答みたいな話だな」と揶揄する用法のほうが主たる用法な感さえある
禅僧としては少々苦笑いがこぼれそうな現状だ。

禅問答の誕生

禅問答という言葉を広義に解釈して、師と弟子との間で交わされる悟りに関する言葉のやりとりと受け取れば、これははるか昔から行われていたと考えることができる。
それこそ紀元前5世紀頃に誕生したブッダの時代から、弟子を悟りに導くための言葉がけは行われてきた。


しかし、禅問答というものをもっと狭義のものとして捉え、禅宗における問答の隆興と考えるなら、その成立はだいたい11世紀頃と考えられる。
この時代に「ある書物」が編纂されたことが、禅問答というものが隆興する1つの契機となっているのだ。
その書物の名前は『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)

『景徳伝灯録』の編纂

禅宗において禅問答が隆興していく過程にはいくつかの契機があったのだが、その1つに1004年に編纂された『景徳伝灯録』が挙げられる。
この書物が編纂されたことで、結果的にではあるが禅問答というものがテキストとして示されることにつながるからである。
なので、禅問答が禅宗内で確立されていく過程の第一歩目と考えてもいいかもしれない。


『景徳伝灯録』は1701名の禅僧を列記し、その逸話や説法、問答などを記録した書物である。
今日に伝わる禅僧のエピソードや、禅語のなかには、この書物を出典としているものが少なくない。
その内容が史実として必ずしも正しわけではないだろうが、禅宗の歴史を辿る上では最重要ともいえる書物。

禅宗の独自性と伝灯

『景徳伝灯録』が編纂された背景には、禅宗特有の事情があった。
というのも、禅宗というのは他の宗派とは異なり、所依の経典を持たないのである
所依(しょえ)の経典とは、宗派や教義のよりどころとなる経典のことで、所依の経典が宗派の根本に据えられることで、宗派の独自性が確立されることになる。


たとえば浄土宗や浄土真宗では「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)を所依の経典としている。
浄土三部経とは、『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』の三経典の総称。この三経典を根本に据えることで、浄土宗や浄土真宗は宗派としての独自性の根拠を示しているというわけだ。
いわば、浄土三部経が浄土思想の最大根拠となっているのである。


しかし禅宗にはこのような所依の経典というものがない。
だから禅宗は、自分たちのアイデンティティのようなものを経典によって示すことができない


そこで禅宗は伝灯(でんとう)というものを重視するようになった。
伝灯とは、どのような過程を経て誰から誰に仏法が伝承されたかを示す系譜のようなもの。
ブッダにはじまる仏法がどのような過程を経て伝承されてきているのかを示すことで、自らの宗派がブッダの教えを正しく受け継いでいることを主張しようとしたのである


『景徳伝灯録』が編纂された一番の理由は伝灯を明記する点にあり、禅問答を目的として編纂されたものではない。
しかし、そこに記載された事柄は単なる系譜に留まらず、かつての禅僧の思想や言動も多く含まれていた。
そうした逸話の存在が、のちの禅問答の隆興に深く関係していくのである。


禅問答がまとめられた「公案集」の誕生

『景徳伝灯録』が完成する24年前、980年に雪竇重顕(せっちょう・じゅうけん)という人物がこの世に生を受けた。
雪竇は幼い頃より聡明であったといわれているが、詩歌や文章の才にも秀でていた。


そんな雪竇は24才で両親を失い、その後、出家の道を選ぶ。
雲門宗の開祖である雲門文偃(うんもん・ぶんえん)のもとでも修行を積んでおり、雲門宗を隆盛へと導いた中興の祖としても仰がれている。


禅問答の成立過程を考える上では、この雪竇の存在も欠かすことができない。
雪竇が『雪竇頌古(せっちょうじゅこ)とよばれる書物を編纂したためである。
雪竇は『景徳伝統録』などを参考にして、これまでの禅僧が残した問答などを100話集めて1つの書物にしたのだ。
それが『雪竇頌古』。


頌というのは漢詩(偈頌)のことで、雪竇はこの書物に自ら詠んだ詩を付した。
解説というわけではないが、1つひとつの問答に対する思いを漢詩という形で添えたのである
このことからこの書物は『雪竇頌古』と呼ばれている。


この『雪竇頌古』の成立こそ、禅の問題集ともいえる書物の誕生であり、のちに禅宗において禅問答が隆興する契機ともなった。
禅宗ではこうした悟りに関する問題のことを公案(こうあん)と呼んでおり、『雪竇頌古』は初の公案集という位置付けとなっているのだ。


『雪竇頌古』はその後、臨済宗の圜悟克勤(えんご・こくごん)によって加筆され、公案集として有名な『碧巌録(へきがんろく)となり、現在にまで広くその名を轟かせている。

公案禅(看話禅)の誕生

禅宗には大きく分けて2つの流れがある。
1つは、公案を重視し、公案を考え尽くすことによって悟りに近づこうとする看話禅(かんなぜん)
もう1つは、坐禅を仏の姿そのものと考えて坐禅をすることに徹する黙照禅(もくしょうぜん)


看話禅は考え尽くし、黙照禅はまったく考えないという、悟りを目指す方法としては対極に位置するような両者であるが、これが現在に伝わる臨済宗と曹洞宗の原型。
公案の臨済宗と、坐禅の曹洞宗、というこのような宗風の違いは、だいたい12世紀ころから生じている。


