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曹洞宗の葬儀の流れ ~わからない葬儀を、わかる葬儀へ~

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曹洞宗の葬儀

葬儀は何をやっているのかがわかりにくい。
もしくは端的に、わからない。
そのような声は批判というよりも、「もうちょっと、どうにかならないものか」というような、要請と苦情と困惑が入り交じったような音調でもって耳に届く。
一般家庭から寺に入った身として、それはもっともな意見であると思い、自然と頷いてしまう。
隠す必要もないから言うが、私もまったく同じことを感じていた。
なんでわかりにくいものが、わかりにくいままでいるのか、と。

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葬儀における僧侶の言葉は日本語ではあるが、昔の言葉で発せられるものだから、現代の人がその言葉を聴いて意味内容を理解するのは至難のわざであると言わざるをえない。
それなら現代の言葉で葬儀を行えばいいのではないかと思われるかもしれないが、僧侶になって僧侶界の実情を鑑みるに、定められた葬儀の形態を変えることもまた容易なことではないとわかった。
「なんでわかりやすくやらないのか」
という、若かりし頃の自分の問いに対して答えるなら、それは
「伝統と儀式を重んじ、他の僧侶とともに複数名で協力して葬儀を勤める曹洞宗において、葬儀の形態等を変化させるのは僧侶側にとって支障が大きいから」
という、何とも歯切れの悪い回答でもって答えとしたい。
哀しいが、あくまでも我々僧侶側、内部事情の問題である。
ゆっくりと慎重に事を進めれば葬儀の形態の変革は十分可能であると思われるが、それでは少々時間を要することになる。
なので平行して、葬儀以外の場所で葬儀について知っていただくという方法をとることが、一般の方々の要望に寄り添うにはもっとも現実的であると思われる


昨年の3月末に『曹洞宗の葬儀と供養 ~おくる~』という本が出版された。
今どき珍しく葬儀の本であるにも関わらず初版1万部を売り上げ、このほどめでたく増刷となった稀な本である。
この本の制作には私も執筆の分野で携わらせていただいたが、このような本が出版されるのも、葬儀を変えていくことはもちろん検討するべきではあるが、それ以前に葬儀の意義を伝える努力をしなければいけないという思いが僧侶らの胸の奥にあったからである。
変革と伝道。
これは車の両輪であって、どちらか一方だけであっては車は真っ直ぐ進まない。


葬儀は葬儀なのだから、そこでは故人を丁重に弔う儀式が行われているのは間違いない。
ただ「葬儀」と一括りにしてしまうと、葬儀を構成している細かな儀式にまでなかなか眼が向かなくなってしまう。
曹洞宗の葬儀はいくつもの細かな儀式が組み合わさる形で構成されており、一つひとつの儀式の意味を知ると、葬儀というものが腑に落ちて格段に近しいものに感じられる。
私自身、僧侶となって葬儀の意味を知って、まさにそれを痛感した。
「葬儀って、そういうことをしていたんだ」
そんな驚きを得た私のように、多くの方々にも葬儀の流れと意味を知っていただきたいと思っているのだが、葬儀の意味を伝える機会など滅多にないのが現実である。
そこで、曹洞宗の葬儀を流れに沿って解説し、亡き人を弔う葬儀とは何なのかをまとめておきたい。

葬儀の流れ

曹洞宗の葬儀は、以下の儀式を連続して行うことで成り立っている。
一口に葬儀と言っても、そこで行われている儀式はいくつもの細かな儀式にわかれており、当然のことながらそれぞれの儀式の意味は異なっている
そして、それぞれの儀式の意味を知ることで、曹洞宗の葬儀というものが何を目的としているのかが随分と明瞭になる。
なのでまずは実際の葬儀の流れをご覧いただきたい。
なお、葬儀は地域によって形態にかなりの違いがあり、ここで述べた流れが絶対的に正しいというわけではない。
ただ、この流れが比較的スタンダードなものではあるので、これを一例としたい。


