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【潙山霊祐】 読後に、思わず「なるほどねぇ」と唸る禅僧の逸話 

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【禅僧の逸話】潙山霊祐の夢判断 - 禅における超能力・神通力 -

坐禅をしたり禅を学んだり修行を積めば、超能力のようなものが得られるのではないかという思いが、人の心にはやはり多少あるらしい。
この問いに答えるには、そもそも禅では「超能力」というものをどう考えているのかを明らかにせずして、答えようがない。
なので今回の禅僧の逸話は、禅と超能力について。
もっとも、禅においては超能力という言葉は用いず、神通力と呼んでいるので、ここでも神通力と表記することとする。


中国は唐の時代に、潙山霊祐(いさん・れいゆう)という禅僧がいた。
ある日、その潙山が部屋で横になっていると、仰山(きょうざん)という弟子がやってきた。
潙山は仰山の姿を見ると、くるりと向きをかえて壁のほうを向いてしまった。
「和尚さま、どうかなされましたか」
仰山がそう声をかけると、潙山は起き上がって言った。
「いやじつはな、今わしは眠っているあいだに夢を見たんじゃ。おまえさん、どんな夢じゃったかわかるかな


すると仰山はすぐに部屋を出て、水を入れた桶と手ぬぐいを持って再びやってきた。
そしてそれを潙山に差し出した。
潙山はにっこりと笑うと、その水で顔を洗った。


しばらくすると、今度は香厳(きょうげん)という弟子が部屋にやってきた。
「おお、よいところにきた。先ほどわしは夢を見て、仰山はその夢を探りあてたんじゃが、おまえさんもあててごらん」


潙山にそう言われるやいなや、香厳は部屋を出ると、お茶を一服煎れて持ってきた。
そしてそれを潙山に差し出した。
潙山はやはりにっこりと笑うと、そのお茶をいただいた。


おまえさんたち2人の神通力は大したものだ。ブッダの十大弟子に智慧と神通に優れた舎利弗と目連がいたが、その上をいくほど優れている」
潙山はそう言って、2人の弟子を誉めたのだった。


この逸話は、神通力というものが日常生活とかけ離れた奇術のようなものではないことを物語っている。
人が宙に浮くとか、遠く離れた場所にあるものを触れずに動かすとか、どうしても神通力という言葉は超能力と解釈されやすい。
しかしそうではない。


つまり、禅における神通力とは、人間に具わった心のはたらきを意味しているのだ。
相手の気持ちを察して、相手のために行動ができる
そのような何にも増して尊い心のはたらきを、禅では神通力と呼んでいるのである。


潙山が目覚めたとき、仰山は顔を洗う水を用意した。香厳は熱いお茶を煎れた。
夢をあててみろとは、神通力でもって心を見抜いてみろというほどの意味である。
禅というものが非日常にある特別なものであると考えていては、この答えは出せない。
神通力とは、人に具わっている他を感じとる心にほかならないのである。
そしてその優れたる力は、誰の心にも宿っている