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春を探してお花摘み ~春を感じることのできる親子遊び~

オオイヌノフグリ


春を探してお花摘み ~春を感じることのできる親子遊び~

うららかな春。陽の下を歩いていると、少し汗ばむくらい暖かな季節になってきた。
絶好の散歩日和に恵まれたので、春休みで退屈している長男(小1)と次男(年少)と一緒に春探しに出発することに。
まあ春探しと言っても、咲きはじめた草花を摘むだけの長閑な散歩だ。しかし散歩と言ってしまえば散歩にしかならないが、春探しと言えば子どもは大興奮。
「探すー!!」
と叫んで大張り切りなのである。
「はるってなに? たべもの?」
と言うだけで精一杯の次男には、別に「散歩」でもかまわないのだけれど。

水仙

「春はたくさんの花が咲く季節なんだよ。いっぱいお花を見つけられるかな~?」
という一言だけで、2人のスイッチは一気にON。
それぞれに箱を持たせて、見つけた草花を摘んでは箱に入れていくように伝えておく。
箱は子どもに対して1つずつ持たせたほうが、喧嘩にならなくていい。箱をどっちが持つかで喧嘩をするようなレベルなので、出発する前から疲れてしまいたくはない。
基本的には1種類の花は1つしか摘まないようにして、なるべくたくさんの花を探したほうが面白い。

ウメ

暮らしている村には自然がいっぱい、というのはいささか人間目線の感想であって、正確には自然のなかに家々が建てられたような村だから、自然のなかに村があると言ったほうが正しいような気がする。それくらい、このあたりは本当に樹木草花に溢れている。
子どもたちは注意深く辺りを見回しながらソロリソロリと歩き、花を見つけると
「あったー!!」
と叫んで駆けていく。
タンポポ、ナノハナ、スイセン、ウメ、ツバキ、ジンチョウゲ、それから名前のわからない草花がそこらじゅうで花を咲かせている。

春の花

「これな~んだ?」
「うおぉーー! ツクシだー!」
長男は一々大袈裟に喜ぶ。次男はやたらとタンポポばかり摘む。
樹木に咲く花は、枝を切るのが子どもでは難しいのでハサミを持参。後ほど摘んできた花を白い段ボールに貼り付けて作品にするとさらに面白いので、できれば貼りやすいように花だけではなく茎ごと摘みたい
樹木の場合は、枝ごと。

ツクシ

花を摘んでいて思うのは、タンポポの持つ子どもを引き寄せる力の強さ。あの花の魅力は一体なんなのだろう。
綿毛が面白いのはわかるが、黄色い花が咲いているとどうして近寄って摘んでしまう。次男は放っておくとタンポポで箱を一杯にしてしまうかもしれない。
摘んでも摘んでも次から次へと新しい蕾が膨らみ、パッと花を咲かせるたくましさも、花を摘ませていただく側としてはなんとなく安心できてありがたい。それも引き寄せられる理由の1つなのだろうか。

タンポポ

冬の終わりから春にかけて、庭に芳香が漂うことがある。風にのって運ばれてくる花の香りは甘く、離れていてもはっきりと感じるほどの強い香り。
ただこれまで、どの花の香りなのか知らなかった。
そしたら今回の春探しの最中、またあの香りが風にのってやってきた。これは正体を突き止めねばなるまいと、隊員2名とともに香りの主を探した。
花を見つけたら近づいて香りを嗅いでみるを繰り返すこと5分、ようやく香りの大元がわかった。ジンチョウゲだった。毎日目にしているこのジンチョウゲの花が、あの芳香の正体だったとは。
摘んだジンチョウゲの花の香りを嗅いだ子どもたちは
「すげーいいにおい!」
と、これまた大興奮。
次男は
「モモのにおいするー!」
と、こちらも大興奮。
花の香りはいい。香水や芳香剤の香りは苦手だが、自然の香りは好き。

