読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

禅の視点 - life -

幸福とは? 自分とは? 自由とは? 人生とは? 心を満たす入口探し、禅エッセイ

2月15日は涅槃会、ブッダが亡くなった命日 ~涅槃図と涅槃団子~

涅槃図,ブッダ


涅槃会と涅槃図と涅槃団子

ガンジス川中流域を中心に普遍の教えを説き続けブッダは、紀元前383年、クシナーラーの地で80歳の生涯を閉じた
多くの弟子たちに囲まれ、惜しまれつつ看取られた最期だったという。
2月15日はそんなブッダの涅槃(亡くなること)を悼み、伝道の日々を偲ぶ「涅槃会(ねはんえ)」の忌日。
地域によって涅槃会を行う日にちに違いはあるが、多くの寺院ではこの日の前後に、亡きブッダに手を合わせる人々の姿が多くみられることだろう。


人が亡くなったのだから、それが悲しい忌日であるのは間違いない。
ただ仏教では、死を単に悲しいものとのみ捉えることはしない
死を涅槃と呼ぶことに、そんな仏教の意図を読み取ることができる。


涅槃とはサンスクリット語のニルバーナという言葉の音訳であり、ニルバーナとは「煩悩の火が消えた状態」をいう
亡くなることでようやく完全に煩悩が滅する。
だから仏教では死を涅槃と呼んでいるのである。
生前に悟りに至ってもなお、煩悩から完全に逃れてはいないのだという仏教の考えに思いを馳せるとき、死とはただ悲しいものではなく、真の安らぎをもたらす一種の恩恵であるようにさえ思えてくる
悲と恵。
人生を生き切った最後に待っているのは、その2つなのかもしれない。

【スポンサーリンク】


涅槃図

涅槃会ではブッダの死を悼み法要を行うが、涅槃図の前でお参りをすることを思い浮かべる方もいらっしゃるのではないか。
涅槃図とはブッダが亡くなった際の光景を描いたもので、一般的な掛け軸と比べるとかなり大軸なものが多いのが特徴。
うちにある涅槃図も縦3m横2mで、他の掛け軸とは比べものにならないくらい大きい。
あまりにも大きいものだから、天井ぎりぎりから吊るしているにもかかわらず軸の下端が畳についてしまうくらいだ。
重さも相当なものなので、畳に接地していたほうが多少重さが軽減されて、軸を掛けているフックが壊れにくいのではないかとも思う。
なのでむしろ好都合と言えばそうなのだが……。


涅槃図を観ると、中心に横たわるブッダの姿がある。
頭北面西(ずほくめんせい)」という言葉があるが、ブッダは頭を北に向け、顔は西を向いて亡くなったと言われており、今でも亡くなった方を安置する際に北枕、あるいは西枕の配慮をするのはここからきている
ブッダは右手を顔の下に置き、腕枕をするような姿で亡くなったと言われているが、現代ではさすがにそこまで真似はしない。

涅槃図全景
↑ 涅槃図

沙羅双樹

横たわるブッダの脇や背後には木が描かれているが、これはブッダが沙羅双樹(さらそうじゅ)の木の間で亡くなったという伝承をもとにしたもの。
沙羅双樹という木は、実際には沙羅樹であって、対になるような配置で2本生えていたという伝承があることから伝統的に双樹と呼ばれている。
木の本数は涅槃図によって若干の違いがあるようだが、1対(2本)×4セットの計8本が描かれている場合が多い。


8本の沙羅双樹のうち、4本は葉が白く枯れている。
ブッダが亡くなった際、4本の沙羅双樹が瞬く間に枯れ、その葉がブッダの身体に降り注いだとい伝承が残っているのだ。
『平家物語』の冒頭の名文「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」にでてくる「沙羅双樹の花の色」とは、この時真っ白に変化し散った葉のこととも言われている。
木までもが悲しみに包まれたとみることもでき、生きるものには必ず死が具わっているのだという真理の表現にもみえる

涅槃図,沙羅双樹
↑ 8本の沙羅双樹と、白く枯れた葉。

アーナンダ

ブッダの周囲には大勢の弟子、天人、種々の動物が集まり、嘆き悲しむ様子が情感豊かに描かれている。
人に限らず、あらゆる生きとし生けるものがブッダの死を悼む姿は、人の世の偉人だったのではなく、世界すべてを包括する普遍の真理を説いた尊者としての死を意味しているのだろう。


嘆く人々の中で、ブッダの手前に位置する人物が1人、地に伏して倒れている。
この人物はアーナンダという名の弟子で、ブッダの傍を離れることなく常にお伴をし、もっとも多くのブッダの言葉を聞いたとして伝えられている人物だ。
ブッダは死の間際、弟子たちにいたずらに悲しんではいけないと伝えたと言われているが、アーナンダはあまりの悲しみに気を失って倒れてしまった。
人は理知のみで、つまり頭で理解することのみで救われるのではないことのあらわれにもみえる。