① 導師入場(葬儀開式)
 ↓ 僧侶が葬儀式場に入場する
② 剃髪(ていはつ)
 ↓ 故人を仏弟子にするために髪を剃る
③ 懺悔(さんげ)
 ↓ これまでの行いを振り返り懺悔する
④ 洒水(しゃすい)
 ↓ 水で故人を浄める儀式
⑤ 授戒(じゅかい)
 ↓ 故人に戒を授けて仏弟子とする
⑥ 血脈(けちみゃく)
 ↓ 仏弟子となった証しに血脈を授ける
⑦ 読経(どきょう)
 ↓ お経を唱えて故人を供養する
⑧ 鼓鈸(くはつ)
 ↓ 故人を送り出す際の音楽供養
⑨ 野辺送り(のべおくり)
 ↓ 葬列を組んで故人を火葬の地へ送る
⑩ 弔辞・弔電(ちょうじ・ちょうでん)
 ↓ 弔辞・弔電の奉読
⑪ 引導(いんどう)
 ↓ 故人を仏の世界へと導く言葉
⑫ 読経(どきょう)
 ↓ お経を唱えて故人を供養する
⑬ 焼香(しょうこう)
 ↓ 焼香によって故人に香の供養を施す
⑭ 導師退場(葬儀閉式)
 ↓ 僧侶が葬儀式場を退場する
⑮ 出棺(しゅっかん)
 

以上が、曹洞宗の葬儀のおおまかな流れである。
ただ、これだけでは流れを理解することはできても、それぞれの儀式の意味がわからないままなので、次にそれぞれの儀式の意味について簡単に解説をしていきたい。

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曹洞宗の葬儀の「前半」と「後半」

それぞれの儀式の解説に入る前に、大まかな理解として、曹洞宗の葬儀は前半と後半の2つに区切って考えることができることを最初に述べておきたい。
これを頭に入れておくと、後の流れがスムーズに理解できるものと思う。
前半とは、「① 導師入場」から「⑥ 血脈」までを指しており、この前半は故人を仏弟子にすることを目的とした儀式の集まりとなっている。
「② 剃髪」「③ 懺悔」「④ 洒水」は内容こそ異なるものの、どれも故人を仏弟子にするための準備の儀式ということで共通している。
髪を剃ることで姿の準備をし、懺悔することで心を浄らかにし、水をそそいで身を浄める。
そうして準備が整ったところで「⑤ 授戒」の儀式を行い、故人に戒を授けて仏弟子にする。
前半の目的はこの「授戒」にあり、故人を仏弟子とすることが目的なのである。


これは実際に人が出家する際に行われる儀式と同じであり、私も僧侶となる際に師匠から同じ儀式を受けて僧侶となった。
ただ、葬儀のなかでこのような意味の儀式が行われているという事実は、一般にはあまり知られておらず、「故人を仏弟子にする」ということを言うと、
「えっ! おじいちゃんお坊さんになっちゃったの!?」
と驚かれる方もいる。


そうなのである。
おじいちゃんは葬儀のなかでお坊さん(仏弟子)になり、そして仏の世界へと旅立っていった。
ただ一言添えさせていただきたいのだが、ここで言う仏弟子とは「執着や苦悩から解き放たれた存在」とでも呼ぶべきもので、苦楽の人生を終えて安らぎの世界の住人となったことを意味している。
なので、単にお坊さんにするというよりも、「苦悩から解き放たれた状態=仏弟子=お坊さん」にするというニュアンスであることを知っておいていただきたい。
「お坊さんにする」だけで終わると、間違いではないのだが語弊が生まれかねない。


「⑥ 血脈」というのは、仏弟子となった者へ授与される仏弟子の証しのようなもので、これを授与するまでが葬儀の前半となる。
繰り返しになるが、曹洞宗の葬儀の前半は、故人を仏弟子にするための儀式であることを、まずは覚えておいていただきたい。


次に後半であるが、「⑦ 読経」から「⑭ 導師退場」までが後半となる。
先のフローチャートの最後は「⑮ 出棺」となっていたが、出棺は葬儀の後に行われるものであり、便宜上流れの最後に記載しただけで、葬儀自体は「⑭ 導師退場」で終わるものと考えたほうがいい。
それで、後半はどのような儀式を行っているのかということだが、これは仏弟子となった故人を仏の世界へと送る儀式であると言える。


