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曹洞宗と臨済宗の修行観の違い ~悟りと修行の関係~

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曹洞宗と臨済宗

曹洞宗臨済宗はどちらも禅の流れを汲む宗派で、親戚関係のような、お隣さんのような、かなり近しい関係にある宗派同士となっている。
どちらも抽象的な理論よりも実践的な経験を重んじ、自然を真理そのものとして受け入れて、自然に順応するような生き方を説く。


そして坐禅によって自己を整え、「自分という存在」を明らかにすること(自己究明)を悟りと呼んで、これを目指して修行に励む
平たく言えば、それが曹洞宗と臨済宗に共通する禅宗の特徴だろう。



修行観の違い

ただし、同じ禅宗であっても、曹洞宗と臨済宗とでは修行というものの捉え方、いわゆる「修行観」といったものについて幾分か違いが見られるのも事実。
そしてその違いを詳細にみていくと、似たもの同士である両者の差異が浮き彫りになって面白い。


じつは以前、幸いなことに臨済宗の僧侶の方々とともに研修を行う機会にめぐまれ、臨済禅の理解を深める機縁を得た。
その研修で、花園大学において教授を務めておられる安永祖堂老師の話を聴くことができたのだが、これが曹洞宗と臨済宗の違いを端的かつ明瞭に解説したもので、非常に腑に落ちる思いがした。


多くの方に知っていただきたいすばらしい講義であったので、自分でも復習するつもりで要点をまとめておきたい。


なお、この記事の骨子は安永老師の講義に基づいてはいるが、あくまでも私が理解し得た、私の解釈によって記述するものである。
有意義な点があればそれはすべて安永老師に帰着するものであるが、至らない点があれば私の理解未熟に原因がある
その点だけ、一言お断りさせていただきたい。

似たもの同士の両禅宗

一般の方からしてみれば、曹洞宗だろうと臨済宗だろうと、禅宗なら同じようなものだろうと思われているかもしれない。
それはある意味間違いではなくて、実際のところ両者は似ているところが少なくない。


唱えるお経は同じようなものだし、葬儀の形態も似ている。
そして何より、どちらも禅宗。


曹洞宗僧侶も臨済宗僧侶も、互いに互いをそれほど遠くない存在と認識しているという感覚を、おそらく多くの禅宗僧侶が感じているものと思われる。


そんな両者を分かつ最大の特徴として挙げられるのが、黙照禅(もくしょうぜん)と看話禅(かんなぜん)という2つの考え方
曹洞宗は黙照禅、臨済宗は看話禅。


昔からこのような言い方で両者は別個に考えられてきたが、安永老師の話を聴いて、やはり違いの根本は黙照禅と看話禅と表現することがふさわしいという理解を得た。

黙照禅と看話禅

黙照禅と看話禅について、ごく簡単に一言で両者の説明をするなら、次のようになるだろう。

  • 黙照禅は、何も求めずにただ坐禅をする
  • 看話禅は、公案(禅の問題)について考え抜き悟りを目指す


これが黙照禅と看話禅の修行スタイルの違いである。


何も考えないのか、じっくりと考えるのか。
一見すると真逆に感じる両者の修行観が、実際のところ何を意味しているのか
面白いのはここなのだ。順にみていこう。


公案と清規

看話禅は「公安について考え悟りを目指す」のであったのだが、ここで重要となる「公案」とは何なのか。
禅についての知識があれば説明しなくても問題ないかもしれないが、そんな方ばかりではないので、まずはここから。

日本における戒律の現状

禅に限らず、仏教には戒律というものがある。
教団内で守られるべきルールみたいなものだ。
そして戒律は「戒」と「律」にわけることができ、両者の意味するところは同じではない。


「戒」が道徳のようなものであるのに対し、「律」ははっきりとした罰則規定
なので「戒」を破っても外部から何か罰則が与えられることはないが、「律」を破れば下手をすると教団追放にもなる。
自分で律するのが「戒」、他から律せられるが「律」、と言えるだろう。