涅槃図,アーナンダ
↑ 気を失って倒れるアーナンダ

薬袋

沙羅双樹のどれか1本の木に、錫杖という杖のようなものが引っ掛かって描かれている。
よくみると錫杖の先には袋のようなものがくっついているのがわかる。
これは薬袋と言われているものだ。


涅槃図の上部には雲に乗ってブッダのもとへと参じた女性の天人の姿が描かれているが、これはブッダの母親のマーヤー
ブッダを産んですぐに亡くなったとされるマーヤーは、死後に天人となった。
そのマーヤーが、我が子であるブッダが危篤の状態に陥ったことを知り、いてもたってもいられず天界から薬袋を投げてブッダに届けようとしたのだ。


しかし、薬袋は木に引っ掛かってブッダのもとには届かなかった
ブッダであっても、死は平等に訪れる。
そんな意味がこの薬袋には込められているのである。
ちなみに、患者に薬を投与するとか、投薬という言葉に「投げる」という字が使われているのは、この薬袋を投げたマーヤーの故事がもとになっていると言われている。

涅槃図,薬袋
↑ 錫杖と薬袋。天人となったマーヤー。


涅槃図にはいろいろな物語の断片が描かれており、読み解き方も様々。
動物のなかで猫が描かれている涅槃図は珍しいから、猫を見つけることができると幸運だとか、そういった風な見方もある。
涅槃図を見て幸運というのも不謹慎な気がしないでもないが、涅槃図を目にする機会があったらちょっと猫の有無にまで気をつけてみるのも悪いことではないのかも。

涅槃図,動物,猫
↑ 猫らしき動物はいるが、はっきり猫だと判別できる動物はいない。

【スポンサーリンク】


涅槃団子

涅槃会には涅槃団子が供えられることも多い。
うちでも毎年前日の夜に涅槃団子を作り、当日お参りに訪れた方にお渡ししている。
涅槃団子はブッダの舎利(骨)を模したものとも言われているが、とてもカラフルで可愛らしい。
色は、青・黄・赤・白・黒(紫)の五色が正式であるが、黒(紫)が入った涅槃団子を実際に目にしたことはない。
青も、実際の色味としては緑が用いられる。
よって、緑・黄・赤・白の4色で彩られる場合が多い。

涅槃団子
↑ 自家製の涅槃団子(4色)


ただ五色には意味があって、これは仏教でいうところのいわゆる「五大」をあらわしている。
五大というのは、あらゆる存在を構成する根源的な要素のこと。
地・水・火・風の四大がメインとなり、人間でいえば地が肉体、水が血液などの水分、火が体温やエネルギー、風が呼吸を意味している。
それら四大が縁によって1つとなるところに人間という存在があると考えたわけであるが、その四大は必ず変化し滅する時がくる。
その「変化」という性質こそが、最後の1つ「空(くう)」という性質である。
『般若心経』で説かれている、あの「空」のことだ。
www.zen-essay.com


つまり、地・水・火・風に空を加えた五大を、団子を5色にすることで表現し、人という存在を構成する要素と、そうした要素によって成り立つあらゆる存在は「空」の性質によって必ず滅し変化するという理を表現しているのである
まさにブッダが亡くなった忌日にふさわしい供え物というわけだ。


涅槃団子は米粉で作られているので、団子といってもモチモチはしていない。
トースターなどで焼いて、砂糖醤油で食べるのがうちの定番だが、汁に入れる地方もあるという。
また、食べるのではなく小さな袋などに入れてお守りとする地方もある。
存在の真理を表現した縁起物でもあるので、なるほどお守りも確かにいいなと思う。

ブッダ最後の教え

ブッダは自らの死期を知り、弟子たちに最後の教えを残した。
それは自灯明法灯明の教えとして現在にまで語りつがれている。
『涅槃経』という経典に、その時のブッダの言葉がこう述べられている。


弟子たちよ。
私はもう間もなくこの世を去るだろう。
皆との別れも遠くない。
しかし、いたずらに悲しんではならぬ。
あらゆる存在は必ず変化をし、やがて滅する時がくる。
出会った者は、いつか別れなければならないのが、この世の真理なのだ。

されば弟子たちよ、これだけは忘れないでおくれ。
人は誰もが、自分自身を依りどころとして、他人を依りどころとせずに生きることが大切なのだということを。
暗闇を照らす灯火(ともしび)は自分自身であることを、決して忘れてはいけないよ。
もし、自分で道を切り開けない時は、その時は真理を思いだしなさい。
本当に正しいことは何かを考え、その真理を依りどころとして道を歩きなさい。

あらゆる存在は移り変わる。
すべては「空」なのだ。
あなた方はこの世の真理を探究し、自分の考えに執着することなく、他人の言うことをよく考えずに信じ込むこともせずに、本当に正しいことを知ろうとしなくてはいけない。
それを知るために、日々精進して生きておくれ。


自分自身を灯火とすること。
それが自灯明
本当に正しいこと(法)を灯火とすること。
それが法灯明
この2つの言葉を残してブッダはこの世を去って行ったのであった。
※自灯明と法灯明について詳しくは下の記事をどうぞ。
www.zen-essay.com
www.zen-essay.com