「⑦ 読経」でお経を唱え故人の旅路が無事であることを祈り、「⑧ 鼓鈸」で太鼓などを鳴らしてその旅路を荘厳し、「⑨ 野辺送り」で故人を火葬の地へと送る。
現在では故人は火葬場で荼毘に付されることがほとんであり、葬列を組んで棺を担いで移動することはない。
ただ、葬儀後半の主題である引導は、火葬の地へと移動した後で行われていたので、現代でも引導の前に象徴としての野辺送りを行い、その後に「⑩ 弔辞・弔電」が奉読され、「⑪ 引導」となっているというわけだ。
引導の後には「⑫ 読経」で、もう一度お経が唱えられ、その最中に「⑬ 焼香」がなされる。
そして参列者全員の焼香が終わり、読経が終わると「⑭ 導師退場」となって僧侶らは退場していく。
これで葬儀は終了となる。

儀式の意味

それでは一つひとつの儀式について簡単に解説していきたい。

① 導師入場

葬儀は導師の入場によってはじまる。
引磬(いんきん)という携帯式のリンのようなものを鳴らしながら入場することもある。
曹洞宗の葬儀は、主として葬儀を勤める導師のほかに数名の役僧(やくそう)を伴って行われることが多いが、これも地域によってだいぶ差がある。
昔は導師1名、役僧6名で行われる形態が多かったようだが、時代の変遷とともに人数にも変化がみられるようになってきている。
ともあれ、導師と役僧が入場し、故人に向かって合掌礼拝をし、着席をするところから葬儀ははじまる。

② 剃髪

故人の髪の毛を剃る儀式。
儀式であって通常では実際に故人の髪を剃ることはないが、一部の地域では実際に剃ることもあるという。
執着の象徴と考えられている髪を剃り落とすことで、故人の姿を仏弟子の姿にし、清浄な姿にすることが目的
導師は手に剃刀(かみそり)を持ち、故人の髪の毛を剃る作法を行い、剃髪の儀式を行う。
剃髪の作法をしている最中には「剃髪の偈(げ)」という偈文(げもん)が唱えるが、偈文の原文と意味は次のようになっている。


剃髪の偈
【原文】
流転三界中(るてんさんがいちゅう)
恩愛不能断(おんあいふのうだん)
棄恩入無為(きおんにゅうむい)
真実報恩者(しんじつほうおんしゃ)

 【訳】
この世界に生まれ落ちた私たちにとって
親しい人々との恩愛を断っての別れはまことに辛い
しかしこの恩愛に執着することなく仏弟子となることが
真に親しい人々の恩に報いるということである

【原文】
剃除鬚髪(ていじょしゅほつ)
当願衆生(とうがんしゅじょう)
永離煩悩(ようりぼんのう)
究竟寂滅(くぎょうじゃくめつ)

 【訳】
髪とひげを剃り落とす時
故人のために願う
煩悩の苦しみから永遠に離れ
いつまでも安らかであることを


③ 懺悔

これまでの自分の生き方を省みて、自分の行いを見つめ直す儀式
反省をすることで心を清浄にする。
故人は言葉を発することができないので、導師と役僧が故人と一緒になって「懺悔文(さんげもん)」という偈文を唱え、故人を浄らかな存在にする。
ちなみに仏教では「懺悔」という言葉を「さんげ」と濁らずに読む。
「ざんげ」と濁らせるのは、キリスト教における読み方。


懺悔文
【原文】
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

 【訳】
これまで生きてきた中でおかした罪悪は
心に潜む欲と怒りと愚かさが原因となり
行いと言葉と意識によって生じさせたものである
今、その一切の悪業を反省しここに懺悔する

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④ 洒水

木の枝や葉を用いて、コップなどに用意された水を故人にそそぎ(ぴっぴっ、と水滴を飛ばすような感じ)、身と心を浄める儀式
洒水で使われる水は法性水(ほっしょうすい)と呼ばれ、そそがれた者は仏法の智慧に目覚めるとも言われている。

⑤ 授戒

剃髪と懺悔と洒水の儀式によって、故人の身と心は浄らかなものになった。
そこで前半のメインとなる授戒が行われることになる。
故人に戒を授けて、仏弟子とする「授戒」の儀式を行うである
戒というと、学校における校則のような、社会における法律のような、いわば罰則規定のようなものと理解されがちだが、それは仏教では「律(りつ)」と呼ばれるものに当たり、戒はそれとはちょっと違う。
ややこしい話ではあるが、「律」というのが「~してはいけない」という性格のものであるとするならば、「戒」は「~しない」とでもいうべきもので、他から規制されるものではなく、自分で自分を正していくための指針のような位置付けとなっている。