しかしながら、日本には律が根付かなかった。戒は存在するのだが、律がないのである。
これは世界的にみても特異な現象であって、仏教教団に律がないというのは日本だけである。

律に近い清規

ただし、禅寺には律に比較的近いものが存在し、それを「清規(しんぎ)」と呼んでいる。
「清浄な規則」を縮めて清規というが、これが禅寺におけるルール規定である。
正確には清規と戒律は別物なのだが、強いて戒律に近いものを挙げれば、禅宗においてはこの清規となる。


清規のなかでも「百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)」という百丈禅師が定めた清規は、禅が中国に伝わり固有の発展をする上で非常に重要な役割を果たした。
インドと中国では風土や気候が異なり、インドの戒律のままでは生活することがままならなかったため、中国に合ったルール作りをしたのである。
それが「百丈清規」。


そしてその特徴の1つが、生産活動の問題である。

作務から生まれた問答

原始仏教では僧侶は生産活動が禁止されており、自分で何かを作ることが許されなかった
だから僧侶は午前中に托鉢に出て、在家の方々からの施しで食事をまかなっていた。


しかし仏教が中国に伝播し、山奥に禅寺を建てて修行をして暮らすとなると、托鉢だけで生きることが非常に難しくなった。
周囲に人がいないためである。


そこで百丈禅師は畑を耕し作物を育てることも立派な修行であると清規に定め、生産活動を肯定したのである。
そういった労働を禅寺では「作務(さむ)」と呼び、作務も重要な修行という概念は次第に定着していく。

日常を問答の題材に

しかし鍬で畑を耕せば、土のなかにいる虫たちを傷つけ殺してしまうこともある。
ミミズを真っ二つに切断してしまうことだってあっただろう。
そうして「しまった!」と慌てる雲水を見て、師匠は即座にそれを問答の種にしたりした。


「今、鍬で切られてミミズは2つになった。さて、ミミズの命は右の半分にあるか、左の半分にあるか。どちらだ?」
という具合に。


ミミズでなくて人でもいい。
もしあなたが真っ二つに切断されたら、「あなた」という存在は左半身に残るのか、右半身に残るのか、それとも「あなた」が二人になるのか。
そんな意味合いの問いを雲水に投げかけた。


あなたとは何か。命とは何か。
禅問答というのは、師と弟子が相対する日常生活のなかで生まれたものであって、突飛なものでも抽象的なものでもない。
自分に関係のある、地に足の付いた問いなのである。

禅の変質と公案の出現

そのようにして中国で独自の発展を続けた禅は、宋の時代(960~1279年)に普及し、そして変質していった。
それまで禅において重要だったのは三宝(さんぼう)と呼ばれる「ブッダ」「仏法」「僧侶集団」の3つであったのだが、これに変化がみられるようになったのである。


すなわち、遠いブッダよりも「身近な祖師」が尊ばれ、仏法よりも「祖師の悟り体験」が重要視され、出家者や僧侶に限らず「人間すべてを対象」とする普遍性を求める風潮へと変化をしていった
それにともない、お経よりも語録(師弟の問答の記録)のほうが重要と考えられるようになっていった。


語録には、先のミミズの話のように、師と弟子の間で生まれた問答が記録されており、そういった問答から真実を学ぶこと、つまり祖師方の悟り体験を追体験することが禅の修行という考え方が生まれたのである
この語録が、現代の公案の原点になる。


つまり公案というのは、いわば禅の問題集みたいなものなのだ。

公案の原意と変質

公案はもともとは「公府的案牘」という言葉だったようで、「公府」とは裁判所や役所を意味し、「案牘」は判例や前例を意味する言葉であった。
つまり、こういう罪を犯した人にはこういった罰が与えられた、という前例のように、こんな時に師は弟子にこんな問答をなげかけた、というような禅問答の前例が蓄積され、やがて公案が形式化されていったのである。


