禅の視点 - life -

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「拈華微笑」とはどういう意味なのか 

拈華微笑

拈華微笑とは何か


拈華微笑(ねんげみしょう)とは、仏教を説いたブッダと、その弟子の1人である摩訶迦葉との間で交わされたとされる逸話を示す言葉のこと
具体的には、次のような話を指す言葉である。

ある時、ブッダは大勢の弟子たちとともに霊鷲山にいた。弟子たちを前にして、ブッダは一輪の花を手に掴んで弟子たちに示した。弟子たちはブッダの意図するところが理解できずに黙っていたが、1人摩訶迦葉だけはその真意を悟り、微笑した。それを見たブッダは、「われに正法眼蔵涅槃妙心あり、摩訶迦葉に附属す」と告げ、仏法が摩訶迦葉に伝わったことを宣言した。


禅宗で重視される拈華微笑

この短い逸話は主に禅宗に伝わるものであり、曹洞宗においても禅の故事の筆頭に挙げられるほど、よく見聞する逸話となっている。道元禅師も拈華微笑について『正法眼蔵』や『永平広録』などで何度も言及している。


そうした影響もあってか、拈華微笑のエピソードを史実と捉える人も少なくなく、またブッダから摩訶迦葉に仏法が受け嗣がれ、ブッダの後継者は摩訶迦葉であるとの認識をもたれる場合もある。しかし、それらが事実であることを示す有力な根拠は存在しない


拈華微笑のエピソードはあくまでも後世になって禅宗において見聞されるようになった伝説であり、出典も後世のもの。史実であるというなら、最低でもブッダの言説を伝える『阿含経』に記されていなければ苦しいが、拈華微笑のエピソードは『阿含経』に記されていない。


ブッダの法を嗣いだのは摩訶迦葉であるとの説にも根拠はなく、禅宗において主張されているだけの話である。
つまり、どちらも史実でない可能性が極めて高い

拈華微笑に感じる不自然さ

また、出典というハード面以外にも、ブッダの思想というソフト面から見ても、やはり同様のことがいえる。


どういうことかというと、『阿含経』を読むかぎり、ブッダは言説によって弟子を導くことを常としている。仏法を伝えるツールとして言葉を重視していたのは明らかであり、言葉を用いずに仏法を伝えるという手法はブッダの手法とは到底思えない。少なくとも、言葉を用いないことが優れた伝法の在り方であるとの認識は、ブッダにはなかったものと思われる。
したがって、言説以外の部分で仏法を伝えるという拈華微笑の逸話は、ブッダの人物像と照らし合わせた際に大いに違和感がある


さらに、ブッダは弟子たちに対して秘密にした教えはなかったと明言している。「教師の握拳はない」という言葉によって。だから教えに内外の区別などなく、隠した教えもなく、特定の人物だけに特別な教えを説いたということもなく、説くべき教えは誰に向けても等しく説かれ続けた。


ブッダは縁起、無常、無我、四聖諦、八正道といった教えを中心に説いており、それらがブッダの教えの核心であったことは誰の目にも明らか
そしてその教えを受けて、弟子たちは次々と悟りを開いていった。


言わば、ブッダの教えによって悟りを開いた弟子全員が等しくブッダの教えを受け嗣いだ後継者>なのであり、特定の誰か、たとえば摩訶迦葉だけがブッダの法を受け嗣いだと考えることはどう考えても不自然なのである。
もちろん、現実にもそのような事実を示す文献は存在せず、ブッダも後継者がいるなどということは一言も言っていない。


禅宗において常識とされる「特定の弟子が師の法を嗣ぐ」という仏法の授受の在り方は、ブッダの仏教にはまったくあてはまらない。特別な教えなどというものもブッダには存在せず、したがってそういった「禅宗の視点」から眺め判断することは、ブッダの言葉に真っ向から逆らう危険性を孕んでいる。


拈華微笑のエピソードは、それがブッダに関する出来事であるにも関わらず、後世の禅宗の視点から語られることによって、アンバランスなエピソードに感じられてしまうのである。