戒とはインドの古代言語であるサンスクリット語の「シーラ」という言葉を意訳したものだが、この「シーラ」という言葉の本来の意味は、「善いことをしていると、やがてそれが習慣となって、意識せずとも善い行いをするようになり、そのような性格の人物となる」というものである。
つまり、戒を授けるのは善い人物となってほしいからであって、罰則規定として授けているのではない
このことを知っておくと、なぜわざわざ故人に戒を授けるのか、なぜ仏弟子とするのかが、おぼろげながらも見えてくるのではないかと思う。


故人に授けられる戒は全部で16条あるため、「十六条戒」と呼ばれている
三帰戒(さんきかい)が3条、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)が3条、十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)が10条で、合わせて16条の戒となる。
それぞれの戒の内容は、次のようになっている。


三帰戒
【原文】
南無帰依仏(なむきえぶつ)
南無帰依法(なむきえほう)
南無帰依僧(なむきえそう)

 【訳】
お釈迦さまを心の依りどころとする
真実について語られた教えを心の依りどころとする
教えを実践する仲間を心の依りどころとする

三聚浄戒
【原文】
摂律儀戒(しょうりつぎかい)
摂善法戒(しょうぜんぼうかい)
摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)

 【訳】
一切の悪事を行わない
すすんで善行に務める
他者のために行動する

十重禁戒
【原文】
不殺生戒(ふせっしょうかい)
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)
不貪淫戒(ふとんいんかい)
不妄語戒(ふもうごかい)
不酤酒戒(ふこしゅかい)
不説過戒(ふせっかかい)
不自讃毀他戒(ふじさんきたかい)
不慳法財戒(ふけんほうざいかい)
不瞋恚戒(ふしんにかい)
不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい)

 【訳】
いたずらに生き物を殺さない
人のものを盗まない
淫欲をむさぼらない
だましたり嘘をついたりしない
酒に溺れない
人の過ちを責め立てない
慢心をもったり人をけなしたりしない
人のためになるものを施すことを惜しまない
怒りで我を失ったりしない
仏、教え、僧(仲間)の三宝を謗らない


⑥ 血脈

以上の16条の戒を故人に授ける授戒を終えたことで、故人は仏弟子となった。
そして次に、仏弟子となった者に対して、その証しである血脈を授与する儀式へと移る。
血脈とは、お釈迦さまから始まり、インド・中国・日本と、その教えを受け継いできた歴代の僧侶の名前が列記された、系譜のようなものである
血脈の最後には故人の名前が綴られており、その一つ前には故人の師となる人物(多くの場合、葬儀で導師を勤めている僧侶)の名前が綴られている。
導師から故人へ。
葬儀のなかで仏法が伝えられ、新たな系譜が築かれたことを意味するのが、この血脈の儀式である。
以上が前半となる。

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⑦ 読経(どきょう)

故人は仏弟子となり、執着や罪から解き放たれ、故人の身と心は浄らかなものとなった。
これより後半では、故人を仏の世界へと送る儀式が行われることになる。
まず唱えられるのは『大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)』というお経で、これを唱えた後に「入棺諷経(にゅうかんふぎん)」という言葉が述べられる。
ここでは原文を省略し、訳だけを記すこととする。
なお、この後「諷経」「念誦」と呼ばれるものが多く登場するが、それらは正確にはお経であるが、一般の方が聴くぶんには言葉を述べているという感覚に近いものである。

 入棺諷経【訳】
今、皆で『大悲心陀羅尼』を唱えた功徳を、旅立ってゆくあなたに捧げます。
あなたの赴かれる所が、麗しく浄らかであることを願うばかりです。

続いて、「大夜念誦(たいやねんじゅ)」という言葉が述べられる。

 大夜念誦【訳】
人の人生は、寒い冬がいつの間にか暖かくなるような四季の移ろいに似ています。
この世に生を受けたといっても、それは雨雲から地上へと走る稲妻のように一瞬のことで、それが過ぎれば、波立つことのない大海原のような穏やかな世界が広がるばかりです。
今日、この日、かけがえのない生命の縁が尽きて、あなたはこの世を旅立ちます。
この世界のあらゆる存在は移り変わりゆき、それが存在の真理であることをあなたは知りました。
そして生への執着から離れたことで、あらゆる煩悩から離れた真の安らぎに目覚められました。
ここに集った僧侶とともに、仏様の名前をお唱えし、あなたの旅路が安穏なものであることを祈ります。