そして宋の時代には、この公案を題材に師の部屋で弟子と問答を行う「入室(にっしつ)参禅」という修行が重要視されるようにもなった。
これはそれまでの禅には見られなかった修行の形式化、マニュアル化ともいうべき変質で、人為的手段によって悟りの追体験を得ようとする試みでもあった。


看話禅の「公安について考え悟りを目指す」という言葉の意味は、言うなれば「師と弟子の問答を収めた過去問を解くなかで悟りを目指す」という意味なのである。


公案の修行観

臨済宗は坐禅を修行の根本に位置付けながらも、同時に師から受けた公案について考え尽くし、師と問答を繰り返すことで悟りを目指す宗派である。
1つの公案について師から合格を得ると次の新しい公案を受けるという形式で、師から受ける公案はだいたい10問程度
そしてすべての公案を透過するには10~15年はかかるという。


公案によって悟りを得ようとする臨済宗の禅のあり方を、安永老師は非常にわかりやすい喩えで説明された。


「臨済宗とは、公案とは、限りなく円に近い多角形を目指すようなものなんです


つまり、真ん丸の円が悟りだとして、その円を目指して修行をする。
三角形よりかは四角形のほうが円に近く、四角形よりも五角形のほうが円に近い。
それぞれの「角」が公案であり、多くの公案を透過することで角を増やして円に近づこうという発想なわけだ。


したがって公案の数はある程度の多さでなければならないし、それだけの公案を理解し体得するには必然的に時間もかかる。
曹洞宗と臨済宗の修行観

曹洞宗の修行観との違い

このような臨済宗の考え方に対し、曹洞宗は違う考え方をする。
円が悟りだというのなら、曹洞宗は最初から真ん丸の円を目指す
三角や四角を経ようとはせず、ひたすら円だけを目指す。
そうした視点から考えれば、曹洞宗は一気に悟ることを目指し、臨済宗は徐々に悟ることを目指していると言い換えることもできるだろう。


曹洞宗では何も考えずに坐禅をするが、それは坐禅を悟りの姿と考えているからに他ならない。
つまり、真ん丸の円を実体化したのが坐禅の姿なのだと曹洞宗では考えているのである。
だから坐禅をすれば、それ以上何も考える必要はない。
むしろ何かを考えることは真ん丸の円に「角」を作るような行為であるため、これを戒めて「ただ坐る」ことに徹する


つまり、ここが両者の違いを理解する最重要ポイントとなる。
曹洞宗も臨済宗も坐禅を標榜してはいるが、

  • 臨済宗の坐禅は、「円を目指す坐禅」であり、
  • 曹洞宗の坐禅は、「円を真似た坐禅」なのである。


臨済宗は角を増やして限りなく円に近い多角形を目指すため、坐禅をしながら公案に取り組み考え尽くす。
曹洞宗は最初から円を体現することに徹し、円の真似に徹することで円そのものになろうとする。
両者の修行観にはこのような違いがあるのだ。

2種類の修行観

このような2つの修行観は、どちらが優れているかというのではなく、それぞれ一長一短。
臨済宗の修行は多角形の悟りを目指すものであり、真ん丸の悟りではない。
人工的な悟りともいえる。
しかし確実に一段一段悟りに近づくという見方もできる。


曹洞宗の修行は最初から円を真似るものであり、角はない。
悟りを開けは真ん丸の円だが、迷いのままであれば何もない
オール・オア・ナッシングの修行観と表現してもいいかもしれない。


2種類の修行観による禅の修行が存在するということは、2種類の人間にそれぞれ適した入口が設けられているということを意味する
一段ずつステップアップして最上段を目指す臨済禅。
最初から最上段にいるものと仮定して坐禅を続ける曹洞禅。


どちらの禅風が自分には合っていると思うか。
そんなふうにして曹洞宗と臨済宗の修行観の違いを考えるのも、自分に関することのように感じられて楽しいのではないだろうか。