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Z会の幼児教材から「方便」の好例を見つけた ~身近な仏教用語~

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【方便】身近な仏教用語の意味

数ヶ月前から、家に重たい封筒が届くようになった。封筒には「Z会」の文字が印刷されている。通信教育の教材が詰まっていて重いのだろう。見るたび、なんだか気持ちまでもが少し重たくなる。
こんなものにうちの長男(保育園年長)が本当に取り組むのかと半信半疑でいたら、なんのことはない、まったく関心なしだ。予想はしていたが、まったく予想を裏切らない行動に清々しさを覚える。
最初の1週間こそ妻も張り切って長男と並んで取り組んでいたが、それ以降は目も当てられない。三日坊主こそクリアしたが、「それに準ずる結果」で終わった。


終わってほしかった。けれども1年分の前払いをしているとのことで、終わってはくれなかった。律儀に毎月重たい封筒が届くのである。
申込みをした張本人である妻にもはやヤル気はみられず、ついに先月の封筒は開けられることもなくどこかへと姿を消した。そして3月号が届き、それも封が切られるようすは微塵も感じられなかった。


そんなある日、保育園が休みで、次男が昼寝に突入して、妻は仕事でおらず、長男と2人で過ごす時間が生まれた。オセロがだいぶ上手くなってきているので勝負したが、2回もやれば長男の集中力は限界に達する。15分ほどで終了。
次は何をしようか。アンパンマンブロックは飽きた。レールを走る電車は意外と不人気。ビデオを見てもいいが、それは最終手段。何かないかと、あたりを見回した。


ふと、新聞が積まれている一角に、見覚えのある封筒を見つけた。Z会である。
ガソゴソと取り出し、封を開ける。中から薄い冊子のようなものが何部も出てくる。思ったよりも種類が多い。手にとった一冊を広げて中を確認してみると、やっぱりね。想像していたものと似た問題がいくつも掲載されてある。
ただ、「かんがえるちからワーク」という冊子をパラパラめくっていると、長男と一緒にやってみたくなった。ちょっと面白そうなのだ。


「Z会、やる?」
「やる」
てっきり「イヤ」という答えが返ってくることを予想していたものだから、「えっ、やるの?」と思わず確認してしまった。暇だからか、それともすでにZ会を忘れたのか。長男は意外にも意欲的。何ヶ月ぶりかの取り組みがはじまった。

かんがえるちからワーク

「かんがえるちからワーク」は、単純な読み書きなどではなくて、思考力観察力などの力を試そう、あるいは養おうとする意図が多分に含まれた冊子であった。
たとえばこんな問題だ。

Z会 問題

影の向きをヒントに太陽の位置を推測しろという問題か。なるほど。
もちろん大人にとっては簡単だが、子どもにとってはちょうどいい問題である。影ができる理由は、以外とわからないかもしれない。太陽の位置を観測して、物の影を観察するという手順を踏まなければ、そもそも影に太陽が関係しているということもわからないだろう。


上の画像はすでに「たいようシール」が貼ってあるが、長男は最初、左の○にシールを貼ろうとした。
ちょいちょいちょいちょい、待ちなさい。それ勘でしょ? っていうか、シールを貼りたいだけでしょ?
そうだけど、何か問題でも? というふうな表情でこちらを見てくるものだから、これは本気を出してやらねばと思い、おもむろに部屋の電気を消し、懐中電灯を取り出してきて、アンパンマンのオモチャを机の上に置いた。実験だ。


薄暗い部屋で、アンパンマンの左上の方向から懐中電灯の光を当てる。すると、アンパンマンの右下に影がうつる。
次にアンパンマンの右上から光を当てる。当然アンパンマンの左下に影がうつる。
懐中電灯をアンパンマンに向けたまま、机の周りを一周してみる。すると影が光りから隠れるように光の反対側にうつりながら一周する。
影は光の届かない側、つまりアンパンマンをはさんだ反対側にうつることが実証された。


「影って、こういうことだよ。わかる?」
影とは光が遮られている部分を指すのだと示し、椅子に座ってアンパンマンの影を凝視している長男の反応をみた。すると、
おおおおー!!?」 
というとんでもない雄叫びが返ってきたので思わず爆笑してしまった。やはり法則を「知る」という営みは子どもであっても面白いらしい。
ただ、隣の部屋で次男が昼寝をしているので声のボリュームは下げてほしい。


そんなこんなで問題を解き進め、半分くらいまで一気にやったところで長男のエネルギーがパタッと切れた。ノートに向かって取り組むのは疲れるわね。あからさまに燃料切れになった姿に、また笑った。


で、終わればよかったのだけれども、次にまた面白い冊子を見つけてしまったものだからしょうがない。それは「ぺあぜっと」という冊子で、これはどうやら親子で取り組むものらしい。机に向かうのではなく、経験を積むというようなことが狙いのようだ。
たとえばイチゴジャムを作ってみようだとかでレシピが載っていたり、「おはなしカード」というのを親に引いてもらって、裏に書かれている事柄について話をしてもらったり、これはこれで面白そう。
そのなかで特に目を引いたのが、「ありがとうが いっぱい」という遊び。