道元禅師にとっての拈華微笑

では、なぜ禅宗は、道元禅師は、後世につくられた史実ではない拈華微笑のエピソードを重視したのか。


そもそも禅宗にとっての禅の伝法の系譜は、いわば伝法の正統性を証明するための最大の根拠。誰の法が誰に受け嗣がれてきたを明文化することで、今につながる禅の仏法がブッダから続いてきた正統な仏教であることを示す根拠となっているのである。だからどうしても、ブッダの法が誰かに受け嗣がれたという一文が必要だった。


しかし、道元禅師が拈華微笑について多くの言葉を残しているのは、そうした理由とはまったく異なる。


結論から言えば、そこでいう重視とは、肯定なのではない。
むしろ、拈華微笑のエピソードが表面的な理解のまま世間に広まっていくすることに忸怩たる思いが道元禅師にはあり、もう一歩踏み込んで考えるべきであるとの示唆を含めて拈華微笑のエピソードについて多くの言葉を残しているものと考えられる。


つまり一般的にいわれる、「言葉以外の部分で伝わるもの(教化別伝)がある」とか、「言葉を介さずに心と心で通じるもの(以心伝心)があった」とかいった拈華微笑に対する解釈を、道元禅師は肯定しているのではない


では、禅師は拈華微笑をどのように解釈しているのか。
そこのところを、道元禅師自身が書き残した書物、『正法眼蔵』の「面授」「優曇華」「密語」の3巻から探ってみたい。



『正法眼蔵』「密語」にみる拈華微笑

まずは1つ目、『正法眼蔵』「密語」の巻。
巻題となっている「密語」とは、「世尊に密語あり、迦葉は覆蔵せず」という言葉に由来するものであって、その「密語」が何を意味しているのかを説くためにこの密語の巻が著述されていると言っても過言ではない。


古来、「世尊に密語あり、迦葉は覆蔵せず」の言葉は、「ブッダには秘密の教えがあり、摩訶迦葉にはその教えが理解できた」といった趣旨の理解がなされてきた。
しかし、道元禅師は密語の巻のなかでそうした理解を明確に否定している。

「愚人おもはく、密は他人の知らず、みづからは知り、知れる人あり、知らざる人ありと。西天東地、古住今来、おもい言うは、いまだ仏道の参学あらざるなり」

愚かな者は、「密」というのは、他人は知らず、自分だけが知っているとか、わかる人にはわかり、わからない人にはわからないといったことだと思っている。今も昔も、そのように解釈する者は、いまだ仏道を学んだことのない者だと言わざるをえない


こうした言葉に接すれば、「密」は秘密を意味するものであるとの解釈など持てるはずもない。では、密とは一体何なのか。密の核心について、道元禅師は次のように簡略に示している。

「いわゆる密は、親密の道理なり」

密は秘密の意味ではなく、親密の意味である。それが道元禅師の示すところだった。
たしかに親密という言葉にも「密」は使用されている。だからブッダには密語もあれば、密意もあり、密行もあるのであって、花を掴んで弟子たちに示したという行為一つとっても、それは親密なる教えであったと道元禅師は説いた。


また「密語」の巻の他の箇所では、言葉に依らない教えを良しとする風潮に対して次のように批判もしている。


「有言の仏説は浅薄なり、名相にわたれるがごとし。無言説にして拈花瞬目する、これ密語施設の時節なり。百万衆は不得領覧なり。このゆゑは、百万衆のために密語なり。迦葉不覆蔵といふは、世尊の拈花瞬目を、迦葉さきよりしれるがごとく破顔微笑するゆえに、迦葉におほせて不覆蔵といふなり。これ真訣なり。箇箇相伝しきたれるなり。これをききてまことにおもふともがら、稲麻竹葦のごとく、九州に叢林をなせり。あはれむべし、仏祖の道の破廃せること、もととしてこれよりおこる。明眼漢、まさに一一に勘破すべし」

少々長いが、訳せば下のようになる。


言葉でもって教えるのは浅いものである。それは名前に関するものでしかないからである。だから言葉に依らずして、花を掴んで示すというような教えを密語の教えという。秘密の教えであるから、多くの人々にはわからない。だから多くの人にとってそれは、秘密の教えとなる。

