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諸悪莫作の解釈 ~七仏通誡偈は簡単そうで奥が深い?~

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諸悪莫作と七仏通誡偈

仏教には七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)と呼ばれる短い偈文がある。七仏というのは仏教の創始者であるブッダ以前に存在したとされる6人の仏と、ブッダを足した7人の仏をいう。この7人の仏は過去七仏(かこしちぶつ)と称され、禅宗ではその名前を日々読経するほど重んじられている。
その7人の仏が、こぞって同じことを説いたとされるのが、この七仏通誡偈とよばれる偈文なのだが、その内容は次のようなものだ。

  • 七仏通誡偈

諸悪莫作(しょあくまくさ)
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい)
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)


  • 書き下し文

もろもろの悪を作(な)すこと莫(な)
もろもろの善を奉行し
自らその意(こころ)を浄くする
これがもろもろの仏の教えなり

  • 現代語訳

どのような悪事もはたらくことなく
様々な善行を行い
自分の行いによって自分の心を浄らかなものにする
それが仏がみな口を揃えて説く教えの根幹である

道元禅師の解釈

七仏通誡偈の内容は以上のようなものだが、これらは何も特別なことを説いているのではない。悪いことをせず、善いことをする。それは言ってみれば当たり前の話である。
ただ、当たり前のことを、当たり前に行うことができるかと言えば、なかなかそうではない。口で言うのは容易いが、実行に移すのは難しいもの
だから七仏通誡偈のなかで一番重要なのは3行目の「自浄其意」なんだと考える人は多い。自分の行いによって自分の心を浄めていく。実際に行動し、心を浄める努力を続けていく。実行することが重要なのだと。


それはもちろんその通りで異論はないのだが、どうしても私が気になるのは1行目、「諸悪莫作」のほう。
諸悪莫作とは、一般的には「もろもろの悪を作すことなかれ」と、禁止の命令形に解釈されることが多い。もちろんこれは間違いではない。
ただ、それだけの意味でもない。


有名なのは道元禅師の解釈で、禅師はこの諸悪莫作という言葉には3段階の理解があると『正法眼蔵』「諸悪莫作」の巻で述べている。
すなわち、この教えをはじめて聞いたときは、
「もろもろの悪をなすことなかれ」
と、悪事の禁止を謳った一文に解釈できる。
しかし、修行を続けるなかでもう一度この一文を聞くと、
「もろもろの悪をなすことなし」
と、単なる否定形のように感じられ、さらに悟りを開いた後には、
「もろもろの悪すでに作られず」
と受け取ることができるというものだ。


悪をなしてはいけない。悪をなすことはない。悪をなすことなどできるはずもない。
道元禅師の3つの解釈を端的に示せば、そういうことになるのではないか。
そしてこの3つの解釈は、じっくりと考えてみると確かにそのとおりだと思えるものなのだ。

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諸悪莫作とパン屋

たとえば、町を散歩していてお腹が減ってきたけれども、あいにく財布を忘れてしまったとする。
ちょうど目の前には美味しそうなパンを売っているパン屋があるのだが、お金はない。
窓ガラス越しに店内に所狭しと並ぶ数多のパンが目に映る。
ああ、食べたいなあ。でも、お金がないんだから無理だよなあ。
仕方ない。残念だけど、家に帰るか。


と、たいてい人はこのようなことを考えると思われるが、その考えの裏にはどのような理性の働きがあるだろうか
お金がなくても、盗んで食べることは不可能ではない。けれども人はそうしない。
その行動の影には理性の判断があるのだけれど、その理性とはどのような働きか。もし、
「もろもろの悪を作すことなかれ」
であるとすれば「パンを盗んではいけない」という理性が働いたことになる。


しかし、実際に人にはたらく理性は、本当にそういった種類の理性だろうか。むしろ人の理性はそのような命令を受けて禁止を選択するのではなく、
「もろもろの悪を作すことなし」
つまり、「空腹でもパンを盗むことはしない」という単なる否定の理性によってパンを盗むことをしないのではないか。
それは、禁止されているからしてはいけないのではなく、自発的にそのようなことは「しない」とする種類の止悪だと思うのだ。


さらに、そもそも多くの人はそんなことを考えるまでもなく、至極当然に、盗んでまでパンを食べようなどとは露ほども思わないことだろう。
そもそも考えることがないのだ。
人は平常心を失わなければ、たいていは道元禅師のいう3つ目の解釈のとおりに行動していると考えられるのである。
悟りとはその意味で、常に平常心を失わない生き方であると言えるかもしれない。特別な心理状態などではなくて。


悪をなさない。善を行う。心を浄める。
これは簡単なようでいて、実行するのは難しいことなのだとは思う。
けれども難しいことのようでいて、やっぱり当たり前にしていることでもあるのだと思う。
ブッダ以前の仏という存在まで持ち出して、あらゆる仏がこのことが何よりも重要なのだと説いているのだとする七仏通誡偈は、簡単そうで奥深く、奥深いのだけれども簡単な、掴み所のないちょっと不思議な偈文に感じられる。