沈丁花

子どもは花に夢中で、見つけた花をすぐに摘もうとする。
隣の家の庭に咲いている、プランターのパンジーも摘もうとする。
こらこら、やめておくれ。人のうちの花はダメでしょう。イエローカードを出して庭からの退場を命じたが、そこに隣家のおばさんが登場。
世間話をしつつ、花を摘みながら散歩をしていることを話すと、
「うちの花も摘んでいっていいよ」
と言ってくださる。遠慮を知らない子どもらは、嬉しさのあまりにプランターに向かう。
冷や冷やしながら、少しだけ花を分けていただいた。どうもありがとうございました。

木瓜の花

花の名前に詳しくはないので、名前のわかった花は3分の1くらい。
けれどもまあ、名前なんて大して重要ではない。日本語で覚えた名前も、英語なら別だし、フランス語でも中国語でもドイツ語でも別だ。国が変われば変わってしまうような名前は、覚えなければいけないほどの事柄ではない。
それよりもその花を観察したり、香りを嗅いだり、実際に触れる体験のほうがはるかに重要
まあ、名前を教えることができないことの言い訳でもあるのだけれど。

黄色い雑草、春の花

作品作りの観点からいえば、花ばかりよりも、適度に葉っぱがあったほうがいい。ヨモギとかクローバーとか。
今回はたまたまフキノトウを発見したので、もちろんこれも摘んだ。大人の苦味、と言われるが、大人になっても苦いだけで美味しいと感じない人は案外多いのだとか。
そういえばビールよりも酎ハイやカクテルのほうが若い人には人気だというから、フキノトウも好まれないのかもしれない。
ナノハナの苦味とか、あの春の味わいは何とも言えない美味しさだと思うのだけれど。

フキノトウ

30分ほどの散策で、見つけた花の種類は20~25種くらい。
今さらながらではあるのだが、花の色や姿は千差万別で、その美しさと多様性に驚かされる。
場所を変えて探せばもっと見つかるだろうが、そうすれば今度は終わりが見えなくなるのでここらへんで終了。
家に持ち帰ったら、まだ作品作りが待っているからね。
もっと花を見つけたいと主張する子どもたちをなだめ家に向かわせるのが、この親子遊びでもっとも工夫を要するポイントかもしれない。

ツバキ

摘んできた草花を大きな厚紙などに貼ると、花の標本のような、ちょっとしたアートのような、格好いい作品が出来上がる。
今回は横1m×40cmほどの段ボールの蓋のようなものに貼り付けることにした。何が入っていたのか知らないが、随分と横長の蓋である。作品の土台としては完璧といえる。
貼る時に難しい工程は何もなく、子どもらが思い思いのままに花を置き、セロハンテープで貼っていく。花に直接貼るのは美しくないので、必ず茎や枝などにテープを貼ったほうがいい。だから摘むときは茎ごと、枝ごとのほうがいい。
基本的に親は見ているだけで、子どもの好きなようにさせたほうが面白い。強いて参加することといえば、セロハンテープを渡す役くらいだろうか。


置いて、貼って、置いて、貼って。
一心不乱に制作に取り組んだ末、15分ほどで作品が完成!
なかなか見応えがある。花を分けていただいた隣のおばさんにも見せにいこう。
下の画像が今回の作品。
壁に立てかけておくだけでけっこう様になる。
すぐにしおれてしまうので、長いこと飾ってはおけないが。

春の花の作品作り

子どもたちが春を感じることができて、なおかつ作品作りもできる親子遊び、お花摘み。
自然をよく観察すると春の息吹がそこらじゅうに満ちていることを、子どもは楽しく遊びながら体験し発見することができる。
摘んではいけない花もあることを教えるのも、それだって大事なこと。
春の休日に暇を持て余しているお父さんお母さん、楽しいのでぜひ子どもと一緒に花を摘んでみてはどうですか。


身の回りにあるものすべてが教材であると、そういえば誰かが言っていた。誰かは忘れた。教材であることを知るだけで、あらゆるものが教材になると。確かにそうだと思う。
とりわけ、自然から学び感じることは多い。
禅でも、あらゆるものが真理を説いているのだとよく言われる。山川草木、すべてが悟りそのものなんだと。それを感じ取る体験、つまり「体解(たいげ)」身体で理解することがもっとも重要なのだと。
そんな心境を求めて春探しをするのはナンセンスだが、それでも春探しと禅と、無関係ではないのかもしれない。