永平寺で修行する雲水の休日
永平寺で修行をしていた頃、伝道部という寮舎に配属されていた時期があった。
寮舎というのは世間一般の会社でいうところの部署とか課に相当するもの。
それでこの伝道部という寮舎の最大の特徴は、参拝者に永平寺の案内をする公務があることだった。
「諸堂拝観(しょどうはいかん)」と呼ばれる永平寺の案内を遂行し、伽藍などの説明をしながら参拝者とともに永平寺を一周し、参拝の補助をする。
そんな案内役を担っているのが伝道部という寮舎である。
※現在はもう諸堂拝観は行っていないらしい。
参拝者に伽藍の説明などをしている時には主にこちらが話をしてばかりだが、お堂からお堂へ移動する際などには質問を受けることも多い。
「永平寺には何人ぐらい雲水さんがいるんですか?」
「何年ぐらい修行されるんですか?」
「ご飯にお肉は出ないんですか?」
「坐禅は何分ぐらい坐るんですか?」
「どうやって髪を剃っているんですか?」
下の記事のような「護美箱」に関する質問もあった。
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そんなメジャーな質問たちに混じって、時折思いもよらないマイナーな質問が飛んでくることがあった。
タイトルにある「修行って休日はあるんですか?」もその1つ。
この時、ふいにそう訊かれて思わず思考が固まってしまい、すぐに答えることができなかった。
今思えばなんてことない質問なのだが、当時は認識の外側にある質問だった。
もちろんその方は、1週間のなかで平日と休日があるように、修行にも行う日と行わない日があるのかということを訊きたかっただけだったのだが、私にはそんな簡単なことがすぐにわからなかった。
というのも、禅の修行というのは生活することそのものを指すのであって、滝に打たれるとか、火の上を歩くとか、特別なことが修行なのではない。
だから「修行=生きること」という認識が当たり前の感覚となっていたので、質問を受けたときに「修行の休み=生きることの中断」のようなイメージを想起してしまったのだ。
えっ……修行(生活)を休むって……ドウイウコト?
死んでまうけど……。
と固まって、ああ!
単に休日があるかどうかということね!
と頭が解凍するまでに5秒ほどかかった。
永平寺にどっぷり浸かってしまうと、思考までもが世間とかけ離れたものになってしまうという恐怖を思い知った瞬間であった。
休日かぁ……ないなぁ。
禅とか修行とかいうものは、生き方であって仕事ではないし。
仕事には休日があってしかるべきだけれど、生きること自体には休みがないもんな。
となると、禅の修行は生きることそのものだから、修行に休みはない、がやっぱり答えになるのかなぁ。
頭の中をそんな思考が駆け巡り、回答は「修行に休みはありません」でいこうと思ったが、口から出る寸でのところでとっさに止めた。
なんか、ツマラナイ答えだ。
四九日
そこで、せめてこう付け加えることにした。
「修行というのは生き方なので、休みというものはないんですよ。ただ、禅寺には休みに似た日があるにはあるんです。
四九日(しくにち)っていうんですけどね、1ヶ月のなかで四と九のつく日、つまり4日、14日、24日、9日、19日、29日は、起床時間がいつもより1時間遅くなるんですよ」
そう言いながら、指を1本立てた。
「普段ですと、私たち修行僧は3時頃に起きることが多いのですが、四九日はそれが4時頃に起きればいいことになるんです。
この1時間は大きいですよ。
私たちは常に寝不足で、ひどい時は立ってても寝れますからね」
立ってても寝れるというのは誇張だと受け取られた感があったが、事実だ。
忙しい時には本当に立ったまま気を失える。
それほどまでに睡眠時間が削られる。
永平寺では就寝時間を早めるということが不可能で、だいたい10時~10時半に蒲団に入るというルーティーンが定まっている。
したがって忙しい時は、どうしても起床時間が早くなる。起床時間はどれだけでも早めることが可能だからだ。
一番キツイ時期は、1時とかに起きる日が続くようになってしまう時もある。
睡眠欲の強力さと貪欲さを知るのに、これ以上うってつけのシチュエーションはない。
そんな万年睡眠不足の修行僧にとって、四九日は休日に近い感覚の日といえるのだ。
「四九日には他にも特徴があって、じつは正式にお風呂に入ることができる日でもあるんです。
昔は本当に四九日しかお風呂に入ることができなかったそうなんですけど、今は臨時(非正式)でほぼ毎日入ることができるようになっていますが。
それからこの四九日という日は、唯一刃物を使うことが許されている日でもあるんですね。
だから私たちは四九日ごとに髪と鬚を剃ります。
その日しか剃刀が使えないからです。
それから針仕事をする日も四九日だけ。
爪を切るのも四九日。
爪が伸びてきたなって気付いても、それが5日だったらあと4日待って9日にならないと切れないんですよ」
永平寺の四九日うんちくをまくし立てた。
すると参拝者の方はこんなことを言った。
「へえ~、だからあなたのお鬚は伸びてるんですね、なるほど」
言葉を受けて、手で顎をさわってみた。たしかにジョリジョリする。
その日はちょうど四九日の前日で、永平寺的には三八(さんぱち)と呼ぶ日だった。
3と8が付く三八日は、四九日の前日なので髪の毛も鬚もかなり伸びている。
鬚など永平寺では気にしたことなど一度もなかったが、外から訪れる一般の方はやはり多少は気になるらしい。
4日も伸ばし続ければ気になるのも当然か。
そんなこんなで説明やら質問の応答やらを続けて、その諸堂拝観は終了した。
永平寺ではのんびりとした会話をする時間などほとんど存在しないので、あの時の会話ははっきりと覚えている。
世間から隔離された場所での、世間との微々たる接点。
もう何年も前の記憶になるが、とても懐かしい。
もし永平寺を訪れる予定のある方は、三八日に行くと髪と鬚が伸びた雲水を目にすることができる。
そんなもの見たくない、ちょっと嫌だなという方は、ぜひ四九日にどうぞ。
髪も鬚もツルツルに剃られたきれいさっぱりな雲水が修行に励む姿を、きっと目にすることができるはずだ。