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ありがとうが いっぱい

ルールは簡単。
まず、冊子から「ありがとうポスター」をはさみで切り取り、子どもの手の届く壁に貼る。同じく冊子から花びら用の紙を切り取り、花びらの形に切っていく。
そして、誰かから「ありがとう」と言われたり、反対に「ありがとう」と言った時に、花びらを1枚「ありがとうポスター」に貼っていくのだ
ポスターに花びらがいっぱいになったら終了で、冊子に用意されている花びらが少なければ色紙などで増やしてもいい。とにかくありがとうの花びらでいっぱいにしようという遊びである。

Z会 花びら
↑ 切った花びら(ハート型なども切った)

Z会 ポスター
↑ 壁に貼ったポスター


一読して、直感的に「これはいい方便だ」と膝を打った。
「ありがとう」という言葉が大切だとしても、子どもにそれを理解させるには工夫を要する。いや、それは理解をさせるというような方法で理解させることのできる事柄ではないのかもしれない。それに、体験としてそのことが理解できなければ、所詮「ありがとうは大切」という情報を伝えたに過ぎない。
この遊びは、そうした単なる情報を伝えようとするのではなく、経験を通してそのことを感じさせようとする意図が明確であったので、興味を抱いた。


「花びらをいっぱい貼りたい」という願望から「ありがとう」を長男が連発する恐れはあるが、まあ、量産体制に入ってしまえば独自ルールを発動させて、「輸出系ありがとう」ではなく「輸入系ありがとう」でなければ花びらを貼れないようにしてもいい。
実際、そこまで愚かな行為には及ばなかったので杞憂ですんだ。

方便とは何か

仏教用語である方便という言葉は、相手を正しい方向へと進ませるための便法をいう。もっとも便法とは、その場しのぎの一時的な便宜上の手段という意味もあるが、ここでいう便法とはむろんそれではない。単純に、1つの方法というほどの意味。「便」の字を入れたかったから便法としただけだ。
方便とはウパーヤというサンスクリット語を意訳した言葉で、原意は「目標に近づく」。つまり、悟りへと導く、正しい生き方へと導く、そんな意味の仏教用語である。


嘘も方便という言葉が有名になったことから、方便とは嘘のことだと思われている節があるが、必ずしも嘘をつく必要はない。嘘という方法を用いた方便もあるかもしれないが、嘘をつかなくても相手を導くことはできる。「ありがとうが いっぱい」のように。
あくまでも、相手を導く手立て、手段という意味であることを忘れないでおこう。嘘のことではない。


常に正論を言えば物事は上手く進むかといえば、そうでないことは誰もが感じているはずだ。ならばどのようにして進めることが適切なのか。
それは時と場合、相手の年齢や性格によって異なる。極端を言えば、1人ひとりに対する最適な方法は、厳密にはすべて異なっていると考えられるのである。それら1人ひとりの違いを考慮し、その人に合った方法を用いる。それが方便の極意というわけだ。


「ありがとうが いっぱい」のような遊びを通して、子どもは「ありがとう」を意識するようになるかもしれない。単純に、こういう取り組みは面白い。楽しみながらありがとうを言えたり、またありがとうと言ってもらえるようにお手伝いをしたりできる。
それは「作為的なありがとう」のように思えるし、動機が不純であるとも指摘できるが、本来的なありがとうを理解するのは、もっと大人になってからでいい。
まずは、ありがとうを言うのも、言ってもらうのも、心地いいことだと感じることのほうが大事だ。それこそがまさに、知らず知らずのうちに相手を正しい道へと導く方便の考え方にほかならないのだから。

今後が悩むZ会

まったく予期せず方便の好例を教えてくれたZ会であるが、今後も継続して教材が送られてくるのかはわからない。こちらから止めなければ高校卒業まで送られ続けると、妻は言う。
そういう仕組みなの? 継続申請のようなものはないの? あったところで、決定権は妻にあって私にはないのだが。
一度も封を開けなければ、中身を知らなければ、「やめましょうよ」と躊躇なく進言できたものを、変に知ってしまったから逃れにくくなってしまった。どうしよう。
妻は高校の教師だが、Z会は通信教材のなかで一番優れていると豪語している。他の会社の教材と高校生の問題を見比べたことがあるそうだ。それで、Z会を一押しするようになったという。ただ、飽きっぽいので入会しても意味はない。


方便の好例を見つけることができたのはよかったが、さて、継続をどうしたものか。小学生の教材の中身を見てみたい気もするが、もし親だけが気に入ってしまって子どもは見向きもしないという以前のパターンに陥ってしまったらと思うと、恐ろしい。
まあ、何を心配したところで、決定権は妻にしかないのだが。