しかし摩訶迦葉にはその教えがわかった。だからブッダが花を呈したとき、摩訶迦葉は破顔微笑して応えた。摩訶迦葉には伝わったということである。

これが拈華微笑の逸話の真相であり、そのようにして仏法は師から弟子へ受け嗣がれてきたのだと言われているが、そんないい加減な話を真に受けて、それを真実だと思い込む連中が世の中には多い。そこらじゅうにいる。仏法が衰退するのは、こういったところからなんだろうと思うと、嘆かわしくなるばかりだ

目の明るい人物は、こうした誤りを喝破しなくてはならない。



訳、以上。



禅には不立文字という言葉があるが、それは文字を軽視することではなく、文字によって真実そのものを現すことはできないというほどの意味である
それを、文字や言葉は浅く、そうしたものに依らない教えを深いものと理解する風潮は、この時代からすでにあったのだと推察できる。


ともあれ、拈華微笑が言葉に依らない秘密の教えといった類いのものではないこと、また、言葉に依らないことが優れたる説法ではないと道元禅師が考えていたことは、これらの言説から明らであるといえる。

正法眼蔵「面授」にみる拈華微笑

次に、「面授」の巻では拈華微笑についてどのような考えが綴られているのかをみていきたい。「面授」の巻も「密語」の巻と同様、主題となっているのは拈華微笑の逸話である。


ただし密語とは異なり、巻題である面授という言葉に難しさはない。
これは言葉どおり、顔を合わせて眼前にして師と弟子が対峙し、歴代の祖師方が伝えてきた仏法を授受するという意味である。
面と向かって授受するから、面授。


どうやら道元禅師は、顔を合わせる、師と弟子が正面から向かい合うといったことを、相当に重要視していたのだと思われる。
実際、面授の巻においても、自身が命がけで中国へわたり師となる如浄禅師と出逢ったときのことをまず書いている。

「大宋宝慶元年乙酉五月一日、道元はじめて先師天童古仏を妙高台に焼香礼拝す。先師古仏はじめて道元をみる。そのとき道元に指授面授するにいはく、仏仏祖祖、面授の法門現成せり。これすなはち霊山の拈花なり」

宋(中国)の宝慶元年(1225年)、私道元は、はじめて天童山で如浄禅師に対して焼香し礼拝した。そのとき如浄禅師は私をはじめて見たのである。そして如浄禅師は私と対峙して、「仏祖方が顔を合わせて仏法を授受してきたその教えが、今ここに成った」と告げた。これこそがすなわち、かの霊鷲山で行われたブッダと摩訶迦葉との面授、つまりは拈華微笑にほかならない。



道元禅師にとって教えを受け嗣ぐとは、面前において師から弟子へと授受されるもの、そのようにして直々に認められるものだということだろう。
本師に出逢い、その教えを学び、そして教えを受け嗣ぐということがいかに尊いことか。そのことについて、道元禅師は言葉を尽くして説く。
たとえば次のように。

「師をみざれば弟子にあらず、弟子をみざれば師にあらず。さだまりてあひみ、あひみえて、面授しきたれり。嗣法しきたれるは、祖宗の面授処道現成なり」

師を見なければ弟子ではない。弟子を見なければ師ではない。定まって対峙し、互いに顔を合わせて教えは授受される。仏法が連綿と受け嗣がれてきたのは、仏祖方がみな面授によって仏法を授受してきたからにほかならない。

「おほよそ仏祖大道は、唯面授面受、受面授面のみなり。さらに剰法あらず、虧闕あらず。この面授のあふにあへる自己の面目をも、隨喜歡喜、信受奉行すべきなり」

仏道の本筋は、ただ師と弟子が面と向かって教えを授受することにある。その他に付加するものもなければ、欠くこともない。師と出逢い教えを受け嗣いだなら、面授を果たした自分の面をも喜び、大切にしていかなくてはならない。


