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【南隠全愚】金を落としてしまってな - 禅僧の逸話 -

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【南隠全愚】金を落としてしまってな - 禅僧の逸話 -

南隠全愚(なんいん・ぜんぐ)(※渡辺南隠とも)は19世紀に活躍した臨済宗の禅僧であるが、初めは禅ではなく儒学を学んだ人物であった。
仏教に対して良い印象は抱いていなかったようで、本願寺の広大な伽藍を見て、
民衆の血と銭を搾り取る悪魔め
と憤慨していたとさえ伝えられている。
なんでも、唾を吐きかけたほどとまで言われているくらいだから、ただ印象が悪かったのではなく、むしろ排仏家だったのかもしれない。


そんな南隠がなぜ出家して禅僧となったのかは定かではないが、一説では、観世音菩薩の霊夢を見たことで南隠の病が快復へと向かったことが関係しているのではないかと言われている。
病に冒された南隠が、もうどうにもならないような状態となったとき、観世音菩薩が夢の中に現れて霊薬の処方を告げたという話が伝わっているのだ。
その霊夢にしたがって山中で得た薬草を煎じて服用したところ、病状が快復していったという。
史実かどうかはわからないが、兎にも角にも出家をして禅僧となった南隠。
そんな南隠には、お金にまつわる深面白い逸話がある。


ある時、南隠は交友のある人物の家を訪ねていた。
座り込んで家主と話をしていたのだが、どうも南隠の元気がない様子
これは何かあったに違いないと察し、家主が南隠に訊ねてみると、南隠は「じつはな……」と重たげに口を開いた。


「今日、とんだ粗相(そそう)をしてしまったんじゃよ。ちょっくら買い物をしていた折に、いつの間にか財布を落としてしまったんじゃ
なるほど、そういうことだったのか。だから元気がなかったのだ。
家主は合点がいったが、同時に、南隠禅師ほどの方でもやはり金をなくせばがっかりするのだなと、ちょっと意外にも感じた。
「それはそれは、残念なことでございました。良き人に拾われて戻ってくるといいのですが」
家主が同情すると、南隠は首を横にふるのだった
そしてこんなことを言った。


「いや、そうではない。金など戻ってこなくても一向にかまわぬ。そうではなくて、もしあの金を拾った人物が金を自分のものにしてしまえば、それは盗みをはたらいたことと同じことになり、悪行をなしてしまったことになる。悪業を積んで罪を一つ背負うことになってしまったら、その責任は金を落としたワシにある。ワシの不注意で人に悪業を積ませるようなことになったらと思うと、申し訳なくて仕方がないんじゃよ」
この言葉を聞いて、家主は南隠の心慮に深く頭を下げたという。


たしかに、落ちていた金とはいえ、それは誰かの金なのだから、自分のものにしてしまえば盗みと同じことになるだろう。
ただ、財布を落としてそのようなことに思い悩む人がこの世の中に何人いるだろうか
この話をはじめて読んだとき、南隠禅師の元気がない本当の理由を知って
「そこなの? 元気のなかった理由、そこなの!?
と私は突っ込まずにはいられなかった。
私がもし財布を落としたら……まず銀行に連絡をして、それから……。
あまりに現実的な想像しかできず恥ずかしいので、これ以上書けない。


なんとまあ、この広い世の中には想像も及ばない深さでものを考えている人がいるものである。
家主がひたすら頭を垂れたであろう姿に、自分の姿が重なって見えてしまう。