ここで「十仏名(じゅうぶつみょう)」「舎利礼文(しゃりらいもん)」という2つのお経を唱える。
唱え終わると、また言葉を述べる。

今、皆で念じ唱えたお経の功徳は、旅立つあなたへのはなむけです。
蓮が泥水のなかから生じてまことに美しい花を開くように、あなたはこの世の執着から離れて浄らかな仏となるでしょう。
あなたの歩む道は今、仏の世界に向けて開かれました。

続いて、「挙棺念誦(こがんねんじゅ」という言葉が述べられる。

 挙棺念誦【訳】
これより、あなたの身体を納めた棺を持ち上げ、火葬の地へと赴きます。
あなたと別れなければならない事実はひどく辛く悲しいものです。
せめてあなたの歩む道が無事なものであるようにと、切に願うばかりです。


⑧ 鼓鈸(くはつ)

一連の読経が終わると、僧侶らはそれぞれ引磬(いんきん)、鼓(く)、鐃鈸(にょうはち)という音を鳴らす仏具を手に取り、順番に鳴らしていく
これが鼓鈸とよばれる儀式である。
それぞれの仏具を鳴らした時の音をもじって、俗に「チン・ポン・ジャラン」と呼ばれることもあるこの鼓鈸の儀式は、曹洞宗の葬儀の特徴であると言える。


鼓鈸は音楽供養とも呼ばれており、故人を華やかに、また厳かに送り出すための儀式。
「送り出す」とは、仏の世界へと送り出すという意味でもあり、現実に火葬の地へと送り出すという意味でもある
かつてはこの段階で故人の棺を担ぎあげ、喪主宅等を出て火葬の地である野辺(村落の周辺地)へと向かったのだ。
ただ、現在は葬儀がすべて終わってから葬儀場を出ることが一般的となっているため、実際に出棺をするのはまだ先になる。
鼓鈸は葬儀のなかで何度か鳴らされることがあるが、読経のあとに鳴らされる鼓鈸は、故人を送り出すためにならされる鼓鈸である。

⑨ 野辺送り(のべおくり)

鼓鈸を鳴らして野辺へと向かうその道中を、野辺送りという
この儀式はつい30年ほど前までは当たり前のように目にした光景であったというが、火葬場が普及した現在ではほぼ目にすることはない。
葬列を組んで、お経を唱え、鼓鈸を鳴らしながら道を歩く。
まさに「故人を送っている」感覚を抱くとして、当時を知る人は懐かしいと漏らす。
すべてが人力で、それだけ苦労も半端ではなかったというが……。
参加したことも、目にしたこともない私にとっては、とても気になる儀式である。


現在では野辺送りはほぼ存在しないが、葬儀の流れ上、野辺送りをして火葬の地に到着してからでしか引導は行えなかったので、その名残として今でも葬儀の中で象徴としての野辺送りが行われている。
『大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼(だいほうろうかくぜんじゅうひみつこんぽんだらに)』という長い名前のお経を唱えている間が、野辺送りをしている最中ということになる。

⑩ 弔辞・弔電(ちょうじ・ちょうでん)

弔辞・弔電は、故人と親しい間柄にあった人が故人に送る最後の言葉である。
これは正確には仏事としての儀式ではないが、現状の葬儀を考えれば項目の一つとして当然挙げられるものであるので記した。
象徴としての野辺送りの儀式が終わり、火葬の地へと到着したことを告げる鼓鈸が順番に鳴らされると、この弔辞・弔電へと移る。
地域によっては引導の後に弔辞・弔電を行う場合もある。

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⑪ 引導(いんどう)

引導とは、故人を仏の世界へと導く言葉であり、導師によってその言葉は述べられる。
漢詩でもって述べられる場合も多く、やはり一度聴いただけでその意味を理解することは難しい。
そのため、言葉を現代文に直して読みあげるような配慮がなされることもあるが、これにも賛否両論があり、どちらがいいとは一概には言えない。
どちらも信念に基づいて行われている部分が強く、口を挟むことは適当とは思えない。
それぞれの住職が自分の信じる方法を採って行っていると、基本的には理解していただきたい。