このような言葉と、面授の巻の全文から考えるに、道元禅師とって拈華微笑とは、掴んだ花をはさんで両者が対峙し、面から面へ、眼から眼へ、心から心へ、身から身へ、教えがそのまま受け嗣がれた、いわば「面授が成った」ことを尊ぶ逸話であるように考えられる



正法眼蔵「優曇華」にみる拈華微笑

最後に「優曇華」の巻をみていきたい。
優曇華とは、3000年に1度だけ咲くという伝説の花の名で、拈華微笑の際にブッダが摘んだ花も優曇華とされている。
そしてやはり、この巻の主題となるのも拈華微笑の逸話となっている。


では、優曇華の巻ではどのようなことが語られているのか。先の2つの巻と同様、拈華についての記述があるが、そのほかに、「花」に焦点を当てた記述もある。この巻が「優曇華」と題されている理由も、花の意味について少なからず言及しているからに思える。


まずは拈華に関する記述から。
次のような言葉は、拈華微笑をブッダと摩訶迦葉の間でのみ起こった出来事として捉えるのではなく、師と弟子との間における仏法授受の正統として捉えたほうがいいとの示唆であるように聞こえる。

「七仏諸仏はおなじく拈華来なり」

「祖師西来、これ拈花来なり」


ブッダ以前に存在したとされる6人の仏とブッダを合わせて七仏と称すが、その七仏がみな悟りを開いて仏となったのは拈華によるものだという。
また、達磨大師がインドから中国へやってきたことも拈華であるという。


さらに、拈華微笑は師弟間をこえて、たとえば自然と対峙するときにも当てはまるものと示してもいる。
そこで語られる拈華、あるいは優曇華とは、おそらく真理の別称なのだろうと思われる。こうした「花」に対する記述は、先の2つの巻ではあまりみられなかった。

「おほよそこの山かは天地、日月風雨、人畜草木のいろいろ、角角拈来せる、すなはちこれ拈優曇花なり。生死去来も、はなのいろいろなり、はなの光明なり。いまわれらが、かくのごとく参学する、拈華来なり」

山に面と向かって相対すれば、山は優曇華となる。川に向かえば河が優曇華。日月風雨、人畜草木、優曇華でないものは何もない。生きる死ぬのも花の色、花の瞬き。私たちが今、仏法について学ぼうとする、これもまた優曇華であり、拈華である。


そして最後に道元禅師はこう結論付ける。

「一切はみな優曇華なり」

すべてのものは優曇華である。
それはもう、優曇華が真理の別称であることを示す言葉以外の何ものでもない

拈華微笑とは何なのか

拈華微笑が史実であるかどうかは、禅宗としては敏感に反応するところかもしれないが、道元禅師にとってはどちらでもかまわない問題なのかもしれない。


道元禅師にとって重要なのは、いつの時代であっても、どの国であっても、師と弟子は面授によって教えを授受していくべきものだという点にあるのではないか
仏が仏に仏を伝えていくという、そうした仏法の授受の象徴、真理の象徴として優曇華を考えたとき、道元禅師の言説が腑に落ちる。


これまでに見てきたように、『正法眼蔵』における道元禅師の言葉を辿っていくと、拈華微笑の逸話に対する見方は従来とはまったく異なるものになる。


道元禅師の言葉を参考にすれば、拈華微笑とは、一般的に言われる「言外に仏法の奥義が伝わった」逸話などではない
そこではなにか仏法の神髄のようなものが伝わったのではなく、師と弟子が相対して面を向き合わせ、仏法のすべてを授受し、そうして仏法が連綿と相承を続けて自分のもとにまで伝わっているのだという事実を重んじ、自分の師に歴代の仏祖、あるいはブッダの面影を観るという視点において理解するのが、道元禅師の示唆するところなのではないか。


少なくとも、ブッダに「非言語」「奥義」などといった思想はなく、道元禅師にもまたそのような思想はない。禅師は非言語を重んじているのではなく、言語と非言語といった相対を戒めているのである。


『正法眼蔵』で3つの巻にわたってまで拈華微笑について言及した道元禅師の真意がどこにあるのか。それぞれの巻題である「密語」「面授」「優曇華」の言葉こそが、その答えを端的に示しているようにも思える。

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