臨済宗と曹洞宗の違いや特徴に関しては、以前に下の記事で扱ったので、興味のある方はどうぞ。
www.zen-essay.com

臨済宗では師から与えられた課題、つまり公案についてひたすら向き合い、過去の禅僧の悟りの機縁を知ることで自らもまた悟りに近づこうとする
それが公案という修行である。


こうした公案が臨済宗において隆興するには、これまでに禅宗内でどのような禅問答が交わされてきたのか、かつての禅僧がどのような機縁のもとに悟りを得たかを知る必要がある
つまり、公案集の誕生を待たずして、一宗派内で公案という修行が隆興するのは難しかったのだ。
『景徳伝灯録』や『雪竇頌古』の編纂が禅問答(公案)の誕生・隆興と深く関わっているというのは、このような理由による。


『碧巌録』にみる公案の例

では最後に、以上のようにして成立してきた禅問答、公案というものが、実際にどのような内容となっているのかをいくつかご紹介したい。
ただ、はじめに1つ断わっておきたいが、禅問答において正答というものはない
こう答えたら正解、というものはないのである。


たとえば登山をして、山頂に立ったときの思いを言葉で表してみよと言われても、そこに正解がないのは誰でもわかる。
自分はどう感じたのか
答えというなら、答えは自分の思い以外にはない。


禅問答もこれと同じで、正答を外に求めるのではなく、その問題に向き合った末の自分の内なる思いを発するのが肝要
そうでなければ、禅問答にたいした意味などない。
私はよく禅語について独自の解釈をもとに文章を書いているが、それが正しい解釈だというのでも決してない。私はこう受け取っている、というだけのこと。


そうした前提を踏まえて、公案をみていきたい。
出典はすべて今回の記事と関わりのある『碧巌録』からである。

第五則 雪峯尽大地(せっぽうじんだいち)

雪峯、衆に示して云わく、尽大地を撮し来るに、粟米粒の大きさの如し。面前に抛向す。漆桶不会。鼓を打って普請して看よ。

現代語訳

雪峯という和尚が修行僧らに言った。
「大地をつまみあげてみると、米粒くらいの大きさしかない」
目の前に放りだしてみせるが、誰も理解しえない。
「それなら太鼓を打って、総出で探してみよ」

第十二則 洞山麻三斤(とうざんまさんぎん)

僧、洞山に問う。如何なるかこれ仏。山云わく、麻三斤。

現代語訳

ある修行僧が洞山和尚に尋ねた。
「仏とは何ですか」
洞山は答えた。
「三斤の麻だ」

第三十二則 定上座臨済に問う

定上座、臨済に問う。如何なるこれ仏法の大意。済、禅床を下って擒住し、一掌を与えてすなわち托開す。定、佇立す。傍僧云わく、定上座、なんぞ礼拝せざる。定、礼拝するにあたって、忽然として大悟す。

現代語訳

一人の修行僧が臨済和尚に尋ねた。
「仏法の肝心要のところは何でしょうか」
臨済は座っていた椅子から下り、その修行僧の胸ぐらを摑んで横顔に張り手をすると、何も言わずに突き放した。
修行僧はぽかんとしたまま立ち尽くしている。
そこで傍にいた別の僧が言った。
「臨済老師はもうお答えになりましたよ。なぜ礼拝しないのですか」
修行僧はあわてて礼拝をした。
礼拝をする最中に、修行僧は悟った。

第六十則 雲門拄杖化して龍と為る

雲門、拄杖を以て衆に示して云わく、拄杖子化して龍と為り、乾坤を呑却し了れり。山河大地、いずれの所よりか得来らん。

現代語訳

雲門和尚が長い杖を修行僧らに見せて言った。
「この杖が化けて龍となり、天地を呑み込んでしまった。さて、お前たちは山や河や大地をどこに見つけるか」

第八十則 大龍堅固法身(だいりゅうけんごほっしん)

僧、大龍に問う、色身敗壊、如何なるかこれ堅固法身。龍云わく、山花開いて錦に似、澗水湛へて藍の如し。

現代語訳

ある僧が大龍和尚に尋ねた。
「人間の肉体は儚く、いずれは壊れ滅します。しかし仏教には不生不滅という言葉があります。永遠に滅することのない法身とは何なのでしょうか」
大龍和尚は答えた。
「山の花が満開となって錦のように美しい。谷の水が澄んで藍のように美しい」

さいごに

『碧巌録』から5つ抜粋してご紹介したが、いかがだろうか。
禅問答は意味がわからない!
と思われただろうか。
これなら禅問答という言葉の意味が変容するのも無理はないと。


臨済宗では師から上記のような公案(問題)を与えられ、答えに合格すると次の公案を与えられるというふうにして、だいたい10~15の公案を参究する。
そうして公案に向き合う時間は10年以上にも。
一読して意味がわかるほうが、むしろ問題かもしれない。


かつての禅僧らがそのように答えた肚は何だったのか。
そこをガシッと摑んで自分の言葉で答える。
師と向き合い問答を交わすというのは、なんとまあエキサイティングな修行であることか。


ぜひ一問、禅の公案を選択し、人生をかけてとことん向かい合ってみてはいかがだろうか。