引導は故人を仏の世界へと導く儀式であるが、引導にはもう一つ重要な側面がある。
それは、火葬の点火の儀式でもあるということだ。
先に「野辺送りをしてからでなければ引導は行えない」と書いたが、その理由がこれである。
引導を述べた後に導師は棺に松明(たいまつ)を放ち、点火を行う。
火葬の地である野辺に到着した後でなければ引導は行えないというのは、つまりが引導と点火は同時に行われるので、火葬する状況が整ってからでなければ引導をはじめることはできないという意味である。
儀式としては、「引導=点火」という構図になっているので、必ず野辺送りの後でなければおかしいというわけだ。

 

⑫ 読経

引導が終わると、再び読経を行う。
「山頭念誦(さんとうねんじゅ)」という言葉が述べられ、その後にお経が唱えられる。

 山頭念誦【訳】
今日、生命の縁が尽きたあなたを、古来の儀式に則って厳粛に火葬いたします。
どうぞ迷うことなく仏の世界へとお進みください。
ここに集った僧侶とともに、あなたの旅路が安らかなものであることを祈ります。
願わくは、仏の智慧の輝きに彩られ、あなたの赴く世界に安らぎの花が咲きますように。
広大な海に漂う穏やかな波のように、あなたの赴く世界が安穏なものでありますように。
ここに香り高いお茶をお供えし、香を焚き、仏様の名前をお唱えしつつ、あなたをお送りいたします。

ここで先にも一度唱えた「十仏名(じゅうぶつみょう)」というお経を唱え、再び山頭念誦の続きに戻る。

今お唱えしたお経の功徳を、すべてあなたへと捧げます。
葬送・告別の葬儀式を勤めるにあたり、あなたのご冥福を祈り、歩まれた道の先に浄らかな世界が広がっていることを願い、お祈り申し上げます。


⑬ 焼香

山頭念誦が終わると、お経が唱えられる。
ここ唱えられるお経は寺院によって異なっており、何が正しいというわけではない。
そしてこの読経中に、遺族・参列者の方々の手によって焼香が行われる。
参列者の人数が大勢の場合はもう少し早い段階(山頭念誦を述べはじめたころ)で焼香を開始することもある。
焼香という儀式は、仏教において欠かすことのできないもっとも大切な供養の方法。
それは同時に、故人を送る方々一人ひとりが故人へ供養を施し、祈りを捧げる瞬間でもある。
指に一つまみした香に祈りを込め、そっと焚いて故人への供養としていただきたい。

⑭ 導師退場

以上で葬儀の儀式はすべて終了となり、導師は退場する。
状況によって三日経という法要儀式を加える場合もあるが、葬儀自体はこれで一区切りとなる
導師と役僧が退場した後は、遺族や参列者によって故人の棺に花などが納められ、その後に蓋が閉められる。
そして出棺となる。

まとめ

曹洞宗の葬儀の流れを駆け足で綴ってきたが、どうだっただろうか。
おさらいしておきたい重要なポイントが3つあるので、最後にそれらを記してまとめとしたい。

  • 曹洞宗の葬儀の前半は、故人に戒を授ける「授戒」がメイン。
  • 後半のメインは、故人を仏の世界へと導く「引導」。
  • 「授戒」と「引導」をメインに、読経した功徳を故人に捧げ、安穏を祈る儀式が、曹洞宗の葬儀。

あくまでも駆け足での解説であったので、不明点も多かったかもしれない。
質問をいただければお答えさせていただきたい。
また、冒頭でも述べた『曹洞宗の葬儀と供養 ~おくる~』(曹洞宗岐阜県青年会編著)ではこれらの儀式が詳しく解説されているので、それを参考にしていただくときっと理解が深まる。
難しい専門用語を使わないよう、平易な言葉で書くことに配慮されてあるので、「難しい」「読みにくい」という印象を抱くことはないものと思う。
今では見ることのできない野辺送りの写真など、すべての儀式に対して美しく印象的な写真を掲載しているので、ご興味があればぜひともどうぞ。